三輪えり花の脳みそ The BRAIN of ELICA MIWA

演出家、三輪えり花の脳みそを覗きます。

台詞は入って来る息で決まる

2013-08-09 23:46:26 | 演技って?
台詞を言う時,その台詞を言うために入ってくる息を意識していますか?
実は,演技にとって最も大事なのは,入ってくる息なのです。

一例を挙げましょう。

驚くべきニュースを聞いた時,息を飲みますね,それから,その驚くべきニュースを聞いた感想が言葉になって出てきます。

やってみてください。

驚くべきニュースへの感想は,単純な驚きでもいいし,嬉しい驚きでもいいし,悲しい驚きでもいいし,眉を顰めるようなものでもいいし,憤慨でもいいのです。
どうせですから,どれも練習してみましょう。

ね,驚き、喜び、悲しみ、嫌悪,憤慨,それぞれの「感情」によって,入ってくる息の質感,口元が変化し,瞳にもそれが反映されます。

さて,俳優が息を飲むと,観客はそこに引きつけられます。
観客も一緒に息を飲むからです。
これが,観客の感情とノリを舞台に引きつけ続けるコツです。
観客は俳優とともに息を飲み,その感情を一瞬にして理解します。
それから,その登場人物がその感情をどのような言葉にして消化し、整理していくのだろうか、ということに興味を持ち続けてくれるのです。

台詞以外で息を吐いてしまうと,観客の集中力はとたんに落ちます。
ですから,溜息や,悲しみ,無力感,脱力感などの感情や場面を演じなくてはいけないときは,極力注意しましょう。

スタニスラフスキイと英国の演技術では「登場人物には遂行したい目的がある。障害に負けてはいけない」と教えます。

溜息や悲しみ、無力感,脱力感等は「障害」であって,それらの障害を抱えつつも,登場人物には「遂行したい目的、望み」があることを忘れてはいけません。
障害になる感情を表現するために息があるのです。
そして目的を遂行するために台詞があるのです。

ネガティブな感情もまた,入って来る息で表せば,観客は必ず着いてきます。

言うべき台詞の内容を,抽象的に包括して理解したら,それを言おうとしてみましょう。
即座に,そのために必要な感情の息が入ってきます。
(感情に限らず,「これは説明しておかなくちゃ」の様な「止むに止まれぬ気持ち」でもいいのです。むしろ、その方が多い。)
それから,その「止むに止まれぬ気持ち」を「喋る」,つまり「声に出して言語化することで、自分の心のうちを整理し、言葉を選び、発見しながら相手を説得しようとする」ための「台詞」が始まるのです。

ちなみに,息が入って来る時,目も大きくなります。
俳優として,目の表現力をもっと使うことを本気で考えてください。

入って来る息が,言うべき台詞の感情や気持ちのベースを作り,それが瞳に反映され,その両者が,観客の集中を引きつけます。
そして,それが思いがけない台詞や見事な台詞になったとき,観客は演劇を見て良かった,と思うのです。


登場人物は誰に何を報告しにきたのか?

2013-07-09 01:45:01 | 演技って?
ハムレットの母,ガートルードが,オフィーリアの死をオフィーリアの兄レアティーズに告げるところがあります。

多くの俳優が,これをさめざめと悲しく、ほとんど泣きながら,あるいは半狂乱になって喋ります。

もっと身近な例で考えてみよう。
あなたは,自分より年下の男性が,父親を殺されて打ち拉がれているところに,その妹も溺れて死んだよ,と言わなくてはなりません。
もっと身近に考えたら,落ち込んでいる友達に,彼がかわいがっている猫が,あそこで交通事故にあったと,伝えるようなものです。

大急ぎで駆け込んできて伝える方法もあるでしょう。
でも,あなたが思いやりのある人なら,落ち込んでいる相手に,さらに悪いニュースをどうやって伝えますか?
相手の顔を見るまでは、「言わなくちゃ」と思っていても,顔を見たら言えなくなる。でも,言わなくちゃ,どうやって言おう,どこから始めよう?

もしもそうではなくて,ただ自分の悲しみばかりが先行する半狂乱状態で報告をするなら,その場合,

「小川のほとりに柳の木が白い葉裏を流れに写して斜めにひっそり立っている。」

なんて文章から始まるはずがありません。

実際,半狂乱での報告をする場面の例があります。
ロミオとジュリエットの乳母は,ティボルトの死を告げる時,「死んだ,死んだ、死んでしまった!」という台詞を使います。
これこそ,半狂乱の演技を要求する台詞。
ガートルードの台詞とは全く違う書き方であることがわかります。

オフィーリアの死を告げにきたのに,なぜこの台詞から始まるの?

ガートルードが,自分の感じる悲しみよりも,レアティーズになにをどう伝えようか,言葉を選んで話そうとしていることがわかります。
しかも,彼女はまず,自分の目で見たことを先に述べますね。(小川、柳、枝,花輪)
目で見たものの印象が強いからです。

そのあと,人づてに聞いたことを述べます。(枝に掛けようとして流れに落ちたそうだ,人魚みたいだったそうだ,祈りの歌を口ずさんでいたそうだ、そのあと,沈んだそうだ)

自分の目で見たことと,聞いたことを告げる調子は,異ならなくてはなりません。

また,ガートルードの頭の中は「なぜ,そんなことに?オフィーリアは自殺?なぜオフィーリアはそんなことをした?」という質問が,ぐるぐる廻っているはずです。
「オフィーリアはその細枝に,草花を巻き付け」という描写のときも,「なぜそんなことを?」と自分に問いかけながら,話してみましょう。

友達とのシリアスな会話で「なんであの子,あんなことしたんだろうね・・・」と言っているとき,その子がなぜそんなことをしたのか考えながら言っているはずです。それと全く同じ。

最後にもうひとつ・
オフィーリアが細枝にかけた草花は,きんぽうげ,いらくさ,ひなぎく,紫蘭です。
紫蘭は,「口さがない羊飼いたちの間ではいやらしい呼び名で呼ばれている」花,つまり,オフィーリアのような女性がそれを手に持って遊ぶ,というのは,相当「えっ?」なことなのです。
純潔を絵に書いたような女の子が,実は部屋にポルノ雑誌を溜め込んでいると,あなたが知ったときのような,「えっ?」です。

ガートルードは,紫蘭が混じっているのを発見して,やだ,なにこれ,と思ったわけ。
で,なんでこんな卑猥なものを,とそれをついオフィーリアのお兄さんにそのまま言っちゃったんですね。

