三輪えり花の脳みそ The BRAIN of ELICA MIWA

演出家、三輪えり花の脳みそを覗きます。

稽古初日とは

2009-10-14 20:54:12 | 演出って?

稽古初日は誰でもわくわくドキドキなもの。それはこんな1日です。

 通常、俳優と全スタッフの顔合わせが、稽古初日になることが多いです。 けれど、演出家とスタッフ、演出家と俳優は稽古初日以前にミーティングを重ねていることもあります。 で、通常、その全スタッフと俳優が揃っての顔合わせ兼稽古初日には以下のことが行われます。

* プロデューサーより、その舞台の上演の経緯と意義について。

* 参加者紹介(全ての俳優とスタッフ。これで、稽古場に誰が出入りするかの顔チェックとなるわけです。ここで紹介された人は稽古場の出入りが自由な場合が多い。)

* 演出家より、この上演のテーマと演出の方向性、社会的意義、何をポイントに作って行きたいかの決意表明。それに対して賛同してもらえるように、そして参加者全員に参加する意義の重要さを認識してもらい、士気を高める役割です。政治家のマニフェスト宣言ですね。

* 舞台装置家より、舞台装置の模型を提示して、俳優たちに、自分たちがどのようなセッティングで台詞を喋り、動くのかについての視覚的イメージを持ってもらいます。

つまり、稽古初日にみせる模型ができる前に演出家との打ち合わせは3度以上は重ねているはず。照明デザイナーと装置家と一緒の会議も多く、装置をどうやって照明で生かすか、も一緒に考えていきます。

 さて、この模型を俳優たちに見せる段階で、舞台装置家は、どこがどういう風に動くか、どこに階段があって、どこが危険か、どこが意図的に芸術的・技巧的になっているか等を説明します。

一方、演出家は、なぜこの装置に心から賛同しているのか、それはなぜなのか、それが芝居のテーマや観客に持ってもらいたい印象に関わってくるのか、コンセプト的なことをメインに説明します。

また、つづいて、場面ごとにこれはこう使う、ここではこうなるけど、ある時点でこうなる、等の仕掛けを説明したりします。抽象的な装置でも、ここはプールサイドなつもり、とか、ここは元老院、とか、具体的な場所の感覚を俳優と共有します。

* それから、衣装プラン(これは既に稽古場の壁に貼ってある場合が多い)を見せながら、衣装デザイナーから説明があります。

そこで、俳優たちは、自分がロングスカートを稽古に用意すべきか、長いローブを身にまとうなら、それのさばき方が問題だな、とか、おお、こんなにヒールの高いブーツで踊るのか、とか、そうした問題点ばかりではなく、うわあ、こんなにセクシーなんだ、とか、役柄の解釈も膨らませていきます。

* こうして、俳優たちの頭の中にある程度、立体的な役柄と動きの絵柄が浮かんできたところで、全スタッフのために、読み合わせを行います。

これによって、スタッフは初めて俳優たちによる生の声の台本を耳にするわけです。

 スタッフたちは最高の観客の一人。つまり、最も耳の肥えている観客、ある意味で、演出家以上にシビアで、常識的な観客なのです。だから、彼らが納得しない点は、演出家は耳を傾けるべき(必ずしも言うことに賛同しなくても)ですし、彼らが単純に疑問に思った点をシンプルに追求するきっかけになります。

一方で、スタッフとしても、なるほど、こんな解釈もあるんだな、とか、へえ、そうきたか、とか、それならここは音響をこんな風に入れよう、とか、ここで照明をこう変えるのもありだな、とか、やはりスタッフなりに、自分のアイディアをたくさん刺激されるとても良いチャンスにもなります。

* 稽古初日がおわると、日本では稽古場でビール「よろしくお願いします」がある場合も多いです。そこで、フォーマルな場で伝え切れなかった自分たちの不安や、お互いを知り合う、という機会ですね。私も、こういうプロデューサー主導のガス抜き飲み会は結構好きです。

てなわけで、シェイクスピアなら読み合わせだけで3時間近くかかるものもありますし(ハムレットなんか、もっといく場合も)、1幕ものなら、読み合わせは70分くらいですから、初日時間はまちまちです。 そして、今度は舞台初日に向けて心を一つにしてがんばろう、となるわけですね。


稽古で最低限必要なこと

2007-03-19 23:36:33 | 演出って?
稽古の仕方なんてものは、演出家によって様々なのですが、誰がなんと言おうとどうしても必要なこと、実際的なこと(テクニカル・マター)を考えてみましょう。

