ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

GOAL!

2006-05-26 07:00:52 | 映画
曇り。

まもなくワールドカップが始まるが、それにあわせて「GOAL!」という映画が公開される。
実在するイングランド、プレミアリーグのクラブ、ニューキャッスルを舞台に、
メキシコ移民の貧しい青年がトップチームで活躍するようになるまでを描いたサクセス・ストーリー。

知人に試写会のチケットをいただいたので、サッカーの練習帰りでボールを持ったままの息子を連れて観に行った。
ストーリー自体は至極まっとうなサクセス・ストーリーで、
目新しい要素は何もないのだが主人公の演技、とりわけ生き生きとした目が良くて、引きこまれた。
また、実際のプレミアリーグが舞台となっており、スタジアムの雰囲気などは臨場感たっぷりで興味深い。

誇張はあるものの、プロサッカー選手の世界の裏側も垣間見られる。
また、ニューキャッスルをはじめとしたイギリスの美しい町並みなどが空撮を多用して撮られており、映像はかなり美しい。
ベッカム、ジダン、ラウールがちょい役で出演しており、そうしたおまけもまたファンにはたまらないだろう。
多分にワールドカップを意識した作品であざとさもあるけど、
スポーツものの王道のストーリー展開でもあり、カタルシスとしては見て損はないと思う。
息子は字幕だし、練習で疲れて寝てしまうかと思ったが、かなり集中して最後まで見ていた。

ネットワーク

2006-05-20 15:29:59 | 映画
晴れ。

映画を見る時間がなかなか取れないが、先週の土曜日は天気も悪く久しぶりに家で録りためていた映画を見た。

シドニー・ルメット監督の「ネットワーク」(1976年)。
いわゆる社会派というジャンルの作品を作り出してきた監督だけど、この人の作品はどことなく毒のあるアイロニーとブラック・ユーモア的なところがある。

この「ネットワーク」も視聴率争いに明け暮れるテレビ局の内幕を描いた社会派を装ったように見えて、実はブラック・コメディだという気がする。
狂気のテレビ・キャスターを演じるピーター・フィンチはもちろんのこと、視聴率のためには手段を選ばない、
フェイ・ダナウェイ演ずる女性プロデューサーのヒステリーぶり。
経営陣と対立してクビになってしまった報道部長を演ずるウィリアム・ホールデンさえも、枯れ行く男のダンディズムを感じさせるのかと思いきや、
フェイ・ダナウェイとの情けなくも哀れな老いらくの恋に走ってしまう。根底に流れる主題よりもそれを誇張して描くところについつい笑ってしまうのだ。

視聴率というお化けのためにテレビ局がなりふり構わないのは今も昔も同じだ。
ただ今は視聴者のほうがテレビが映し出す世界の真贋を見極める力を持ちつつある。
ばかなテレビに与するほど視聴者も閑ではないということである。

視聴率の低迷により、ニュース・キャスターのビールは番組からの降板を言い渡されノイローゼになってしまう。
出演中に番組内で自殺すると口走ってしまい、その騒ぎによって彼の番組は一転して高視聴率を稼ぐようになる。
ビールの狂気じみた発言はやがて社会的なブームを巻き起こし、ビールを担いでさらに視聴率を稼ごうとする女性プロデューサーのダイアナは奔走する。
局の経営陣と対立し報道部長をクビになったマックスは、ダイアナを非難するがやがて二人は恋仲に。
ところがやがてビールの人気にも陰りが出てきて、ダイアナら番組スタッフはとんでもない企画を思いつく。

インターネットがなかったあの時代においては、テレビはまさにメディアの王様だったし、とりわけアメリカはテレビが世論をリードしてきた。
76年のアメリカというのはようやくベトナムから開放され建国200年に沸いた年だったが、
一方で社会の歪みに対してメディアの無力さを知ったのではないだろうか。
泥沼のベトナムをどうにも出来なかった脱力感とともに。

あげまん

2006-04-07 22:02:41 | 映画
曇り。

ここのところ映画を見る時間がほとんど取れないでいる。サッカーが始まるとどうもいけない。
生で見た試合をまたテレビで見直して、余計に時間がなくなったりして・・・。

そんなわけでディスクに録りためた映画を久しぶりに見た。
伊丹十三監督の「あげまん」。
伊丹作品はほとんど見ているのだが、この「あげまん」だけは見たことがなかった。
ちょうど私自身が社会人になりたての頃に封切られ、
見に行く暇もなく駅のポスターを見て「あげまんってなに?と」思ったことを覚えている。

伊丹作品の中では低調な気がする。思えばバブル絶頂の頃の映画で、映画のそこここにバブルの香りが漂っている。
どこか焦点の絞りきれていない感じはそういったところに起因しているのかもしれない。

男の運勢を引き上げるナヨコを演ずるのはもちろん宮本信子だが、とにかくひたすら宮本信子が可愛い。
なるほどこういう女が「あげまん」かと納得できるほどチャーミングなのだ。
私にとっての見どころはそこだけだったような気がする。
伊丹十三ならではのシニカルな視点をあまり感じることができなかったからなのだが、
ナヨコの旦那となった政界の黒幕、大倉の「人間を自由に操ることのできることこそ、最高の喜びだ」
というセリフに監督が映画に託した思いを見たような気がした。