お兄さんに,「あなたの妹は死んだ時,ポルノ写真を握りしめていたわよ、卑猥ね」と言うようなものです。

言った瞬間にガートルードは,やべ,と思い,言い直します。

「無垢な娘たち(=オフィーリア)の間では、死人の指と言い習わされている,あの紫蘭」と。

卑猥ね,あ,いえいえ,オフィーリアみたいな無垢なお嬢さんはきっと卑猥な思いでその花を摘んだんじゃないわ,あれって,死人の指とも言われていて,女の子は卑猥というよりは不気味がって,手に取らないものでしょう,オフィーリアはもしかしたら,それを摘んだからしんだのかもしれないわ,

みたいな,そんな感じの「言い直し」です。

シェイクスピア,面白いでしょう?
なぜ,こんなこと言うの,この人。。。← これがシェイクスピアを演じるときのカギの全てです。


登場人物は何をしようとしているのか?

2013-07-09 01:29:48 | 演技って?
マクベスの「やってしまって、それでことが済むものなら、早くやってしまった方が良い」の独白。

マクベスはどれくらい、王を殺したいんでしょう?

多くの人が,「すごく殺したい」と答えてくれます。
でも,本当?
もしもそうなら,なぜ彼の台詞は「やるとも,もしも,それで済むなら」と仮定法をとるのでしょう?
「それですむわけないじゃん,だからやだよー」が心の中にあるからです。

その「あの世で罰を受けようとも,この世で大丈夫 なら あの世のことなどかまってられるか!」と大見得を切った後,

「だけど、この世でもこういうことって,罰を受けるよな」と怯えて,
あとは,罰を受けるにふさわしい理由をいくつもいくつも際限なく並べていきます。
それくらい,罰を受ける理由が並べられるということは,それくらい,やりたくない,ということです。

親に等しい、立派な人を殺す。権力を手にするために。

迷って当然です。

迷わないで殺人をやるのは,シェイクスピアの戯曲の中でもリチャード三世だけです。(しかもリチャードは自分の手で人を刺してはいない)

マクベスは,迷いをどうやって表現するか,なのであって,どうやってかっこ良くやるか、ではありません。

「軍人らしく」がベースの演技もダメです。
そんなところから人物を作れば,シーザーをやろうが,アントニーをやろうが,キャシアスをやろうが,マクベスをやろうが,ハムレットをやろうが,皆同じになってしまいます。

果たしてこの演技は,この登場人物のためのものだけなのかどうか,このやり方なら誰をやっても同じ,になっていないかどうか,少し自分に厳しく演技を見つめ直そう。

登場人物はなぜ喋り、喋らない人はなぜ喋らないのか?その間、どうしているべきか?

2012-11-01 20:00:06 | 演技って?
登場人物はなぜ喋り、なぜ喋らないのか?
『ハムレット』1幕2場で考えてみよう。

ハムレットの母(デンマークの王妃)が、夫(デンマーク王)の死後わずか2ヶ月で夫の弟と結婚式を挙げた披露宴の晩。
ハムレットの親友ホレイショーが、城の見張り役の兵隊二人(マーセラスとバーナードー)を伴って、ハムレットのそばにやってきて、こともあろうに崩御したばかりの前王(つまりハムレットの母の夫で、ハムレットの実の父)の亡霊を見たと報告する場面。

一行ずつ分解して、演技を考えてみましょう。(行頭数字は、通例の行番号。日本語訳は三輪えり花。当然ながら、日本語と英語の文法構造の違い上、行ごとの逐語訳とは異なる。)
まず、翻訳でこの箇所を眺めてみます。

ホレイショー
221 この命に賭けて本当です、
222 だからこれは皆で殿下に
223 お伝えせねばと思ったのです。

ハムレット
224 そうか、そうだな、諸君、だが気になるな。
225 見たのか、今夜も?

三人(ホレイショー、マーセラス、バーナードー)
225 は、殿下。

ハムレット
226 武装して、だと?

三人
227 は、武装して。

ハムレット
228 上から下まで?

三人
228 は、頭から足先まで。

ハムレット
229 では、顔は見えなかったわけか?

ホレイショー
230 もちろん見ました、顎当てを上げていらして。

ハムレット
231 どんな顔だ、険しかったか?

ホレイショー
231 お見受けしたところ
232 お怒りよりはお悲しみかと。

ハムレット
232 血の気は?

ホレイショー
233 失せて、真っ青で。

ハムレット
233 お前を見つめて?

ホレイショー
234 ただもうじっと。

ハムレット
234 僕も居合わせたかった。

つづく。。。

では、まず、221 の台詞から、なぜ喋るのか、なぜ喋らないのか、を考えていきます。
これを考えると、「何を考えて喋るのか」もわかるようになります。

221 この命に賭けて本当です、

なぜホレイショーは「このいのちにかけて」と言わなくてはなりませんでしたか?

→ その前に言ったこと(ハムレットのお父さんの亡霊を見ましたよ)を信じてもらえなかったから。

当時は、男性が「命に賭けて」というのは大変な覚悟を伴うことでした。
理性の哲学者であるホレイショーが、想像の産物かもしれない亡霊を見たというのですから、ハムレットは「まさか」と思うわけです。
ホレイショーは、自分の見たものは本当にハムレットの父親の亡霊だったことを「命に賭けて」本当だと言ったので、ハムレットは漸く信じる気になるのです。

222 だからこれは皆で殿下に
223 お伝えせねばと思ったのです。

さらに、後の二人を連れてきているわけをホレイショーは伝えます。
それを聞いてハムレットはこう言います。

224 そうか、そうだな、諸君、だが気になるな。

一見、「そうか、そうだな」は彼らの言うことを真剣に信じたような台詞に見えます。
でも、それなら、なぜ次に「だが気になるな」とbut「だが」が続くのでしょう?
彼らの言うことに納得したのなら、「確かに気になるな」とかではありませんか?

では、現実世界で、私たちがどんなときにこういう反応をするか、やってみましょう。
三人くらいに取り囲まれて、「お化け、見たんだ、本当だってば、本当」と迫ってきてもらいましょう。

どうです、あなたは「わかった、わかったから」と言いませんでしたか?

