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阿川佐和子さん「サワコの朝 三遊亭小遊三さん」 ”笑点に36年出演中!”

2019-08-24 08:00:28 | 生き方/考え方
1947年生まれ。明治大学在学中に弟子に。36歳で真打。古典落語の名手と言われる。
72歳でモテ期を迎えている。その秘密について。

落語芸術協会の副会長兼代行を務めていた。徹底したイエスマン。歌丸師匠の言うことにイエスしか言わなかった。春風亭昇太に会長を。人には向き不向きがある。コンプライアンスに合わない人ばかりがメンバー。春風亭昇太が還暦まで結婚しなかったのはお金を神さんに取られたくなかった。

寄席は元旦から出ている。落語協会と落語芸術協会がお互いに寄席に出ている。落語家は師匠には頭が上がらない。弟子になるときに「何でもやります」と言ったから。

1曲目。ラジオしかない時代。中学生の時に低音ボイスに魅せられた曲。ザ・プラターズ「YOU’LL NEVER NEVER KNOW」
10歳上の兄、12歳上の姉と17歳上の姉。末っ子。父親は無口な“明治男”。食事しながらしゃべると「だまって食え」と。母親は嘘つき。姉は1月15日。私は3月2日。5月5日父。母は3月3日だった。でも4月30日が誕生日だった。それが亡くなってからわかった。誕生日はカレーと決まっていたので、分かりやすい日にしていた。

落語家になるには家族は反対だった。三遊亭遊三師匠に弟子入りした。師匠のところで食事した。桂米助など親しい仲間と寄席で一緒になるので楽しかった。真打になるのに16年かかった。そしてすぐに笑点にでるようになった。あの顔ですけべーなことを言うのがたまらないということで女性に人気。
艶っぽい人。ちょっとエロい。声出して笑っています。好感度がとても高い。
子柳枝さんの奥さんと妹さんから「根がまじめ」と。勇気がないだけ。自分が好きなものしかしない。古典落語しかできない。「冗談いっちゃいけない」というような言葉が多く出てくる落語が好き。女性を上手く表現できないといけない。笑点に出ることになってから人生が変わった。笑点に出て36年。

これからの落語は? 歌丸師匠は噺家の鏡ですよ。なかなか真似ができない。酸素吸入しながら高座に上がっていた。終わるとはあはあと言っていた。東京オリンピックの時、聖火ランナーを17歳の時。スポーツ部のキャプテンとの限定で、卓球部のキャプテンだった。かつ成績優秀、品行方正との条件だった。聖火ランナーには応募しない。けれど頼まれたら出る。

2曲目 石原裕次郎さんの「男の横丁」。僕らはゆうちゃんだった。家にレコードがあった。語尾がかっこいい。物まねもお上手なのですね(サワコ)。

感想
一つのことをやり続ける。
若い時から寄席に出るのが楽しかったとのこと。
楽しいことをやるのが一番良いのでしょう。

知るは好きに如かず
好きは楽しいに如かず

同じやるなら楽しみながらやりたいものです。


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