ゴッド・ファーザー

2006-02-05 15:18:16 | 映画
昨日はもう一本、「ゴッドファーザー」も見た。初めて見たのは高校時代だったと思うので数十年ぶり。

この映画は一人の男の成長の物語とも言える。それは言うまでもなく、ドン・コルリオーネ(マーロン・ブランド)の三男マイケル(アル・パチーノ)である。

第二次大戦から戻ってきたエリート軍人のマイケルは父が率いる"血のファミリー"とは一線を画していた。
しかし、父ドン・コルリオーネが対立するタッタリア・ファミリーとつながりのある麻薬組織、ソロッツォの一味に襲撃され瀕死の重傷を負ったころから、
マイケルは少しずつ変わり始める。自らの宿命を受け入れようと覚悟するのだ。
そのころから線の細いエリート青年マイケルの顔つきが変わり始める。心なしか体型までが逞しくなったように見えるから不思議だ。
対立組織のボスを暗殺し、(このシーンはまさに圧巻といっていい。本当にドキドキする)ファミリーの故郷、シチリアに身を隠す。
美しいシチリアの風景が画面に広がって、このとき初めてあの有名なニノ・ロータのテーマ曲が流れてくる。
このシチリアでの日々がマイケルにとって至福のそして最後の穏やかな日々だったのではないか。
そして、兄ソニーが暗殺されるにいたってマイケルはついに実質ともに自らがゴッドファーザーとなるべき運命を受け入れていく。

私たちはマイケルのファミリーの一員としての成長の姿を見ながら、同時にまた一人の役者の成長の過程をも見ることになる。
どこか所在無げだったアル・パチーノの演技が次第に確固としたものになっていくことによって、
彼自身が俳優としてこの映画を通して成長していくさまを見ることになるのだ。

スリング・ブレイド

2006-02-04 23:56:56 | 映画
晴れ。立春だというのに第一級の寒波がやってきた。こんな日は録りためていた映画をゆっくりと見る。

「スリング・ブレイド」という作品を見る。
"スリング・ブレイド"とは大きめの刃物のこと。
主人公カール(ビリー・ボブ・ソーントン)は母親とその愛人を"スリング・ブレイド"で殺して精神病院に収監され、25年ぶりに自由の身となる。
退院直前にカールがアンソニー・ホプキンスのような鋭い眼光で自らの"歴史"を語るシーンは
この物語がスリリングな展開を予感させるかのような緊張感溢れるシーンだが、やがてそのような映画ではないことが分かってくる。
カールは知的障害を持っており、自分の犯した罪の意味を25年かけて理解してきたのである。
退院したカールは故郷のアーカンソーの田舎町で機械修理の店に住み込みとして働くようになる。
鈍重で穏やかで優しげなカールの姿はスタインベックの「二十日鼠と人間」のレニーを髣髴とさせる。
カールはフランクという少年と知り合う。カールの穏やかな父性に、父を亡くしたフランクが惹かれふたりは心を通い合わせることになる。
フランクの母には恋人がいるがこの男がとんだ荒くれ者で、二人を苦しめる。
そしてフランクを守ろうとするカールの目にはやがてはっきりとした意思の光が宿ってくる。

ビリー・ボブ・ソーントンの演技がすばらしい。
監督・脚本・主演の三役をこなしているそうで、じっくりと作りこんだという感じである。
フランク役の少年、ルーカス・ブラックもいい演技をしているし、抑えた質感や音楽にもこだわりが感じられて、
知的障害者の無垢な愛情という手垢のついた主題であるにも拘らず、飽きさせることがなかった。

THE 有頂天ホテル

2006-01-14 22:14:55 | 映画
雨。

三谷幸喜監督・脚本の話題の映画「THE 有頂天ホテル」を見に行く。映画を公開初日に見に行くのはおそらく初めての経験ではないかと思う。
今最も勢いのある脚本・演出家三谷幸喜。
正月は「新撰組!!」の裏で「古畑任三郎」がオンエアされていたり、舞台「12人の優しい日本人」が年末に上演されたり。
とにかく今が旬の人が自らメガホンを取った作品ということで前から楽しみにしていた。

芸多達者な豪華キャストとスピード感のある展開。三谷ワールド全開の作品だった。
例えば、「みんなのいえ」の田中直樹と八木亜希子がホテルのラウンジでまたまた家を作る相談をしていたり、
川平慈英扮するウェイターが「オケピ」で披露したステップを踏んでいたりと、
細かいところでもしっかり笑わせようという三谷幸喜のサービス精神が発揮されていた。
ただ、難を言えば挿話が多すぎてひとつひとつの描き方がちょっと大雑把になってしまったことか。もう少し長くても楽しめたかもしれない。
それから今回は「新撰組!」にも出演していたオダギリジョーと佐藤浩市がコメディで新境地を開いたのではないか。
松たか子もなかなかいい味を出していました。

ともあれ映画を見て笑えるというのはやっぱり幸せ。