もしもこれがあなたのお父さんが死んですぐの時期で、あなたの大親友が、「幽霊見たんだってば、本当に!」と青い顔で駆け込んできたとしたら?
最初は信じなくても、相手の興奮をまず「わかった、わかった」と一時収めて、そのあとで、自分も改めて考えてみると、「もしかしたら、まだそこら辺に魂がいるかもしれない」とか部屋の隅に亡きお父さんの存在を感じたりしているあなたは、「だけど、気になる」と言いませんか?

英語のハムレットも、同じことをしています。
というのは、Indeed, indeed, sirs, というのは、いかにも「わかった、わかったから」という感じなのです。

リズム的にも弱強五歩格で奇麗に意味がとれる行になっています。
Indeed, indeed, sirs, but this troubles me

下線部を強く発音すると、言いたい意味が聞こえてきます。

さて、皆を落ちつかせて改めて「気になるな」と思ったハムレットは、いよいよ、自ら質問を発します。興味がわいたからです。もっと情報を得たいと思ったからです。

225 見たのか、今夜も?

225          は、殿下。

上記225は、台詞の前に少し行頭が空白になっていますが、これは、直前の台詞のすぐ後に言う、という約束事になっています。
つまり、みんなはハムレットの質問に即答したんです。
なぜ全員が即答しましたか?

→全員が、はっきりと見たから。
そうです。自信をもって、我先に答えるはずです。
これは、一斉のせ、で声を合わせたのではありません。全員が、息せき切って、食いつくようにハムレットに即答したタイミングが合ったからです。

ハムレットは尋ねます。
226 武装して、だと?

いかにも、普通に尋ねていそうですが、ここでも立ち止まって考えましょう。
なぜ、「武装して、だと?」という確認が必要なのでしょう?
「武装して、だと?」の裏にある気持ちは何か?

もしもあなたの親友の男性が交通事故で死んで、その彼女がさっさと別の男性とつきあい始めたら?
「あいつ、化けて出るぞ」と思わずにはいられないですよね。
しかし、親友の死装束は武装ではない。(ハムレットの父王は戦死ではないので、きちんとした礼装で棺に納められ、棺の上に鎧が置かれ、という状態だったと考えられます)
とすると、あなたの親友は、なんでまた武装までして現れたんだろう?
→「そりゃそうだ、当然武装!戦え元カレ!」と思うか、「武装してまで、何かあんのか?」のどっちかですよね。

いずれにせよ、死んだこの人が亡霊になって出てきたその姿が武装というのは、あなたの想像通りの「化けて出る姿」なのか否か、ということが演技に繋がるのです。
想像通りなら「さもありなん」という気持ちが音になって言葉に現れるでしょう。顔の表情もどちらかというと「武装して、うむ、やはり。」になるでしょう。
想像と違うなら、「え?なんで?ほんと?」の音になって言葉に現れるでしょう。
ハムレットは「武装して、だと?」と、「、だと?」を付けて、武装を確認しているということは、武装していると聞いて驚いたのではないでしょうか。つまり、彼の描いていた父親の登場する姿とは、異なるのでしょう。

ところで、ハムレットは、「親父が死んだとたんに、親父の弟と結婚かよ、おふくろよ~。女って最低。親父、マジかわいそ。浮かばれん。」と思って嘆いております。
だから、「浮かばれん親父」が、この元妻の新しい夫との結婚披露宴に、化けて出るんじゃないか、くらいは言葉の綾として感じていたことでしょう。
しかし、いくらなんでも、ほんとに現れたとなると、話は突拍子もありません。
「化けて出るんじゃないか、という気がする」のと
「ほんとに化けて出た」は違います。
だから、ホレイショーは「この命に賭けて本当です」と言わなくてはならなかったのですね。

さて、「武装して、だと?」と問われた三人は、

227 は、武装して。

と答えます。
が、今回は、行頭に空白がないので、その答えを言うのに、時間はどれくらいかかっているのか、即答なのか、というのは演出で分かれます。

次にハムレットはこう訊きます。

228 上から下まで?

三人の答えはまたも即答。

228 は、頭から足先まで。

ハムレットも立て続けに訊きます。

229 では、顔は見えなかったわけか?

ハムレットは、亡霊が出たことは信じたけれども、顔が見えないなら俺の親父とは限らないじゃないか、と言ったのです。
がっかり感と、ちょっと、ほっとした感と。
「上から下まで?」と訊いたときには既に「顔が見えたかどうか」を確認し始めていると言って良いでしょう。

それに対してホレイショーが答えます。

230 もちろん見ました、顎当てを上げていらして。

なぜ、それまで即答していた他の二人は答えないのでしょう?

理由1 二人はより立場の高いホレイショーに答えを譲った。(つまり、答えられるのだけれど答えなかった)
理由2 ハムレットがほかの二人を無視してホレイショーだけに話しかけた質問だったから、答えるのを控えた。(つまり、答えられるのだけれど、答えなかった)
理由3 二人には答えられなかったから。

どれを選んでもいいでしょう。

私は理由3の「答えられなかったから」が好きです。
それまで即答していた兵士たちが、実は顔まではっきりと見るほど見つめていられるほどの根性がなかったことがわかるし、二人が答えられずに顔を見合わせようとするときに、ホレイショーが答えたとき、彼らもハムレットと同じようにホレイショーに集中して耳を傾けることができます。

ハムレット
231 どんな顔だ、険しかったか?

ここではハムレットは、「険しいはずだ」を前提に尋ねています。
なぜでしょう?

愛していた奥さんが、さっさと自分の弟と結婚したことに対する怒りで、顔を険しくさせているはずだとハムレットは思うからです。
そして、おそらく、ハムレットの顔も、「険しい」ものであるに違いありません。

だがホレイショーの答えは;
231 お見受けしたところ
232 お怒りよりはお悲しみかと。

さて、ここでもツルツルと喋ってしまう前に立ち止まって考えましょう。
それまで即答即答で来ていたのに、また、この後も即答即答で答えるのに対し、ここだけ「お見受けしたところ」が入っています。

もちろん、「お見受けしたところ」という答え自体は即答のタイミングで入ります。
けれど、答えの内容に至るまでに、この言葉で引き延ばしているようです。

つまり、ホレイショーは、「お見受けしたところ」と言いながら、自分の記憶を辿り、見たものにどんな言葉を与えようか、考えているのです。

そして、「お怒りよりはお悲しみかと」と言うということは、ホレイショーは、ハムレットの言うところの「険しい」を「妻や弟に対する怒り」と捉えるよりも、「裏切られた悲しみ」と捉えていいのではないか、と結論づけた、ということになります。

このような箇所は、俳優は、「お見受けしたところ」と即答のタイミングで入りつつも、台詞自体のテンポを速めすぎず、むしろ一音ずつをゆっくり目に考え深げに発語し、ハムレットの「険しい」という単語を「お怒り」に置き換え、それを「悲しみ」と結論づける、という構図をはっきり認識しながら演じましょう。

それに対し、ハムレットは引き下がりません。

232 血の気は?

