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幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「C.C.ユング ヨブへの答え」 ”何故神はイエス・キリストを遣わされたのか”

2020-08-25 12:33:33 | 本の紹介
神は人間ヨブが彼を追い越したことをひそかに認め、人間の水準にまで追いつかなければならないことを知った。そこで神は人間に生まれ変わらなければならない、というのだ。ここにイエスの誕生につながる問題がある。旧約と新約の世界にまたがる神と人間のドラマを、意識と無意識のダイナミックなせめぎあいを通して、ユングは雄大に描いている。

・『ヨブ記』の中に顕わになっている神の暗黒面に対して、どのように対決するのか、あるいはそれが彼に対してどのような影響を与えるのかということである。

・われわれは神の中に分裂と苦悩があることを承知しているが、しかし、それがあまりにも無軌道で、それゆえ道徳的に無力であるとなると、理解ある共感を呼ぶどころか、時間をかけなければ治らない傷のように後をひく無軌道な激情をかきたれられてしまう。

・『ヨブ記』はじつに、われわれの時代にとって特別に重要な意味をもっている神体験のあり方の、原型の役を演じているのである。

・「無知の言葉をもて、神の計りごとを暗かしむるこの者は誰ぞや?」
どの言葉が無知なのか? ヤーヴェはもちろん友人たちを指しているのではなく、ヨブを非難している。しかしどこに彼の罪があるというのか? もし彼を非難することができるとすれば、それはただ一つ、神の正義に訴えることができると信じた楽観主義だけである。その点ではたしかに彼は間違っていた。それはヤーヴェのそれに続く言葉から明らかである。神は正しくあろうとは少しも思わず、むしろ自らの力を誇示して、それを正義に優先させている。そのことにヨブは思いも及ばなかった、なぜなら彼は神を道徳的な存在だと思っていたからである。彼は神の前納を少しも疑っていなかったが、それ以上になおその正義を望んでいたのである。

・イエスは最初ユダヤ教の改革者として、またもっぱら善である神の預言者として現れる。それによって彼は宗教の危機的な状況を救う。
「神は人間を喜びとする。彼は愛の父であり、私があなたがたを愛するようにあなたがたを愛し、あなたがたの昔の罪を償うために私を彼の息子として遣わした。」

・キリストは二重の意味で仲保者である。彼は神に対して人間を助け、この実在の前で人間が感ずる恐れを和らげる。彼は神と人間という結合しがたい二つの両極の間で、重要な中韓の位置を占める。

・「人間の息子」の名を持つエゼキエルとエノクの二人が普通の人間であるのに対して、キリストはすでに親・懐妊・誕生の点で、古代的な意味での英雄。半神である。

・『ヨハネ黙示録』 キリストは彼に7つの教会に公開状を送らせる。

・人類は「神は人間になることを欲した。そして今の欲している」という問題を背負わせられたのである。

・私が心を実在すると考えているということである。彼らは心が産み出した事実のほうしか信じない[心そのものを信じない]ので、そのためにウランそのものか、それとも実験装置が、爆弾を組み立てたと結論せざるをえなくなる。このことは実存しない心がそれに対して責任があると仮定するのと同じくらいに馬鹿げたことである。神は明らかに心的な事実であって物理的な事実ではない。同じようにこの人々は、宗教的心理学がはっきりと分離すべき二つの領域に・すなわち一方は宗教的人間の心理学と他方は宗教すなわち宗教的内容の心理学とに・分かれるということを、まだ理解できないのである。

・神がわれわれに作用を及ぼすということを、われわれは心を通じてしか確認することができないし、しかもその場合にこの作用が神から来るのか無意識から来るのか区別することができない、すなわち神と無意識が二つの異なるものであるのかどうか確かめることはできないのである。神と無意識とはどちらも超越的な内容を表すための極限概念である。

・従来の解決は、キリストのみをただ一人の神人として認めることによって、この困難を免れていた。[ところが]神の第三の位格・聖霊・が人間の中に内在するということによって、多くの人間のキリスト化が生じ、次いでこの多くの人間が混じり気のない完全な神人であるのかどうかと問題が持ち上がる。こうした変化によって、しかし、原罪から解放されていない普通の人間たちがたちまち自我インフレに陥ることは避けられないということをまったく無視するにしても、堪えがたい葛藤が生じることであろう。こうした場合には、パウロの場合を、つまり彼の意識の分裂を思い起こしてみるのが賢明であろう。彼は一方では自らを神から直接に召命を受け啓示を与えられた使徒であると感じているが、他方では「肉の棘」と彼を悩ますサタンの使いから逃れることのできない罪人であるとも感じている。すなわち啓示を受けた人間でさえ依然としてもとのままの人間であり、彼に内在している存在-その姿はどれほどの広がりをもつのか見当もつかず、彼をあらゆる方面から包み込んでおり、地の底のように深く天のように広い-の前に立てば、ちっぽけな自我以上のものではないのである。

感想
私はクリスチャンではないですが、三浦綾子さんの本をほぼ全て、犬養道子さんの「旧約聖書」/「新約聖書」、遠藤周作さんの「沈黙」/「死海のほとり」、井上洋治神父の書籍など読んできました。
教会にもしばらく通いました。

旧約聖書の「ヨブ記」はとても印象が強烈でした。
私にとってキリスト教を信じられるかは二つのハードルがありました。
・復活を信じる
・自分がヨブのようになってもなお神を信じる
辿り着いたのは、論証することよりも信じたいとの思いだと思いました。

なぜ神はイエス・キリストを遣わされたかをユングが説明した、ユングの数ある著作の中でも最高傑作と訳者(林 道義氏)が評しています。

仲保者(ちゅうほしゃ)
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/gs/mediator?lang=jpn

「イエス・キリスト」; 「贖しょく罪ざい」 参照

執り成しをする者。イエス・キリストは神と人との間の仲保者である。キリストの贖罪は,人々が罪を悔い改め,神と和解する道を開いた。

だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない, ヨハ14:6.
神と人との間の仲保者もただひとりであって, 1テモ2:5.
キリストはさらにまさった契約の仲保者である, ヘブ8:6 (ヘブ9:15; 12:24; 教義107:19).
メシヤはすべての人の子らのために執り成しをしてくださる, 2ニフ2:9 (イザ53:12; モサ14:12).
偉大な仲保者に頼り, 2ニフ2:27-28.
新しい聖約の仲保者イエスを通じて完全な者とされ, 教義76:69.

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