三輪えり花の脳みそ The BRAIN of ELICA MIWA

演出家、三輪えり花の脳みそを覗きます。

シェイクスピアの説明的描写の演じ方:マクベスを例に

2011-12-02 15:25:11 | 演技って?
シェイクスピアの戯曲は台詞が長く、何でそんなにしゃべるの?そもそも、独り言でしょう?とツッコミをいれたくなる場面がたくさんあります。
そうした場面を演じるとき、登場人物の内面を見てみましょう。
悲劇「マクベス」から、マクベス夫人が、夫マクベスに国王殺害を唆し、そのお膳立てをして、夫が殺害現場から戻ってくるのを待っているところを例にとってみましょう。

たった一人。
真夜中。
広い城。
王が寝ているべき部屋に登る階段のふもとのやや開けた場所。

次の台詞の部分です。解説の都合上、思考が展開するところで改行し、行の頭に、解説のための番号を振ってあります。

<マクベス夫人の台詞>
1 しっ! 静かに!
2 金切り声をあげたあれはフクロウ。
3 あの人はそろそろ。
4 扉はすべて開けてある。
5 侍従たちは、お役目をあざ笑う高いびき、あのミルク酒には薬をいれておいたもの。

<マクベス>
誰だ?なに?おい!

<マクベス夫人>
6 たいへん!侍従が目を覚ましたか?
7 それなら 成し遂げられない。
8 試みだけでことが成せなければ、あとは破滅。
9 短剣は二本ともすぐそばにおいてきた、
10 見つけられないはずがない。
11 あの寝顔がお父様に似ていなければ、私が成し遂げていたのに。

*****

① 「しっ! 静かに!」
夫人はシーンとしている中に響いたフクロウの声にギョッとして、悲鳴をあげかけます。それを抑える。自分の心臓を鎮めています。

② 「金切り声をあげたあれはフクロウ。」
そして、音の正体を分析することで理性を取り戻そうとしています。理性を取り戻すにはしゃべって「言語化する」のが大事ですので、本能的にそうした作業をしています。

③ 「あの人はそろそろ。」
理性を取り戻したところで、現状を認識する作業をします。夫はそろそろ国王を殺害する頃だ。

④ 「扉はすべて開けてある。」
夫の作業を助けるために自分がしたセッティングを一つずつ分析して手落ちがないことを確かめます。まず、扉は全部開けておいたから、たどり着けないということは絶対にない。

⑤ 「侍従たちは、お役目をあざ笑う高いびき、あのミルク酒には薬をいれておいたもの。」
国王の寝室の前に陣取る二人の侍従には、お酒を夫人自らがご馳走しました。(俳優は、何と言って彼らをもてなしたかを考えてみましょう。「お役目ご苦労様。この城の中では何の心配もいらないから、まあお酒でも飲んで。ささ。」など。)しかも、絶対に目を覚まさないように、薬も盛った。こうして、自分のセッティングに手落ちはないことを確認している矢先、マクベスの叫び声が響いてきます。

⑥ 「たいへん!侍従が目を覚ましたか?」
咄嗟に頭に浮かんだ、考えられる可能性が口をついて出ます。

⑦ 「それなら 成し遂げられない。」
その不安が現実だった場合の結果が脳裏に浮かびます。

⑧ 「試みだけでことが成せなければ、あとは破滅。」
さらに、その結果どうなるか、つまり私たちは「破滅」という結論が導き出されます。こういう場合、演技、ことに台詞は急がないこと。「試みだけで成し遂げられなければ」の仮定節を言いながら、その仮定が本当になった場合を仮体験していく時間として使うのです。そして、「あとは破滅」というとき、「破滅」という単語が出る直前の間を大事にすると、それが口にするのも恐ろしい一言なのだということが観客にも良く伝わるでしょう。

⑨ 「短剣は二本ともすぐそばにおいてきた、」
(本当はこの直前に Hark! 「しっ!」という単語がもう一つ入るのですが、これは演出と解釈の可能性のバリエーションが多すぎるので、ここでは触れないでおきます)そして夫人は、「破滅」に至るかどうかの瀬戸際で、今一度、自分のセッティングに手落ちがなかったかを確かめます。