血の気は、シェイクスピアのいたルネサンス時代、気質を表す最も手っ取り早く、そして信頼の置ける判断方法の一つでした。
父王はきっと怒っているはずだ。そして、怒っているからには、血の気が多く見えるはずだ。

ハムレット自身は、血の気の多い青年です。
冷静で落ちついたホレイショーをうらやみ、いつもホレイショーに「俺にもお前ほどの落ち着きと分別があれば」と嘆いています。
オフィーリアにも「俺はすぐカッとする性質だ」と打ち明けています。
そう、ハムレットは沈思黙考の青白い哲学青年などではなくて(それはむしろホレイショーの方)、血の気の多い、すぐに声を荒げてしまう「何をこのやろー」青年なのです。

そして、血の気の多い人には、他の人もやはり血の気が多いはずだ、つまり、怒るべきことには怒るはずだ、と思いがちです。
が、ホレイショーの答えはやはり;

233 失せて、真っ青で。

そう、悲しみに青ざめている絵をホレイショーは提示します。
英語でも、Nay, very pale. と、ハムレットにしっかりはっきり伝えようとしています。

また一方で、怒りにも二種類あって、血の気の多い赤い怒りは、その場で爆発する瞬間的な怒り。
青ざめた怒りは、腹の底に鬱憤していく、永続的な怒りです。

亡霊が青い顔をしていたことが、どちらの理由かは、亡霊を演じる人が決めることができます。
が、とにかく、目撃したホレイショーには、青白さは鬱屈した永続する怒りよりも、血の気の引いた悲しみに見えた、というわけです。

続けてハムレットはその質問を聞くが聞かないうちに質問をします。まさに、質問攻めという感じで、つまり、ハムレットは興奮を抑えられなくなってきています。

233 お前を見つめて?

そしてホレイショーが次のように答えると、

234 ただもうじっと。

ハムレットは即答します。

234 僕も居合わせたかった。

なぜ、青白かったのか、なぜホレイショーを見つめたままだったのか。
ハムレットは、もう一度親父と瞳を交わしたいという思いに駆られていますから、懐かしさと悔しさと無念さで、いっぱいになっての、崩れ落ちるような即答です。

さて、ハムレットに「亡霊が出た」と知らせにきた三人は、ハムレットにも一緒に来て、亡霊が何を言いたいのか探ってもらいたいと思っているわけですから、このハムレットの返答で、ひとまず、三人の目的は半分達成されたことになります。

亡霊の存在を信じてもらい、それが亡き父王だとわかってもらい、その父王に会ってもらいたい。

この答えを聞いて、三人は瞳を交わしているでしょう、「よし、では、今夜の見張り台に来ていただこう」と。


どうです?
面白いですね。
こうして一つずつ解釈していくだけで、とても面白い。
演技をするとっかかりが、次から次へと見えてきます。


最後に、英文と併せて翻訳を載せておきますので、もう一度見直してみてください。

  HORATIO  ホレイショー
221 As I do live, my honour'd lord, 'tis true;
   この命に賭けて本当です、

222 And we did think it writ down in our duty
   だからこれは皆で殿下に

223 To let you know of it.
   お伝えせねばと思ったのです。

HAMLET  ハムレット
224 Indeed, indeed, sirs, but this troubles me.
   そうか、そうだな、諸君、だが気になるな。

225 Hold you the watch tonight?
   見たのか、今夜も?

MARCELLUS and BARNARDO  マーセラスとバーナードー(版に依っては、ホレイショーが加わり全員が喋ることも)
225 We do, my lord.
                は、殿下。

HAMLET  ハムレット
226 Arm'd, say you?
   武装して、だと?

MARCELLUS and BARNARDO  マーセラスとバーナードー(同上)
227 Arm'd, my lord.
   は、武装して。

HAMLET  ハムレット
228 From top to toe?
   上から下まで?

MARCELLUS and BARNARDO  マーセラスとバーナードー(同上)
228 My lord, from head to foot.
             は、頭から足先まで。

HAMLET  ハムレット
229 Then saw you not his face?
   では、顔は見えなかったわけか?

HORATIO  ホレイショー
230 O, yes, my lord; he wore his beaver up.
   もちろん見ました、顎当てを上げていらして。

HAMLET  ハムレット
231 What, look'd he frowningly?
   どんな顔だ、険しかったか?

HORATIO ホレイショー
231 A countenance more
                お見受けしたところ

232 In sorrow than in anger.
   お怒りよりはお悲しみかと。


HAMLET ハムレット
232 Pale or red?
                血の気は?

HORATIO ホレイショー
233 Nay, very pale.
   失せて、真っ青で。

HAMLET  ハムレット
233 And fix'd his eyes upon you?
            お前を見つめて?

HORATIO  ホレイショー
234 Most constantly.
   ただもうじっと。

HAMLET  ハムレット
234 I would I had been there.
            僕も居合わせたかった。

シェイクスピアの説明的描写の演じ方:マクベスを例に

2011-12-02 15:25:11 | 演技って?
シェイクスピアの戯曲は台詞が長く、何でそんなにしゃべるの?そもそも、独り言でしょう?とツッコミをいれたくなる場面がたくさんあります。
そうした場面を演じるとき、登場人物の内面を見てみましょう。
悲劇「マクベス」から、マクベス夫人が、夫マクベスに国王殺害を唆し、そのお膳立てをして、夫が殺害現場から戻ってくるのを待っているところを例にとってみましょう。

たった一人。
真夜中。
広い城。
王が寝ているべき部屋に登る階段のふもとのやや開けた場所。

次の台詞の部分です。解説の都合上、思考が展開するところで改行し、行の頭に、解説のための番号を振ってあります。

<マクベス夫人の台詞>
1 しっ! 静かに!
2 金切り声をあげたあれはフクロウ。
3 あの人はそろそろ。
4 扉はすべて開けてある。
5 侍従たちは、お役目をあざ笑う高いびき、あのミルク酒には薬をいれておいたもの。

<マクベス>
誰だ?なに?おい!

