インターネット新聞JAN JANの人気投票で3位になった記事をご覧あれ。「フリーターは自衛隊に入ると人格が変わる」といった内容の講演をしたオエライさんの批評だ。
記事によると、教育問題としてフリーターを語ったそうな。要するにフリーターとは怠けている、遊び人だということか? 労働や失業の問題ではないのだろうか?
しかし実際にはサマワに行けば、戦死するかPTSDをかかえて帰ってくるのではないか?
これは貧困層にだけは実質的な徴兵制を敷きたいと、アメリカに媚びているのか。結局、上流・上層の自分たちの身内以外は戦争で死んでも結構です、とでも言うのだろうか。
批評内容や記事の下の掲示板の意見にもあるとおり、たいへんおかしな話だ。これまでこのブログを読んでいる人や、自分自身がアルバイトで働いている人は、この発言がトンチンカンで偏見に満ちたものだと分かるだろう。
他方、最近の変化についてゆけない層・問題があれば被害者当人の責任だと信じている人々・
叩いても安全な相手を確実に打ちのめすグループは、フリーターを非難し叩きつづけるだろう。
彼ら・彼女らは、やっつけても大丈夫な他人なら、誰でも攻撃するのだ。
もちろんわたしはフリーターを自衛隊に入れることには反対だ。そもそも自衛隊が憲法違反だ。
また、フリーターは教育や心の問題ではない。それは失業問題であり、半失業問題であり、労働の問題だ。あるいはまた、世代やジェンダーやエスニシティをめぐる利害の抗争の場でもある。
それを歪曲し隠蔽するこの手の情報が、注目すべき識者の見解として講演になることは、広く一般にフリーター問題が誤解されていることの現われだ。
もっとフリーター問題(という問題自体)について啓蒙が必要だ。それは、決して暗記詰め込み型の権威主義的な教育であってはならない。「解放の教育(フレイレ)」または「自由のための文化行動(フレイレ)」が求められている。
かつてフレイレらがしたように、人々の日常生活に近しい言葉や写真やゲームを用いながら、自分たちの利害や社会的な立場に気づくこと。教えるものと教えられるものとの間に絶対の差異はない。せいぜい相対的な違いしかない。そのことを前提として互いに確認したうえで、対等で真剣な対話によって現状に気づき、何らかの行動につなげること。
もしすぐさま明確な成果が得られなくても、がっかりする必要はない。あきらめず、粘り強く対話すること。意見・情報・リアリティを交換すること。かといって馴れ合いや漫談におちいることなく、より優れたものを目指して高めあうことが大切だ。
今こうしてブログの記事をupする瞬間にも、過酷な条件で働きすりきれているフリーターがいる。職探しに疲れ果て燃え尽きている者もいる。
そのことを意識しながら、フリーターは自衛隊に入るといい、といういろんな意味でふざけた発言に抗議をしたい。
記事によると、教育問題としてフリーターを語ったそうな。要するにフリーターとは怠けている、遊び人だということか? 労働や失業の問題ではないのだろうか?
しかし実際にはサマワに行けば、戦死するかPTSDをかかえて帰ってくるのではないか?
これは貧困層にだけは実質的な徴兵制を敷きたいと、アメリカに媚びているのか。結局、上流・上層の自分たちの身内以外は戦争で死んでも結構です、とでも言うのだろうか。
批評内容や記事の下の掲示板の意見にもあるとおり、たいへんおかしな話だ。これまでこのブログを読んでいる人や、自分自身がアルバイトで働いている人は、この発言がトンチンカンで偏見に満ちたものだと分かるだろう。
他方、最近の変化についてゆけない層・問題があれば被害者当人の責任だと信じている人々・
叩いても安全な相手を確実に打ちのめすグループは、フリーターを非難し叩きつづけるだろう。
彼ら・彼女らは、やっつけても大丈夫な他人なら、誰でも攻撃するのだ。
もちろんわたしはフリーターを自衛隊に入れることには反対だ。そもそも自衛隊が憲法違反だ。
また、フリーターは教育や心の問題ではない。それは失業問題であり、半失業問題であり、労働の問題だ。あるいはまた、世代やジェンダーやエスニシティをめぐる利害の抗争の場でもある。
それを歪曲し隠蔽するこの手の情報が、注目すべき識者の見解として講演になることは、広く一般にフリーター問題が誤解されていることの現われだ。
もっとフリーター問題(という問題自体)について啓蒙が必要だ。それは、決して暗記詰め込み型の権威主義的な教育であってはならない。「解放の教育(フレイレ)」または「自由のための文化行動(フレイレ)」が求められている。
かつてフレイレらがしたように、人々の日常生活に近しい言葉や写真やゲームを用いながら、自分たちの利害や社会的な立場に気づくこと。教えるものと教えられるものとの間に絶対の差異はない。せいぜい相対的な違いしかない。そのことを前提として互いに確認したうえで、対等で真剣な対話によって現状に気づき、何らかの行動につなげること。
もしすぐさま明確な成果が得られなくても、がっかりする必要はない。あきらめず、粘り強く対話すること。意見・情報・リアリティを交換すること。かといって馴れ合いや漫談におちいることなく、より優れたものを目指して高めあうことが大切だ。
今こうしてブログの記事をupする瞬間にも、過酷な条件で働きすりきれているフリーターがいる。職探しに疲れ果て燃え尽きている者もいる。
そのことを意識しながら、フリーターは自衛隊に入るといい、といういろんな意味でふざけた発言に抗議をしたい。
問題はマスコミがフリーターの強がりな台詞を選んで放送しているように思えることです。
「希望格差社会」残念ですがまだ読んでいません。でもそのうち読む予定です。
>問題はマスコミがフリーターの強がりな台詞>を選んで放送しているように思えることで
>す。
そうですね。その傾向はあると思います。民放は視聴率のためならおかしな情報でもどんどん流しますから。NHKはNHKで迷走中ですし……。
最近わたしはほとんど地上波は見ません。CATVには興味はあるけれど経済的事情でダメ。ということで、ブックマークにも入れてあるvideonews.comとかour planet TVを見ています。
この2つのインターネットTV局を見ていると、どうして地上波は、風車発電や狩猟採集民の現状や労働組合員が主人公の映画を放映しないのか? と首をひねることしきりです。