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反・反貧困運動

2007-10-14 00:17:58 | 現状
「ヘレナ・ノーネンバーグ=ホッジの話によると、1975年に彼女がはじめてラダクを訪れたことには、その地には貧困という観念がほとんど存在していなかったのに、『いまでは、その地方の言葉の一部になっている』という。8年ほど前に辺鄙な村を訪ねたヘレンは、一人の青年に『村で一番貧しい家はどこか』と尋ねた。そのときには、『この村に貧乏な家はありません』という誇らしげな答えが帰ってきた。ところが、最近、そのラダク人が、アメリカ人観光客を相手にこう言っていたというのである。『あなた方の援助が得られるといいんですが。なにしろ、この村は本当に貧しいものですから』」(ウォルフガング・ザックス編 ヴォルフガング・ザックス、グスタボ・エステバ、C・ダグラス・ラミス、マリアンネ・グロネマイアー、ジェラルド・ベルトぅー、イヴァン・イリッチ、マジッド・ラーネマ、アルトゥーロ・エスコバル、バーバラ・ドゥーデン、ジャン・ロベール、ホセ・マリア・スベルト、ヴァンダナ・シヴァ、クロード・アルヴァレス、ハリー・クリーヴァー、セルジュ・ラトゥーシュ、アシス・ナンディ、オットー・ウルーリッヒ著 『脱開発の時代ーー現代社会を解読するキイワード辞典』227P マジット・ラーネマの「貧困」の章より 晶文社1996)

何が貧乏や貧困なのか? 
反貧困運動側は、国際的に貧乏はOK、だけど貧困はあってはならないものだとコンセンサスができていると主張する。

しかし、前述したラーネマの記載によると、ペルシャ語では何らかの意味で『貧しい』という印象を与える人々を形容する語は30以上ある。アフリカでは少なくとも3-5語が使われている。旧約聖書にはそれに担当する単語が8つ、中世ラテン語においては40語を超すという。
貧しい者を救おうとする専門家社会のなかでは、国際的に貧困はあってはならないのだろう。
しかし外のコミュニティに目を向けてみれば、決して貧困が単一の概念でもなければ、絶対悪でもないことは理解できる。

第三世界では、開発独裁という形で、国民を貧困から救うためと称して言論・表現の自由がないことに象徴される圧政がしかれることがある。また、そういった国の場合、金・ダイヤ・鉱物・石油・ダム・水など、人々の日常生活から離れた産業が盛んになる。
そうなると、貧富の差が大きく、経済学で言う「オランダ病」になる。(この辺の話は、videonews.comにメコン・ウォッチ
の松本さんが出演したときにも話されているhttp://www.videonews.com/on-demand/181190/000286.php

もっと詳しくこれからのエントリーでつめていく予定だけれど、経験的に言って反貧困運動が、文化多様性を無視した、貧困者にさらなる苦痛・屈辱・混乱を与える運動になるであろうと今から予測される。
今の日本で反貧困運動に反旗をひるがえすことは、貧乏人を救済しない冷たい人、格差社会の現場から目を背ける「認知のゆがみ」などと言われるだろう。
しかしそれでも、100人の会議場で99人が貧困への戦争に賛成票を投じるとき、たった一人であってもそれに反対票を入れる人間も必要だ。
わたしならそうする。貧困への戦争は、結果として貧困層への戦争になると予想しているから。
専門家だけの国際性を疑うから。

それから、わたしの選択と実存のためにも。
かつて進路に悩んだ十代のころ、わたしは一生学校に行かない人生を歩もうと誓った。
その理由はたくさんある。
学校や大学のルールやシステムに賛成できないということ。自分にあった学校なり大学に行く道を家の保守性や女性差別により阻まれたこと。そのほか、そこそこは豊かな国または家のメンバーとしての謙譲の美徳もあった。
そのころわたしは親の年収が少しは高い中流の暮らしをしていた。
そこには金やモノやサーヴィスはあっても、精神が貧しいと日々の暮らしより感じた。
また、脱学校論や再生産論の独学を通じて、学校や大学に行けるのはぜいたくなのだと知っていた。
だったら、自分ひとりが大学進学をやめたって、社会的にはいいことじゃないか。
だって、そうすれば自分の家よりももっと貧しい家の子も学校に進学できるのだったら。
自分は学校も大学もあわないし、賛成できない。だったら、個人的にも社会的にもいいことじゃないか。
そういう考えがあった。
それを「甘い」と人は非難する。家族や友人も含めて。でもそれがわたしなんだから、仕方がない。
貧しくても言いから、一生をフリースクーラーとして送りたい。死んだあとには、遺骨は十代のころに行きたいのに親による子どもの人権侵害によって行かせてもらえなかったアメリカのふたつのフリースクール(The Freeschool ,Meeting school)に散骨してもらいたい。そう思った。
30代になった今も、考えは変わらない。
そのわたし個人の人生をも、反貧困運動はおとしめている。ただのかわいそうな無知な低学歴として「救済」しようとする。
それは、自分に取ってたいへんな苦痛であり、侮辱であり、彼ら・彼女らの精神的・主体的貧しさの表現に見える。元国立大学となって公共性フリーになりつつある東京大学の教育社会学のとある一派が攻撃を強めている「自律的な学ぶ力」の大切さを今ほど強く感じるときはない。





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