まず必要なのは、稽古をする場所です。
台本なんか要りません。
稽古しながら作っていく場合もあるのですから、台本はあとからでもいいのです。
14世紀から続くイタリアの喜劇様式コメディア・デラルテには、本番になっても台本はなく、「プロット」と呼ばれる筋書きだけを上演前に確認しあって、即興で舞台を進めたものです。
それでも、即興をどう進めるかの稽古はいつもしていました。
アクロバットや決闘の稽古も必要だし。
そう、演劇を上演するために必要なのは、稽古できる場。

室内でもいいし、野外でもいいです。

美内すずえの名作マンガ『ガラスの仮面』では、野外の公園を使って稽古する場面があったと記憶していますが、いいんです。かまいません。
シェイクスピアの名作『夏の夜の夢』でも、アセンズの職人たちは「町から一マイルばかり離れた森の中の、公爵の柏の木のふもとの小ぢんまりした空き地で」稽古をします。「街なかじゃ、人目について、せっかくの計画がばれてしまうから」です。
しかし天候上の理由から、ほとんどの団体が、室内稽古を好みます。

室内での稽古は当然、広いほうが望ましいですね。
理想は、使用する舞台面と同じ広さがとれて、なおかつ、スタッフと出番待ちの俳優が座っていられる場所、俳優が着替えられる場所、舞台を出入りする小道具を置いておける場所、お茶場、の4点をカバーできるところが選ばれます。
ミュージカルのような、動きが主体になる作品ですと、舞台と同じ装置を稽古場で組む必要がありますから、高さも必要です。

アメリカ映画では、演劇やミュージカルの練習をしている場面でよく、セットが劇場になっていますね。
嘘だろ、と思うけど、うらやましいかな、自分たちが上演する劇場そのものを使って、どんどん装置を組んでしまって、そこで稽古していく団体もあるのです。
劇場の照明デザイナーや音響デザイナー、作曲家がその気になってくれれば、稽古の最中から彼らと、この場面でこんな効果をつかってみるから、それに合わせて動いてみようか、なんていう、「音響と照明と俳優のコラボ」的なことまでできるときもあります。

理想ですな。

さて、貧しいわが国では、稽古場では、効果音は演出助手が 声で 出します。

「雨降ってきまーす」「暗くなりまーす」(ト書きと演技のタイミングを合わせるとき)
「ガチャ」(ドアの開く音)
「ウィーン・・・」(機械が動く音)
「ドカーン」(爆発音)
「ブロローン」(車が発車する音)
「キキィーッ」(車が止まる音)
「パアーッン」(なぜか都会の音。ニューヨークの高層アパートの下の道路から聞えるクラクションのイメージか)
「カアカア」(夕方。なぜか和風。)
「ちゅんちゅん」(野外。あるいは窓を開けた瞬間など。なぜかスズメ。)

アナログ。
ほほえましいけど。
アナログ。

実際の音響録音が届くのは、通し稽古が始まってから、なんてことも。
できるだけ早く用意してくれるのが、良い音響さん。
本番1週間前頃からようやく、本番で音響卓を操作するオペレーターが稽古場に入って、演技とのタイミングを憶えていきながら、音を出してくれます。

照明や音響スタッフの話が出てきましたが、即興劇でない限り、この頃には台本が必要になってきます。
台本がなぜ必要かというと、打ち合わせに便利だからです。

たとえば、私は稽古場にいないことがない立場ですから、すべてを把握していますし、関わっている人間それぞれが自分の作業を誠実にこなしてくれるものと信じていますので、自分の台本に何かを書き入れることはほとんどありません。
台本も大抵、全員の台詞をそらんじてしまいますし、どこでどういう動きになるかも憶えてしまいます。
(次の作品に取り組むと忘れますけどね。いいの、必要なときだけで。)
このように、一緒に稽古してきた相手同士なら、それぞれが自分の動きを知っていれば済むことですが、外部のスタッフにそれを伝えるには、統一された「こういうものをやります。タイミングはここです」を同じフォーマットで伝える必要があるので、だから台本という統一フォーマットが必要になるのです。

稽古の話に戻りましょう。

舞台装置が決まっていれば、それを稽古場に持ってきます。
実際に舞台装置を入れられれば何の問題もありません。
しかし、そんな予算がないのが普通です。

そういう場合は、舞台装置の壁やドア、森の木が立っているところや、動ける範囲などを、ビニテ(ビニールテープ)で、区切っていきます。
階段の段数もきちんととり、ドアの開く方向などもビニテで矢印を書きながら、わかりやすく見えるようにしておきます。

