サスペンスの犯人役の最多記録を持つ。
最近は私が出ると犯人だと思われるので、ダミー役で使われることがある。
見ている人は私が犯人だと思うので、実際の犯人は別にいる。
2時間ドラマが多くて、全て受けていたら犯人役が多かった。
サブ役(犯人役)は出番が多い。
その方が面白くそれを選んでいた。
ドラマでは最初はとても良い人でそれが犯人というパターンが多い。
回を重ねると私が犯人だと思う。
私は地獄に行くと思う。
人殺す役をやると人を殺す寸前まで気持ちが行く。
ユーミンの「ベルベット・イースター」
25歳の時、松任谷由美さんから楽曲を提供してもらった。
それから仲良くして貰っている。
聞いているといろいろ蘇りますね(サワコ)。
私は大学に行って、友達からユーミンの曲を教えて貰った。
女優には小さい時からなりたかった。お姫様の役など憧れた。
直木賞作家の父、藤原審爾。
倍賞千恵子さんが自宅に来たりして女優に憧れた。
デビューは「文子とはつ」TBSホラードラマ。
視聴率20%超えるドラマになった。
初めての演技、ここで泣けと言われて心を決めた。
「飢餓海峡」が大きな転機になった。
23歳。強盗で逃げている犯人の恋人。
監督浦山さんが超恐い。昔は恐い監督が多かった。最近は私が恐い
多岐川裕美さんがヌードが嫌と言われて、代役を探して。
今村昇平監督の台本見て、ヌードにならないといけない。
お嬢さん役ばかりはつまらないからなと思っていた。
ドラマティックな役をやりたかったので、そこでやります!と言った。
父に言ったら、「七光りだからやってくれたんだよ。俺のおかげだ」と。
「くそー」と思った。
大きくなってから、七光りを避けるために父と距離を置いた。
小さい時は離れて暮らした。
女を作ったので父が嫌いで嫌いだった。
父がガンになって事務所を辞めて父の看病をずっとした。
そうしたら父が応援するようになった。
父の死をきっかけで、自分が暮らしを支えて行かないといかなくなった。
五社英雄監督のドラマがそのスタートになった。
五社監督を叱ったことがあった。
舞台の仕事も五社監督だったが、映画もあり舞台稽古まで監督は出てこなかった。
出てきて、「(この場面は)ここで座れ」と言われた。
それまでは立って演じていたので、「できない」と言った。
演出の人の立場もあった。
演出の人が後で「ありがとうございました」と言われた。
監督も私も怒っているので、周りはどうなることだろうと思った。
母が築地のちゃきちゃきでそういうところがある。
お母さんの介護を行った。
脳梗塞で倒れた母を介護。しゃべれない。それから11年頑張った。
母が苦労したのを知っていたので介護を一生懸命した。
一卵性親子と言われた。
今でも母が使っていたコップとかそのまま置いている。
母は失敗しても悪いようにとらない。前向きな人だった。
仕事もセーブして介護をした。
ユニクロに行くのも我慢。
欲しいものがいなくなった。
その前はシャネルのが欲しくて何回も行って見るなど、欲しい欲しいと思った。
母の為だけにやっていた。
母からはたくさん着てたら「着過ぎ」と言われた。
言葉がでなくなっても目でそれを言っていた。
二人三脚でやってきた。
2曲目は、辻井伸行さんの「ラ・カンパネラ」。
ピアニスト役で弾いた。振りだけするのに1カ月半かかった。
天才はいるんだな。こころが洗われた。
辻井君が三歳の時に2回聞いただけで弾いていた。
すごいなと思っていたら、安倍首相のサクラを見る会で後ろに辻井さんがいた。
感想;
女優になりたいと思ってそれを父親の反対を押し切ってやられました。
女優だといろいろな人生を演じることができ、それをやってみたかったそうです。
ですから、ヌードにもその場でOKされたそうです。
父親の介護、嫌っていた父親の介護はなかなかできないです。
母親の介護も11年、まさに人生からの問いかけに、しっかりとYESと言ってやって来られました。
ステキな女優さんであり、ステキな女性であり、ステキな人だと思いました。
これまでの人生がそれを語っているように思いました。