10 「見つけられないはずがない。」
短剣は置いてきたと言いつつ、その時の行動を記憶の中に探し、置いた場所が暗すぎたのではないか、とか通り過ぎてしまったのではないか、との不安も感じ、いやいや、「みつけられないはずはない」と結論づけます。

11 「あの寝顔がお父様に似ていなければ、私が成し遂げていたのに」
それならさっきの夫の叫びは何だったのか? 夫はなぜまだ戻ってこないのか? 不安に押しつぶされそうになりながら、「自分がやっておけばよかった」と呻きます。

いかがでしょう?
どの台詞もカットできないほど重要であることがわかります。
「喋る」という作業は、曖昧模糊とした恐怖や不安を「言語化」して知性と理性で撃退しようとする本能的な作業なのです。
私たちが日常、日記を書いたり、つぶやいたりするのは、この思いを「聞いてもらいたい」という以前に「解消したい」という衝動を持っているかです。

さて、上記の台詞はこのように、台詞をしゃべる流れに沿って考察することもできますし、最後の台詞から逆に考えることもできます。

マクベス夫人はなぜ、自分がやっておけば良かった、というのか?と。

このような質問のとき、戯曲のあまりにも凄まじい場面から離れ、日常で考えてみましょう
たとえば:
「あのとき、私がお湯を沸かしておけば良かった」。

どういうときにそう思いますか?
お湯を沸かす担当の人が沸かしていなかったとき
なぜその担当者はお湯を沸かさなかったのでしょう?
グズだから。
そういう感情的な想像も良いでしょう、でも担当者を罵倒する前に、あなたも落ち着いて「なぜできなかったか」を第三者的に眺めてみませんか?
あ、その人にもやれない理由があったかもしれない。
たとえば?
忙しかったから、とか、トイレに行っていた、とか。
その人の理由だけでなく、あなた自身とその人との関係は?
担当者は私を頼っています。
その担当者がお湯を沸かすという作業をするに当たり、あなたはなにも関係ありませんでしたか?
湯沸かしの場所を教えたり・・・あ、そうですね、私が、その人がお湯を沸かせられるようにお膳立てをうまくできなかったから、という理由も考えられます。
そうです。そこで、こんな心配するくらいなら、自分がやっときゃ良かった、ということになるのですね。

マクベス夫人も全く同じ心理をたどると思って良いでしょう。
つまり、マクベス夫人は、帰りの遅い夫を待って、遅い理由を考えているのです。
そして自分がしたお膳立てが、ちゃんと自分のプラン通りであったはずだと記憶を調べている。
見張りは酔っ払わせた。しかも薬も盛った。短剣も二本とも見えるところにおいてきた。もしかしたらくらすぎたかしら?いやいや見つからないはずはない・・・ああ、私が自分で、殺してしまえば良かった・・・

どちらのアプローチを用いても、マクベス夫人が、不安にの中で、お膳立ての記憶を精密に調べようとし、それを明確に自分に納得させるために「言語化」し、さらに「声に出して自分に聞かせる」という大事な作業をしていることにかわりはありません。

説明的に思われる台詞も、観客への情報提供のためだけの便宜的な台詞ではありません。
ちゃんと演技に組み入れましょう。


夫人のこんな心理くらい、分析しなくても読めばわかる。

もちろんです。

けれど、上記の番号順に、たとえば、ちゃんと一言ずつの「異なる心情」を演技に反映させていますか?
急ぎすぎてはいませんか?

突然の金切り声に恐怖する。
声を出しかけた自分を抑える。
抑えてから分析する。
フクロウだったと納得する。

最初の2行でもこれだけアクションが変化しているのです。
これをまがまがしい雰囲気でしゃべるだけでは、夫人の経験する一つ一つのアクションが、一色に塗りつぶされてしまいます。

アクションは、
ひとつずつ
確実に通過して
確実に
「終える」こと。
次へいくのはそれから
です。

上記の台詞を11のアクションはを全部確実に「変化」を辿れるように練習しましょう。
文字を書くとき、曖昧に「こんな感じ」で書く人と、きちんとハネやトメを書く人がいます。
ハネや止めがはっきりした字が書けるようになってから、崩し字体や、自分らしい字体をかけるようになりますね。演技も同じです。
変化をはっきりと出すためには、ひとつひとつのアクションの内容をはっきりと提示しなければいけません。


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