その中で稽古しながら、物の場所や人の立ち位置がだいたい決まってくると、その地点をマーキングします。
これを「場見り」「バミリ」と言います。

「バミリはどこですか?」とか「そこ、バミっといて」なんて風に使います。

観客席からは見えにくいように、椅子やテーブルの後ろ足の舞台奥側に、舞台面と似たような色のカラーテープを貼ります。
立ち位置の場合はバツ印のバミリの上をどっちの足で踏むのかまたぐのか、俳優の癖と相談しながら貼ります。
場面によっていくつも位置が変わる場合は、カラーテープの色を変えたり、さらにテープの上に「○幕○場、ひじかけ椅子」と書いたりして、間違えないようにします。

俳優って、からだの角度や歩数と、グラスを持つ手はどっち?なんてことと一緒に台詞を憶えていくし、何歩目に相手の台詞を聞いていれば、ちょうど効果的な位置で振り返れるな、とかを計算しながら稽古するんです。
照明の照らし方にも大きく関わってくるし、バミリはものすごく重要です。

ことに、高さがあるのに、平面でしか稽古できないような場所では、演出家は口をすっぱくして、「そこは210cmの高さのところに立ってる台詞ですからね。手摺はこことここにつけておきます」とか「そこ、高さは90センチですけど、幅が70センチしかないので、走るとき、気をつけてくださいよ」とか、言い続けることが大事です。
言っても、なかなか俳優は実感しにくいようですが、いざ舞台に行ったとき、「知らなかったよー」と彼らの不安を高めなくて済むように。
平面でのバミリだけの稽古でも、ある時点で、脚立などを使ってもいいですから、高さを実感させておくことをお勧めします。それだけでも、俳優はだいぶ覚悟とイメージができますから。

それから、着替えの場所と舞台までの距離。
これも稽古中に確認しながら進めます。
楽屋に戻っている時間が見込めないときは、「早替え」ができるように舞台袖に鏡とライトを用意するよう、舞台監督チームが手配します。

観客からの視線も確認します。
劇場の客席が、上から覗き込み式なら問題はありませんが、舞台面より下に客席がある場合、テーブルや椅子の背もたれのせいで、奥に座っている人が見えなくなる危険があります。

物だけでなく、人の位置が別の登場人物を隠してしまうときもあります。
誰が確実に見えていなくてはならないか、誰をどの瞬間に見せなくてはならないか、観客席の両端の席からでも、必要なところが見えるか。
これを「見切れ」「ミキレ」の確認といいます。

「そこ、ミキレてます。」
「これじゃ、ミキレちゃうな。」
みたいに使います。

演出家は稽古場で中央に座っているだけではいけません。
客席を想定してミキレを確認していきます。

それから、衣装。
これで稽古するのは実はとっても大事なのです。
特に大事なのは、靴と襟元と裾。

男性はロングブーツなのか否か、詰襟なのか、ネクタイをしているのか、襟はゆるいかどうか。
一般の方でも、ネクタイをしているのか否かで雰囲気も気持ちもずいぶん違いますよね。
会社の新人のスーツが浮いて見えてしまうように、俳優も同様で、19世紀の貴族の襟元がきゅっとなった衣装のはずなのに、いつもTシャツで稽古していたのでは、いざ衣装を着たときに、借り物に身を押し込めているような感じになってしまいます。
女性も、18世紀ロココ調の広がったスカートなら、人と人との距離も違ってきます。

衣装については長くなるので、別トピックを立てますね。

以上、稽古に必要なテクニカル(技術的に必要なこと)を挙げてみました。

稽古の進め方や方法については、演出家それぞれ、異なります。
いつか別トピックで。

添付ファイルの絵は、稽古場のバミリをイメージしています。
バミリを黒線で、何を示しているかの例を赤ペンで書き込んでみました。





作品選び

2007-02-22 23:16:02 | 演出って?
芝居やりたい!
と誰かが思うところから作品選びが始まる。

誰がそう思うかで、道は異なる。

俳優なら作品より先に仲間を集めるかもしれない。

プロデューサーなら先に主演俳優をハントするかもしれない。
演出家を確保するかもしれない。
作家にあてがあるかもしれない。

いずれにせよ、WHEN,WHERE,WHO,WHAT,いつ、どこで、誰が、何を、を決めて初めて作品づくりはGOになる。

私の場合、演出を引き受けるからには時期WHENはクリアしている。
で、私は空間に触発されるので、上演場所WHEREをまず決める。

劇団昴の仕事なら今は亡き三百人劇場。

奥行きはないが間口は広い。
袖が狭いので大掛りな引き出し装置は無理だがタッパ(天井)が高いので吊りものはOK。
ここでなら、こんな作品が面白そう、という漠然としたイメージができあがる。