最近は私が出ると犯人だと思われるので、ダミー役で使われることがある。
見ている人は私が犯人だと思うので、実際の犯人は別にいる。
2時間ドラマが多くて、全て受けていたら犯人役が多かった。
サブ役(犯人役)は出番が多い。
その方が面白くそれを選んでいた。
ドラマでは最初はとても良い人でそれが犯人というパターンが多い。
回を重ねると私が犯人だと思う。
私は地獄に行くと思う。
人殺す役をやると人を殺す寸前まで気持ちが行く。
ユーミンの「ベルベット・イースター」
25歳の時、松任谷由美さんから楽曲を提供してもらった。
それから仲良くして貰っている。
聞いているといろいろ蘇りますね(サワコ)。
私は大学に行って、友達からユーミンの曲を教えて貰った。
女優には小さい時からなりたかった。お姫様の役など憧れた。
直木賞作家の父、藤原審爾。
倍賞千恵子さんが自宅に来たりして女優に憧れた。
デビューは「文子とはつ」TBSホラードラマ。
視聴率20%超えるドラマになった。
初めての演技、ここで泣けと言われて心を決めた。
「飢餓海峡」が大きな転機になった。
23歳。強盗で逃げている犯人の恋人。
監督浦山さんが超恐い。昔は恐い監督が多かった。最近は私が恐い
多岐川裕美さんがヌードが嫌と言われて、代役を探して。
今村昇平監督の台本見て、ヌードにならないといけない。
お嬢さん役ばかりはつまらないからなと思っていた。
ドラマティックな役をやりたかったので、そこでやります!と言った。
父に言ったら、「七光りだからやってくれたんだよ。俺のおかげだ」と。
「くそー」と思った。
大きくなってから、七光りを避けるために父と距離を置いた。
小さい時は離れて暮らした。
女を作ったので父が嫌いで嫌いだった。
父がガンになって事務所を辞めて父の看病をずっとした。
そうしたら父が応援するようになった。
父の死をきっかけで、自分が暮らしを支えて行かないといかなくなった。
五社英雄監督のドラマがそのスタートになった。
五社監督を叱ったことがあった。
舞台の仕事も五社監督だったが、映画もあり舞台稽古まで監督は出てこなかった。
出てきて、「(この場面は)ここで座れ」と言われた。
それまでは立って演じていたので、「できない」と言った。
演出の人の立場もあった。
演出の人が後で「ありがとうございました」と言われた。
監督も私も怒っているので、周りはどうなることだろうと思った。
母が築地のちゃきちゃきでそういうところがある。
お母さんの介護を行った。
脳梗塞で倒れた母を介護。しゃべれない。それから11年頑張った。
母が苦労したのを知っていたので介護を一生懸命した。
一卵性親子と言われた。
今でも母が使っていたコップとかそのまま置いている。
母は失敗しても悪いようにとらない。前向きな人だった。
仕事もセーブして介護をした。
ユニクロに行くのも我慢。
欲しいものがいなくなった。
その前はシャネルのが欲しくて何回も行って見るなど、欲しい欲しいと思った。
母の為だけにやっていた。
母からはたくさん着てたら「着過ぎ」と言われた。
言葉がでなくなっても目でそれを言っていた。
二人三脚でやってきた。
2曲目は、辻井伸行さんの「ラ・カンパネラ」。
ピアニスト役で弾いた。振りだけするのに1カ月半かかった。
天才はいるんだな。こころが洗われた。
辻井君が三歳の時に2回聞いただけで弾いていた。
すごいなと思っていたら、安倍首相のサクラを見る会で後ろに辻井さんがいた。
感想;
女優になりたいと思ってそれを父親の反対を押し切ってやられました。
女優だといろいろな人生を演じることができ、それをやってみたかったそうです。
ですから、ヌードにもその場でOKされたそうです。
父親の介護、嫌っていた父親の介護はなかなかできないです。
母親の介護も11年、まさに人生からの問いかけに、しっかりとYESと言ってやって来られました。
ステキな女優さんであり、ステキな女性であり、ステキな人だと思いました。
これまでの人生がそれを語っているように思いました。
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