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先入見からいかに自由になるか

2007-09-05 18:16:38 | 現状
取材中に気づいたこと

自分はブロガーとして、仕事について取材することもあるし取材されることもある。
その途中、気にかかるのは、仕事に関する先入見・偏見だ。

「男性の仕事はハードだが、女性ならソフトで気安い。」
「正社員の待遇は御の字だが、派遣・バイトは悲惨(地獄)だ。」
「非正規雇用はいじめられやすい」
「大企業はだいたい法律違反をやらない。それに比して、中小企業はいいかげんだ。」

こういう話、あるいはそれを前提としたことを、被取材者からも取材者からも聞区場合がある。
だいたいは、TVなどマスコミでよく報道されるセリフ、家族や同僚との日常会話でよく言われていることなどがニュースソースとなっている。

「当たり前」を疑う

そんな場合、その場では「うん、うん」「なるほどね」などと流してしまうものの、後から「ちょっと待てよ。ホンマにそう言えるのか? どんな経験に即して? 統計データはあるの? その統計の取り方は?」などと疑問に思うことがある。
中には、本人の語った労働経験と、そういった通説風コメントが、見事に食い違っていることさえある。

見えてきた多様性

派遣で働く女性に取材を申し込む際、「今、雇用とか労働の問題について、いろんな人から話を聞いてまわっているんです。」と告げると、相手はキョトンとした顔をしていた。
彼女自身が働いている派遣の仕事の中に、何か仕事とか雇用に関する問題などないと信じて疑わないような様子だった。それは不思議で、新鮮な反応だった。

時間の関係もあり、その方からは詳しい話を聞いていない。ただ、派遣というのを労働問題だと意識していない人もいるということは理解できた。

これはどういうことだろうか? 派遣の会社が給料もよく、きちんと社会保障に入れて、何の問題もないのだろうか。
それとも、女性は問題だらけの職場環境でも当たり前で、いい家に嫁に行けば、たとえ無給労働であっても食うには困らないという考えなのだろうか。
それとも、職場の問題というものを考える言葉・枠組みから遠ざけられた結果なのか。

詳しいことは彼女に話をうかがわなければわからない。
ただ、相手が派遣だから不幸だとか、アルバイトだからかわいそうだとかいった先入観・偏見を疑いながら取材をしていきたい。
そうでなければ、重要な事実を見落としたり、相手に対して失礼になったりすることもあるからだ。

失敗より学ぶ

ある記者から取材を受けた折、自分の派遣の経験について、思う存分話せなかったことがある。相手が「女性の労働は軽い」という半ば正当だが半ば違う先入見を持っており、わたしもその通説に流されたからだ。
そう当たり前の顔をして質問を向けられると、相手の期待・予想しないことまで言っては相手に悪いのでは? とか特殊な自分の経験・主観にすぎないのでは? などという考えが脳裏をよぎってしまった。
特にしっかりした優秀そうな記者さんにそうおっしゃられると、自分がすごく恥ずかしく思えて、ついついそんな答えに流れてしまった。
そんなときにまでお人よしにならずに、職場でしんどかったことやつらかったことを正直に勇気をもって言えばよかったと悔やまれる。例えば、男性の労働とは異質の退屈さや神経を使うこと、会社によっては女性従業員だけが便所掃除もやらされるのに給与・保障が低いことなどももっとはっきり言ってもよかったと反省しても、後の祭りである。
そこにはさらに、「日雇い・派遣の経験者以外に何を言っても仕方がない」「マスコミの人には分かってもらえない(はず)」とする私自身の偏見・先入見も潜んでいた。

その先入見が事実であるかどうかは、分からない。
〈2007.910追記〉大企業だって労基法違反しているかもしれない。〈2007.910追記〉

もしも今は少数派であるとしても、そのデータをはずして考えを示すかどうかは、議論の余地がある。(多分どちらとも正解なのだろう。)
また、仮に今では少数派だとしても、十年後・十五年後には多数派に変わる可能性もある。ならば、もう少しつっこんだり、別の角度から質問をしたり、答えたりしたほうがいいのである。もっと詳しく・細かく調べるべきなのだ。

完璧主義ではなく

人が通説や根拠のない先入見から自由になることは難しい。難しいからこそ、「自明の原理」からの自由にあこがれる。そのために人はいろんなことをやる。科学かもしれないし、ジャーナリズムかもしれない。瞑想もあればブログもある。旅行なもひとつの方法になる。

話しを元に戻そう。
特に、彼または彼女自身がブログを立てたり、研究者やジャーナリストなどのオブザーバー以外の被取材者に先入観かの自由を求めることは、厚かましいお願いになる。当然、言いにくい。〈2007.910追記〉それでも、相手にお願いするしかない。〈2007.910追記〉

少しずつでもいい。不確かな先入から距離をおいて取材をしたり、取材されたりしていきたい。
それは永遠に終わらない試みになるかもしれない。それならそれで、完全主義にならなくてもいい。絶対的ではなく相対的にでもいい。たった1ミリづつでも、いわれなき先入観から自由になるべく、試行錯誤をしていきたい。

















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