劇場だけでなく、劇団の作品だから、劇団を支えてきた理念と、それについてきた観客の期待もある。
それを落胆させずに尚且新しい客層にアピールできる戯曲は?

加えて、劇団での私の使命は「海外の新作を探せ」

ネットで劇評をチェックして、自分の想像力を刺激するものが網にかかったら、芝居の規模や出演人数、昴の俳優なら誰を起用したいか、のあたりをつける。

それから、自分の前作との差別化や、劇団の年間の上演作品とのバランスで、これはイケそうだと思えるものに絞る。
そしたら、プロデューサーを説得するために、その作品がどれほどメリットがあるかを、経済的・芸術的にアピールする文章をひたすら構築するわけです。

そして採用された作品が
イギリスのサスペンス『スィートパニック』
イギリスの心理劇『フィリップの理由』
オーストラリアの喜劇『花嫁付添い人の秘密』
アイルランドの感動家族物『ドリー・ウェストのキッチン』

一方、劇場が決まっていない場合、元々、劇的な非日常空間の好きな私は劇場ではない場所を探しだす。

洋館借りきってみたいな。
  (と言って17世紀イタリア喜劇『友達と恋人と』)
プチホテルのボールルームがありますよ。  
  (と言われて18世紀イギリス喜劇『目的のために手段を選ばず』)
能楽堂もいいな。
  (と言って中世喜劇『ミンナ』)
冬ならライトアップの美しい教会堂がいいな。
  (と言って青山の教会で音楽劇『幸福な王子』『身も心も捧げた友』)
とうしてもイスラムのモスクがいいの。
  (と押し通されて音楽劇『つづきゆくものがたり』)
夏なら野外がいいな。
  とこれはまだ実現していないけれど。

最終的には、言い出しっぺと、大蔵大臣との意見が合致して、すべてがGOになるのです。

そして漸く、現実問題としての、俳優とスタッフの確保が始まり、実際の作品づくりへと動きだす。

翻訳劇の場合は、翻訳もあるしね。

翻訳に間してはまた別トピックで。

お疲れ様でした。

舞台作りの流れ

2007-02-14 18:50:53 | 演出って?
作品がお客様の前に出るまでの流れを概観しましょう。

作品・人員・場所等決定
→稽古・道具や衣裳や音楽準備
→舞台稽古
→上演
というのが大まかな流れです。

ここでは、ざっと解説しまして、ひとつずつに関しては改めてトピックたてますね。

さて

作品決定:上演の一年半前が平均的。
小さなものなら四ヶ月前という短期間も可能ですが、ミュージカルの様に大きくなると二年や三年前なんてことにも。

人員決定:演出意図に従って俳優とスタッフを決めます。
スケジュール調整が主ですが、内情はMONEY!(T.T)

場所決定:ひとくちに劇場と言っても千差万別。
劇場の演技空間acting areaに合わせ、稽古場も確保。
しかし内情はMONEY!

稽古開始前に:
舞台装置や衣裳デザインを決めます。
実験的な作品や、ワークショップで作り出す作品の場合には、稽古しながら考えていくやりかたも。
しかし内情はMONEY!

台本はカットや直しを整えて、稽古初日までに俳優が十分勉強できるよう、余裕をもって発送します。
そのときに稽古予定も一緒に渡してしまいます。
歌や踊りがあるなら、それらをできるだけ早くに準備しておき、演じ手は、読み稽古よりも早くにその稽古に入ります。

稽古rehearsal:
稽古初日に全参加人員が集い、顔合わせをします。
演出プランの発表と共に装置と衣裳も発表します。
そして通し読みをして、互いの現状を把握し、さて、そこから演出でどう変わるかはお楽しみ。
稽古期間は普通の台詞劇で約5~6週間。
場面ごとの稽古をしばらく続け、徐々に繋げて流れを作っていきます。
後半では衣裳合わせもあります。