<マクベス夫人>
6 たいへん!侍従が目を覚ましたか?
7 それなら 成し遂げられない。
8 試みだけでことが成せなければ、あとは破滅。
9 短剣は二本ともすぐそばにおいてきた、
10 見つけられないはずがない。
11 あの寝顔がお父様に似ていなければ、私が成し遂げていたのに。

*****

① 「しっ! 静かに!」
夫人はシーンとしている中に響いたフクロウの声にギョッとして、悲鳴をあげかけます。それを抑える。自分の心臓を鎮めています。

② 「金切り声をあげたあれはフクロウ。」
そして、音の正体を分析することで理性を取り戻そうとしています。理性を取り戻すにはしゃべって「言語化する」のが大事ですので、本能的にそうした作業をしています。

③ 「あの人はそろそろ。」
理性を取り戻したところで、現状を認識する作業をします。夫はそろそろ国王を殺害する頃だ。

④ 「扉はすべて開けてある。」
夫の作業を助けるために自分がしたセッティングを一つずつ分析して手落ちがないことを確かめます。まず、扉は全部開けておいたから、たどり着けないということは絶対にない。

⑤ 「侍従たちは、お役目をあざ笑う高いびき、あのミルク酒には薬をいれておいたもの。」
国王の寝室の前に陣取る二人の侍従には、お酒を夫人自らがご馳走しました。(俳優は、何と言って彼らをもてなしたかを考えてみましょう。「お役目ご苦労様。この城の中では何の心配もいらないから、まあお酒でも飲んで。ささ。」など。)しかも、絶対に目を覚まさないように、薬も盛った。こうして、自分のセッティングに手落ちはないことを確認している矢先、マクベスの叫び声が響いてきます。

⑥ 「たいへん!侍従が目を覚ましたか?」
咄嗟に頭に浮かんだ、考えられる可能性が口をついて出ます。

⑦ 「それなら 成し遂げられない。」
その不安が現実だった場合の結果が脳裏に浮かびます。

⑧ 「試みだけでことが成せなければ、あとは破滅。」
さらに、その結果どうなるか、つまり私たちは「破滅」という結論が導き出されます。こういう場合、演技、ことに台詞は急がないこと。「試みだけで成し遂げられなければ」の仮定節を言いながら、その仮定が本当になった場合を仮体験していく時間として使うのです。そして、「あとは破滅」というとき、「破滅」という単語が出る直前の間を大事にすると、それが口にするのも恐ろしい一言なのだということが観客にも良く伝わるでしょう。

⑨ 「短剣は二本ともすぐそばにおいてきた、」
(本当はこの直前に Hark! 「しっ!」という単語がもう一つ入るのですが、これは演出と解釈の可能性のバリエーションが多すぎるので、ここでは触れないでおきます)そして夫人は、「破滅」に至るかどうかの瀬戸際で、今一度、自分のセッティングに手落ちがなかったかを確かめます。

10 「見つけられないはずがない。」
短剣は置いてきたと言いつつ、その時の行動を記憶の中に探し、置いた場所が暗すぎたのではないか、とか通り過ぎてしまったのではないか、との不安も感じ、いやいや、「みつけられないはずはない」と結論づけます。

11 「あの寝顔がお父様に似ていなければ、私が成し遂げていたのに」
それならさっきの夫の叫びは何だったのか? 夫はなぜまだ戻ってこないのか? 不安に押しつぶされそうになりながら、「自分がやっておけばよかった」と呻きます。

いかがでしょう?
どの台詞もカットできないほど重要であることがわかります。
「喋る」という作業は、曖昧模糊とした恐怖や不安を「言語化」して知性と理性で撃退しようとする本能的な作業なのです。
私たちが日常、日記を書いたり、つぶやいたりするのは、この思いを「聞いてもらいたい」という以前に「解消したい」という衝動を持っているかです。

さて、上記の台詞はこのように、台詞をしゃべる流れに沿って考察することもできますし、最後の台詞から逆に考えることもできます。

マクベス夫人はなぜ、自分がやっておけば良かった、というのか?と。

このような質問のとき、戯曲のあまりにも凄まじい場面から離れ、日常で考えてみましょう
たとえば:
「あのとき、私がお湯を沸かしておけば良かった」。

どういうときにそう思いますか?
お湯を沸かす担当の人が沸かしていなかったとき
なぜその担当者はお湯を沸かさなかったのでしょう?
グズだから。
そういう感情的な想像も良いでしょう、でも担当者を罵倒する前に、あなたも落ち着いて「なぜできなかったか」を第三者的に眺めてみませんか?
あ、その人にもやれない理由があったかもしれない。
たとえば?
忙しかったから、とか、トイレに行っていた、とか。
その人の理由だけでなく、あなた自身とその人との関係は?
担当者は私を頼っています。
その担当者がお湯を沸かすという作業をするに当たり、あなたはなにも関係ありませんでしたか?
湯沸かしの場所を教えたり・・・あ、そうですね、私が、その人がお湯を沸かせられるようにお膳立てをうまくできなかったから、という理由も考えられます。
そうです。そこで、こんな心配するくらいなら、自分がやっときゃ良かった、ということになるのですね。

マクベス夫人も全く同じ心理をたどると思って良いでしょう。
つまり、マクベス夫人は、帰りの遅い夫を待って、遅い理由を考えているのです。
そして自分がしたお膳立てが、ちゃんと自分のプラン通りであったはずだと記憶を調べている。
見張りは酔っ払わせた。しかも薬も盛った。短剣も二本とも見えるところにおいてきた。もしかしたらくらすぎたかしら?いやいや見つからないはずはない・・・ああ、私が自分で、殺してしまえば良かった・・・

どちらのアプローチを用いても、マクベス夫人が、不安にの中で、お膳立ての記憶を精密に調べようとし、それを明確に自分に納得させるために「言語化」し、さらに「声に出して自分に聞かせる」という大事な作業をしていることにかわりはありません。

説明的に思われる台詞も、観客への情報提供のためだけの便宜的な台詞ではありません。
ちゃんと演技に組み入れましょう。


夫人のこんな心理くらい、分析しなくても読めばわかる。

もちろんです。

けれど、上記の番号順に、たとえば、ちゃんと一言ずつの「異なる心情」を演技に反映させていますか?
急ぎすぎてはいませんか?

