三輪えり花の脳みそ The BRAIN of ELICA MIWA

演出家、三輪えり花の脳みそを覗きます。

演劇の定義

2008-06-12 14:58:10 | 演技って?
いわゆる台詞劇にとどまらず、言葉を使う舞台芸術は以下のことを行う場所であるように思います。
※※※※※

言葉の博物館

言葉の実験場

言葉の実用見本市

※※※※※

すなはち、
言葉の博物館として、時代を経た戯曲の言葉をそのまま保持する場所。

埃を被った、とするのではなく、嘗てそれらの言葉が生きていた時代の記憶を含めて、過ぎた時代の言葉を大事に抱き寄せるため。

すなはち、
言葉の実験場として、新語造語古語方言や新しい発音でさえ、いかにして言葉の芸術作品に編みこんでいくか、それを自由に、批判を怖れずに試せる場所。

すなはち、
言葉の実用見本市として、戯曲の中の劇世界に於いて、ある世界を構築してみせること。
実験場としての意味が、より実験的で抽象的で意味の曖昧さが主に許されるのに対し、実用見本市はもう少し日常会話的で、意味がはっきり伝えられることを目指す場所。

いかが?

TWELFTH NIGHT: CHARACTERS 十二夜 登場人物考 おさんかた

2008-06-10 21:02:18 | シェイクスピアって?
シェイクスピアの喜劇 TWELFTH NIGHT 十二夜 の登場人物から、主人公三名について。

VIOLAを主役とするこの物語、男装したVIOLAに恋するのはOLIVIA

OLIVIAに恋するのはMALVOLIO

VIOLA
OLIVIA
MALVOLIO

何か気付きませぬか?

そう、この人たちの名前は同じアルファベットの並べ替え遊びで出来ているのです。

解釈としては、

OLIVIAはVIOLAと同じ要素を持つダブル。
二人は互いの内に境遇の類似性ばかりでなく、性格の相関性も見い出します。

初めは相手の中にある似たもの同士的なところに本能的な嫌悪を抱きますが、そのうちに、それ故にこそ親近感を抱いてゆきます。

似ていると同時に表現の仕方が全く異なるため、互いに自分には無いものを見い出して、結果として、忘れがたい存在、互いに引き合う存在となってゆきます。

一方、MALVOLIOですが、彼は他の登場人物に
monsieur MALVOLIO
と呼ばれているところから、フランス系の雰囲気です。
フランス語で MAL は、「悪い」という意味。
VOLIO の語源がやはり WILL ですから、MAL-VOLIO は、悪い意志を持つ男という意味になります。

戯曲での彼はホントに鼻持ちならないいけすかないヤツで、後半では散々いじめられ、懲らしめられます。
それでも退場前に負けじと
「貴様らみんなに復讐してやる!」
と棄て台詞を吐いていきます。

現代でこそ、彼の行為にも正当性を持たせ、いじめられる彼の哀れさを人道的に表現し、結果として、いじめる酔っ払い五人組が悪いという風に演出されるのが主流になっています。

が、シェイクスピアの時代にはおそらく、MALVOLIOは、名は体を表すように、悪い意志を持った、懲らしめられるべき存在。

懲らしめられても懲りずに尚、毒舌を吐いていくことで、やはり救いがたい悪い意志で、あのイジメは当然だったのだと、観客は納得したのではないかしら。

同じ単語が語源でもこんな風に遊べます、とニヤニヤしてるシェイクスピアの顔が目に浮かびます。

TWELFTH NIGHT:CHARACTERS:VIOLA 十二夜 登場人物考 VIOLA

2008-06-08 12:15:00 | シェイクスピアって?
シェイクスピアの喜劇 TWELFTH NIGHT 十二夜 の登場人物から、主人公VIOLAについて。

VIOLA
一番の主人公。
名前の由来は WILL。

このwillは、意思であり意志であり遺志でもある。
いづれにせよ、基本は《前向きな良き意志》とされる。

そう、VIOLAはそれを体現している娘なのです。
だから、彼女は常に前向き。

戯曲冒頭、海の嵐に難破して、自分一人が助かって、唯一の肉親である双子の兄を喪った悲嘆に暮れながらも、兄と同じ格好をして、兄としての人生を生きると決める潔さ。
そうと決めたら笑顔で前進あるのみ。

「あとは野となれ山となれ。時にこの身を委ねるの。さあ、連れて行け!」

もちろんシェイクスピアの名前もWILL。
言葉遊びと裏の意味をつけるのが大好きな彼がそれを意識しなかったはずはない。

ところでVIOLAが兄としての人生を生きるために自分に付けた名前は

CESARIO
セザリオ

この語の意味は《帝王切開》

古代Rome以来最大最強の英雄JULIUS_CAESARが産まれるとき、自然分娩ではなく、腹部切開により子宮から無理矢理引き出されたことから、後、そのように出産させることを帝王シーザーに倣い、帝王切開と呼ぶようになった。

つまりVIOLAは自らの新しい人生を、自然な誕生ではなく、無理矢理この世に引っ張り出された者として名付けたのである。

因みに、印刷された戯曲や台本にはVIOLAと登場人物リストに書いてあるが、その名前は劇を観る観客の耳には最後の最後になるまで明らかにされない。

彼女がまだVIOLAである冒頭ではLADYとかMADAMと敬称で呼ばれ、次に少年に変装して登場してからはずっとCESARIOという名前しか呼ばれない。

だからラストシーンで彼女が、死んだと思っていた兄に再会し、その兄が
「溺れ死んだはずのVIOLA!」
と叫ぶと登場人物のみならず観客までヒョエッ?と息を飲む仕組みに書かれています。