初日の数日前に「小屋入り」と言って、劇場に移動します。
舞台に装置を建て込み、照明や音響機材をセット。

それからテクニカル・リハーサルTechnical Rehearsal
これは、照明や音響と俳優の動きとのバランスやタイミングを合わせていくものです。
衣裳やメイクもチェック。
真っ暗な瞬間があっても安全に動けるかとか、楽屋から着替えが間に合うか、なんてこともチェック。

そして最後にドレス・リハーサルDress Rehearsal
衣裳・メイクすべて着けて全く本番通りに上演してみるのです。

ドレス・リハーサルと言う言葉は英語圏の言い方で、わりと最近使われ始めた様です。
私は英語圏仕込なので普通に使っていますが、一般にはドイツ・ロシア圏の「ゲネラル・プロデュクシオンGeneral Production」通称「ゲネプロ」が使われています。

このとき、映画のプレビューの様に観客を入れる場合もあります。
イギリスの国立劇場ではドレス・リハーサルが一週間ほども設定されていて、学生や職安通いの人々や高齢者に格安で公開することも。
彼等の反応を見ながら最終的に笑いや盛り上がりを初日に向けて調整していくのです。
記者や批評家が来るのはもちろん初日。
うらやましいシステムです。
当然、初日の質は高くなければいけません。

こうしてお客様には高い対価を支払っていただく、と。

はい、おあとがよろしいようで。

演出家の脳みそ

2007-02-12 19:25:53 | 演出って?
私という人間は、とにかく社会性が皆無でした。
今でも皆無だ!と言われますが、今以上にとことん皆無だったのです。
それがどうして、こんな、かなりの社会性を必要とする、演出家という職業について、こうしてなんとかやっているのか、皆目見当がつきません。

必要に迫られて。
というのが最も大きな理由でしょうか。

戯曲(お芝居の台本になる本)を演出するにはとてもたくさんのことをこなさなくてはいけません。

その作品をどんな絵で見せたいかとか
その作品からどんな音が聞こえてきたいかとか

空想の引金は様々ですし、いろいろ思いつく順序は演出家によって違いますが、少なくとも、人が何かをしている絵の連続で、観客の心を動かさなくてはならぬという大命題は同じです。

すると、絵や音という問題以前に、どんな人物を描写するのかが一番大事になりますね。

そこで必要なのが人間観察。
そして彼らの生きている社会の考察。

とくに道徳と常識。
なぜならドラマの主役たちはほとんどが不道徳と非常識に関わるからです。
私がよく参考にするのは、いはゆる文豪と呼ばれる作家の作品。
明治のものもロシアのものも、心理描写と社会・生活描写が、知らない世界を教えてくれます。

このようにして、その戯曲の内面と背景を勉強して、さてどんな絵で見せようかという段になります。

時代設定をそのまま使うのか、エッセンスを取り出して象徴や抽象で展開するのか…

一般に、演出家のセンスやスタイルが最もわかりやすく人目につくのが、ここです。

が、それが頭の中にある段階までなら社会性がなくても、勉強熱心で、創作意欲と想像力があれば、大丈夫。

問題はそのあと。
これを具現化する段階です。
プロデューサーとスタッフ、俳優、といった、自分とはものの見方の異なる人達を説得しなくてはなりません。

ことに名作古典となると、それぞれが「こうあれかし」というイメージをかなり強く持っているので、刷りあわせはなかなか大変です。

腹を立てず相手を立てて、自分のイメージを上演する意義と根拠を根気よく伝えていかねばなりません。

落ち込まず、疲れを見せず、来るのが楽しいと皆が思える稽古場を作ります。

言うは安し。
10円ハゲができます。

「休みの時は何してるの?」
よく聞かれますが、稽古がなくても休みではなく、次の作品探しや翻訳、執筆が待っている演出家は多いでしょう。
遊びに行っても、場所の内装や照明や、自然の中でも木もれ日やらが全て、作品作りのための情報としてインプットされていきます。
ですから演出家としての活動は絶え間なく続くのですね。
遊びも仕事というわけです。
大変でしょう?

もっとも仕事が遊びなんですから文句は言えません。

演出家の脳みそは、こんなふうに、いつもアンテナを360度に張り巡らせて、
情報受信
→情報解析
→情報分類
→アクセス
→忍耐と笑顔を付加して利用
という具合いに活動しているのです。

きっとこれは演出家やクリエーターだけでなく、優秀なビジネスマンも、同じではないかと思います。

はい、今日の講義はここまで。
質問はありませんね。
さようなら。
気を付けてお帰りださい。