突然の金切り声に恐怖する。
声を出しかけた自分を抑える。
抑えてから分析する。
フクロウだったと納得する。

最初の2行でもこれだけアクションが変化しているのです。
これをまがまがしい雰囲気でしゃべるだけでは、夫人の経験する一つ一つのアクションが、一色に塗りつぶされてしまいます。

アクションは、
ひとつずつ
確実に通過して
確実に
「終える」こと。
次へいくのはそれから
です。

上記の台詞を11のアクションはを全部確実に「変化」を辿れるように練習しましょう。
文字を書くとき、曖昧に「こんな感じ」で書く人と、きちんとハネやトメを書く人がいます。
ハネや止めがはっきりした字が書けるようになってから、崩し字体や、自分らしい字体をかけるようになりますね。演技も同じです。
変化をはっきりと出すためには、ひとつひとつのアクションの内容をはっきりと提示しなければいけません。

オペラの登場人物の演じ分け デスピーナとスザンナ

2011-10-14 13:28:02 | 演技って?
今日は、オペラの登場人物を演じ分けることを考えてみましょう。

オペラの場合は、歌手の声質や声域により、「自分の役」が決まります。
ということは、似たような役柄を演じる事がとても多くなります。
悲劇と喜劇なら、悲劇的な演技と喜劇的な演技と分けやすいのですが、とても似た役柄もあります。

モーツァルト作曲「フィガロの結婚」のスザンナ
モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」のデスピーナ

オペラ歌手は、「オペラは初めてでなかなか他の作品を見る機会もない」観客を相手にどれも同じように演じてしまうようではいけません。

長尺でフルスケールで演じるなら、ストーリー展開が異なるので、登場人物を異なるように演じ分ける機会は増えます。
しかし、一方で、長尺の大変さのあまり、演じ分けなど考える暇もない、という罠に落ちる可能性もあります。

オペラ歌手はオーディションとコンクールを重ねて成長します。
ということは、一曲勝負ということがとても多い。
そしてオーディションとコンクールの審査員席に座る人の顔ぶれは、おそらくあなたの歌うその役を誰よりもよく知っている人たちであることが多いでしょう。

つまり、一曲で、「この人はうまいけれど、どの役をやらせても同じなんだろうなあ」と思わせてしまっては損ですよね。
そのためには、早いうちから、「似たような登場人物は誰か」「演じ分けるにはどうしたら良いか」を考えておきましょう。

さて、デスピーナとスザンナの演じ分け。
ストーリーが違うので、二人の取る行動が異なるのはもちろんです。
私が言いたいのは、ひとつひとつの即時的な反応をどう演じ分けるか、です。
そのためには、その人物の特徴を考えますよね。
デスピーナとスザンナの違いはなんでしょう?

和もの以外のオペラの登場人物を考える時、キリスト教的モラルから離れることは出できません。
ことに女性の場合は、処女かどうか、がとても大きいと捉えましょう。

教会と聖書は、セックスは子供を作るためで、快楽のためではいけないと諭します。
結婚は子供を作り、育てるための「絆」の「契約」です。「恋愛」ではありません。
けれど、人間ですもの、感情のある当人達は、もちろん恋愛と結婚を結びつけたい。

スザンナは処女。
恋愛相手と結婚できる恵まれた女性です。
だから、伯爵から身を守るために必死になります。

一方、デスピーナは?
歌詞にあるとおり、多数の男性と関係を持っているようです。
彼女はなぜそれができるのでしょうか?
楽しんでいるから?
かもしれません。
しかし、彼女が処女を失った日はどうだったのでしょう?
幸せな失い方でしたか?
処女を捧げた相手は今、どこでなにをしていますか?
戦場へいかざるを得なくなって、結婚式もあげられぬまま、夜をすごして、ラブリーな関係のまま恋人は戦場で死んだのでしょうか?
・・・たぶん、違いますよね。

デスピーナは「男なんて信じられない」を教えようとしています。
彼女が男性不信に陥ったのはなぜか?
不信に陥るためには、「信じていたのに、裏切られた」経験が必要です。

もしかしたら、デスピーナは信じていた相手に処女を捧げた挙句、捨てられたのかもしれません。

大泣き。
痛いデスピーナの経験。
これを必ず感じましょう。

ここで、裏切られた人の取る反応は、彼女の基本的性質によって二つに別れます。
暗く受け取るか、明るく受け取るか。
登場人物が暗い人なら、復讐もしくはひきこもりに向かいます。
登場人物が明るい人なら、私も同じことをしてやるわ、に向かいます。
こうなってしまったなら仕方がない、楽しまなくちゃ、に向かうのは「泣いた後」でしょう?

一度傷ついた経験を持つデスピーナが、二人のお嬢様達に、男は裏切るものなのよ、と教えるとき、彼女はお嬢様達が自分のように傷つかないようにと、教えているのかもしれません。

* こうして登場人物像を深めていくと、ここでまた陥ってしまう罠があります。
それは、喜劇にもかかわらず、登場人物がシリアスすぎてしまう危険性。
デスピーナを演じる人は、傷と共にあるセックス経験値の高さを、どう使えば「明るく軽い、生きる希望に満ちた」人物になるのかを考える。
スザンナを演じる人は、セックス経験がないことをどう立ち居振る舞いに反映させるかを考える。

視線の伏せ方、使い方、横目の使い方、笑顔の質感、腹立ちのため息のタイミング、人を見る首の高さ、角度。
たくさんのことがその登場人物の過去と現在を表現します。


観察しましょう。
映画でもなんでも。
似た役柄や人物や設定を見つけて、観察しましょう。

ステイタス 2

2008-09-09 20:50:11 | 演技って?
ステイタスを学ぶときはまず、ステイタス番号のものさしを身につけます。

1番から10番のものさしで、1番が低く、10番が高い。
ステイタスがレベル1(最低限)しかない、
ステイタスがレベル10(最大限)もある。
というふうに考えてください。

受からなくてはならない面接の部屋にはいる直前の心臓が引っくり返りそうなとき、あなたのステイタスは往往にして#2

部屋に入ってからは、なんとか相手にプラスの印象を持って貰おうと、低いステイタスを外からみれば#7くらいになるよう、持ち上げたいと試みますが、なにしろ内面が#2ですからうまく行きません。

が、試験官があなたの苦し紛れの冗談に笑ってくれたり、共通の趣味があったり、同郷だったりがわかると、もう#2のままではいません。一気に#4か#5、人によっては#7か#8という、十分に自信をもって自分を表現できるステイタスの高さを得ます。

ゴルフのスコアがあなたの方が上なことで、思わず#9を演じてしまうと、試験官は自分のステイタスが脅かされたと感じ、あなたに厳しい視線を送ったり、明らかに不快な顔をして、あなたのステイタスを下げようとしてきます。

あなたは高くなりすぎたことが失敗だったと知り、慌てて自分を下げ、試験官を上げようとします。

~という具合。

ただし、まずは、ステイタスの各番号において、人はどのように振舞うかの、大まかなものさしを体験してみます。

部屋の中央に椅子を置き、戸口の外を#1
入ってくる最初の一歩を#2とします。

1から2への一歩は、とってもとっても難しい。
2になったとしても、まだその先が怖くて、1だった自分を振り返る始末。
戸口から手を離せずに、いつでも1へ戻る準備ができていますし、1へ戻りたいとも思います。
しかし、2は3へ進めと指令を受けています。

がんばって3へ進んでも、まだ1だった頃の自分がやや懐かしい。
しかし、もう戸口に手は掛けていません。一人で立っています。

4へ進むと、少しだけ、肩の力が抜けます。
呼吸が楽にできる気がしてきます。
5へ踏み出すのもあまり怖くありません。
部屋の中を観察する勇気が出てきます。

5になると、その空間に馴染み、もう怖くはありません。
肩の力はすっかり抜けています。
6に上がりたいと思いはじめます。

6になると椅子に気がつきます。
興味が湧き、それがステイタスを7に上げるでしょう。

7では、椅子を観察します。
が、まだ、ちょっと近づけません。
が、なんだかあれをものにしたら、嬉しいかも、と思います。

8に上がると、それをものにしようという意志が強く働き、観察をしながら、作戦を立てるために、椅子の周りを動きながら回ることができます。

9になると、椅子に触れます。

そして、10で座れます。


このエキササイズは、どのステイタス番号において、大雑把に、それはこのようなもの、というのを理解するために行なわれます。

あまり難しく考えずに、そのステイタスにいる自分、を体験することに意味があります。

日常生活では、私たちは、5~7を行き来しています。
4や8を経験するのは、かなりドラマチックな体験をするときです。
誕生日とか、プロジェクトの失敗とか、上司に怒られた、とか。
2や3は、さらにドラマチックで、振られた、とか、解雇された、とか、逮捕された、くらいまで含まれるかも知れません。

が、1となると、誘拐されて命が危ういとか、人質にとられて命が危ういとか、痴話げんかでも夜道の一人歩きでも、ナイフを突きつけられている状態とか、命の危険を感じるレベルではないかと思われます。

ね。
演劇ではこういう場面を扱うわけだから、そういう、非日常なステイタス1とは、どんなものか、も視野に入れねばならぬのですよ。

高いステイタス10は、国王、大統領クラスです。
最近なら、相撲協会の理事とか。
しかし彼の場合は、社会的ステイタスに固執するあまり、周りからはステイタス2くらいに見下げはてられましたね。

ステイタスは、人間関係のシーソーを理解するために、有効かもしれないから、演劇では使うのであって、それを理解するために苦しむのなら、忘れてくれて構わないのです。

技術は、使い方を学ぶためにあるのではなく、簡単な使いかただと自分が納得できるものを簡単に使って、本質的な目的を解決するためにあるのですから。



ステイタス 1

2008-09-03 21:58:56 | 演技って?
ステイタス

何を思い浮かべますか?

高い身分
高い地位

私の生徒の中には、
よりどころ
と答えた人もいました。

ステイタス・シンボルというと、外国の高級車とか高級腕時計とか。

いづれにせよ、カタカナ語での「ステイタス」は高級という意味を常に含んで使われています。

この言葉、英語で書くと
STATUS

英語圏で演技の勉強をするとまず学ぶのがこれ
STATUS

相手よりもSTATUSが上。
空間よりもあなたのSTATUSが下。
相手のSTATUSを上げて。
自分のSTATUSを下げて。

なんて使い方をします。

そう、カタカナのステイタスが、高い身分という設定されたものを表すのに対し、英語のSTATUSは、上がったり下がったりするし、上げたり下げたりできる、流動的なものなんですね~。

元はラテン語で「立つ」という意味。

流動的な対人関係の状態を切り取って表すSTATUS。
日本語にもまさにぴったりの言葉があります。

「立場」

出し抜かれてしまったときに発する
「オ、オレの立場はぁ!( ̄□ ̄;)!!」
とか

社会的に立場が弱い、単純労働のパートのおばさんが、家庭に戻ればだれよりも立場が強いことが、よくあります。

誰もがひれ伏す○暴系のおっちゃん(立場が強い=ハイ・ステイタス)が、孫娘の言うことには絶対逆らえない(立場が弱い=ロー・ステイタス)

美しくてたをやかで、みんなの憧れの的の女性(強い立場)が、うっかりおならをしてしまったのを誰かに聞かれた瞬間、彼女の立場は低くなります。

***

ステイタスの関係は社会的立場という、ほぼ固定された状態とは関係なく、二人以上の人物が存在するときに、シーソーのように、天秤のように動き続けます。

さっきの例を使えば、そのたをやかな女性が、おならをしても、それが誰にも見られていなければ、彼女は自分の立場が弱くなった(ステイタスが低くなった)なんて感じませんよね。
誰かにおならを聞かれたときに、その人との人間関係が生まれる、それと同時にステイタスも生まれるのです。

では、いつも相手がいてこそなのか。
いえ、一人きりでも、ステイタスは存在します。

対物のステイタス。

小さな子供が、河原で石ころを拾いました。
その子は《大事に》それを持ち帰る。
(子供は石ころより、自分のステイタスを低くしています)

家に帰ると、お母さんは、そんな汚い石ころは捨ててしまいなさい!と言う。
(石ころのステイタスは母親に貶められる)

子供がそれを持ってトボトボと歩いていると、古物商のじいちゃんが、声をかけた。その石ころをじいちゃんは珍しいと思い、ちょいと因縁を講釈に加えて、売ってやろうともくろむ。
(石ころのステイタスを上げてやろうとする)

子供に、くれと言うと、子供は「五百円」ならと言う。
(じいちゃんは石ころのステイタスを下げているが、子供は上げている)

さて古物商の店先に並んだその石ころを考古学者が見つけ、これは人類の文化の大発見を証明すると確信する。
古物商には、それを告げず、そんな偽物に金が払えるか!と一喝し
(石ころのステイタスを下げ、同時に古物商のステイタスも下げる)
その石ころをまんまと手に入れ、学会で発表する。
子供が河原で拾った汚い石ころは、今や博物館のガラスケースに納められ、何人もの警備員に守られている。
(石ころのステイタスが人間よりも高い)

ね。

対物だけではありません。
空間に対してもステイタスはありますし、変化します。

大会社の面接。
会社の正面玄関に圧倒されたことはありませんか?

小学校の入学式。
校庭はいかにも広く、自分がいかにもちっぽけに感じませんでしたか?

見事な寺院や宮殿、雄大な景色にど肝を抜かれたことは?

恋人の家に初めて上がったときに、ずかずかと歩き回る人などいないでしょう。

このように、空間に圧倒されるとき、空間のステイタスはあなたより高いと言います。

え、あなたは平気で歩き回る人ですか?
ならそれは、正直なところ、空間や相手よりも自分のステイタスが下がったという事実に耐えられず、自分のステイタスを無理に引き上げようとしているのではありませんか?

さてしかし、同じ空間を再訪したら、どうなりますか?

初めて訪れたときのようにはびくつきません。
空間のステイタスが下がったのです、あなたがその空間を少し知ったがゆえに。
訪れるうちに空間のステイタスは、ほとんどの場合、かなり下がります。
学校などが相手ですと、落書きしたり、傷付けたりしても平気なくらい、生徒のステイタスは学校という空間よりも上になります。

そう、空間・物・人が有る限り、そこにステイタスという大変興味深い関係が存在します。

俳優が最初にこれを勉強するのは、何かを表現してやろうと自分主体に芝居がかるのをやめさせるためです。

「ここはえらそうにするところだ」
とあらかじめプランしておいて、別にえらそうにしなくても良いところでえらそうにしてしまって、妙にうそ臭くなるのではなく、
ステイタスを対象よりも高く維持したい、思うだけで、すべては即応的で自然になります。

現実は、他者から受ける即応的な反応の積み重ねであり、
演技とは、他者から受ける即応的な反応の積み重ねであるべきだからです。

ステイタスをどうしようかと考えたり、ここはこのステイタスから始めよう、と思うだけで、演技は即座に驚くほど変わります。
できごとやセリフは自然で、たくさんの発見があり、俳優も登場人物も観客も、エキサイティングな驚きに満ちた時間を過ごすことができるのです。

演劇の定義

2008-06-12 14:58:10 | 演技って?
いわゆる台詞劇にとどまらず、言葉を使う舞台芸術は以下のことを行う場所であるように思います。
※※※※※

言葉の博物館

言葉の実験場

言葉の実用見本市

※※※※※

すなはち、
言葉の博物館として、時代を経た戯曲の言葉をそのまま保持する場所。

埃を被った、とするのではなく、嘗てそれらの言葉が生きていた時代の記憶を含めて、過ぎた時代の言葉を大事に抱き寄せるため。

すなはち、
言葉の実験場として、新語造語古語方言や新しい発音でさえ、いかにして言葉の芸術作品に編みこんでいくか、それを自由に、批判を怖れずに試せる場所。

すなはち、
言葉の実用見本市として、戯曲の中の劇世界に於いて、ある世界を構築してみせること。
実験場としての意味が、より実験的で抽象的で意味の曖昧さが主に許されるのに対し、実用見本市はもう少し日常会話的で、意味がはっきり伝えられることを目指す場所。

いかが?

RADA 英国王立演劇学校の3年間

2007-06-24 21:28:24 | 演技って?
さて、RADA連載2回目。
今日は、ラダの3年間のカリキュラムを概観します。

<ラダの学校制度と多彩なプログラム>
前回書いたように、ラダの理想は高く、守備範囲は広い。
国庫の補助はないが、貴族や企業、文化人たちからの寄付は多い。

が、理想を掲げたり設備を新しくしたりするのは簡単だ。
難しいのは、それをどうやって実際の演技教育に反映するかだろう。

ラダの学校制度は三年間の俳優養成と二年間の舞台監督養成の二部門。
いずれも狭き門だが、ことに俳優部の入試は厳しい。
世界各国から高卒大卒を問わず、或いは仕事をやめてまで、2500人から3000人もの俳優志望が受験しにやってくる。

書類選考はなく、全ての志望者がチャンスを得る。
ロンドンとニューヨークで長期に亘るオーディションがあり、最終に残るまでにおよそ4段階を要する。
本人のやる気と才能は言わずもがな、最後には一緒に勉強する仲間たちと切磋琢磨し互いにプラスの影響を与えながら授業に臨めるかどうか等、本人の人間性までも考慮して選考する。

合格するのは男女わずかに十七人ずつ。

こうした熾烈な競争を経て合格した仲間たちは必要に応じて、クラス単位、少人数単位、或いは個人レッスンを通して、声と体と頭を訓練していく。

最初の一年は個人の癖を取り去ることと感性を磨くことに重点がおかれる。
二年目はいろいろなジャンルの台本を少しずつ使用しながら応用を学ぶ。

この間、公の場での公演は一切ご法度。
校長ら講師陣を前にしての短い作品発表は学期ごと、授業ごとにあり、学生は評価とコンサルティングを受ける。

最終学年になって、漸く一本の作品を演じるだけの技量を身につけたとされるのだが、ここからが戦いだ。
一年間でジャンルの異なる五本の作品に出る。
稽古期間はいずれも約六週間、平日朝十時から夜十時までで、公演は二週間。
それぞれの公演にはイギリス中の演劇・映画・テレビのプロデューサーや演出家、キャスティング・ディレクターやプロモーターたちがハンティングにやってくる。
誰もが敵より先に大きな原石を見つけようと躍起になっている。
彼らの目に留まれば在学中でも映画やテレビに抜擢されることがあり、実際、毎年一、二名はそういう人物が出る。

卒業式から一年以内に全員が立派な仕事につき、どこに行っても、どんな演出家の元でも、どんなジャンルの作品に着いても結果を出してくる。
これも、入学当初から選び抜かれた天才たちだからか。

そう言ってしまうのはたやすい。

だがその結論を出す前に、ラダの授業内容をもう少し細かく見てみよう。

つづく。