幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 丸山桂里奈さん」 ”周りをわけもなく楽しくさせてくれる!”

2020-02-08 08:40:08 | 生き方/考え方
「国民栄誉賞を返せ!」と言われる。
元女子サッカーなでしこジャパン代表の一人。最近はバラエティーに。1983年生まれ。
日本初のW杯優勝
東日本大震災前まで福島第一原発で働いていた。
現役時代はもっと大人っぽい感じ。おでこを出していたら。おでこを出していると戦闘モード。おでこも休みたいと。サッカーやってたの? サッカー上手いの?と言われる。
彼氏いないんですか?とサッカー子どもを教えていると尋ねられる。国民栄誉賞も返せと言われる。自分も錯覚しているかも。

準々決勝、王者ドイツとの戦いの延長戦でゴール。
9年前。思い出しました。毛穴が開いている。鳥肌がたつのでは?(サワコ) 
ゴール前でコースに光が見えた。入った瞬間シーンと。つまんでどこかに持って行かれた感じ。それで入ったんだとわかった。皆から言われた実感した。
スーパーサブとして。誰かの交代。チームに一人しかいない。のぶさん(監督)にスーパーサブと言われていた。もちろんスタメンに出たいと思っていたが、今までスーパーと言われていなかった。監督に「歴史を変えるのはおまえだけだからな」と言われた。
当時の佐々木監督
日本の選手の中でもスピードを持っていた。50mを6.3秒。オフサイドのルールを知らないといわれるほど。よけいなルールを徹底しない方が絶秒なタイミングで飛び出す。感覚的なプレーヤー。エンジンを組むといつも私の右にいた。
自分から監督の傍に行ったの?(サワコ)
ぜんぜん違います。自分の身体に聞きたい。監督にこんな人がいるのかと尊敬していた。他の監督より横から来る監督。恐くない。だから好きです。初めて悪くないと思った”おやじギャル“。
他の選手にも私のことを理解してくれるように監督はしていた。
お誕生日の日に大きな声で歌ったり。いっこく堂さんの物まね。16歳からこの一本でやっている。
チームの中で不穏な空気が流れると、真ん中に入って大きな声で笑ったり。自分ができるのはそれぐらい。

記憶に残る曲 ナオト・インティライミ「Brave」をワールドカップの時に全員で聞いていた。歌詞の一部「だれかと比べる必要は無い。君は君のままでいいんだよ」
思い出しました。あの年は震災があった。

東電のサッカーチーム。大熊町に住んでいた。5年間。皆に元気を伝えられたらよいなと思ってやった。ワールドカップは7月。こんな時期にサッカーやっていてよいのか。サッカー選手なので結果を残すことだと。監督が自分たちが何をするかと。試合前はミーティングで震災の映像をずーっと見た。通常はゴールシーンを見るが。
亡くなられた所長吉田さんは直属の上司だった。所長付き。会議の設定だったり。お茶を入れるのが上手かった。桂里奈さんの入れるお茶は美味しいと。所長は怒らなかった。無茶苦茶優しかった。サッカーやるのを長い時間やっていたので、仕事は3時間。皆はあいつはサッカーしてて・・・。と一部からあったが吉田所長からサッカーに打ち込んでいいんだよと言われた。所長はその後の対策に打ち込んでいたので、メールでやりとりしていた。
本当に目に見えないゴール、皆の思いが乗ったゴール。けば立つ思い。

教えることをやろうとは? リフティングをどうやるのですか?と言われても教え方がわからない。指導者はできない。

サッカーやっているときから芸人さんが好きだった。さんまさんを先生だと思った。
さんま御殿、優勝したユニフォームをさんまさんあげようと。さんまさんはみんなのもの。バラエティ出演はむちゃくちゃ楽しい。背後になにかいるのかと思うほど。
恋が多いとか? 今は彼はいない。毎日恋をしている。技術さんとか直ぐに好きになる。スタッフさんは変わるので、塗り替えられる。上書きされる。

TVに出てるのを親は元気しているのを見て喜んでいる。お兄ちゃんは私がオリンピックに出てたのを知らない。終わった後に友だちに言われた。

感想
楽しい方。周りを明るくしてくれる。
バラエティが楽しいとのこと。
素晴らしいなと思います。

スーパーサブ、出来たらスタメンと思いますが、与えられた自分の役割をしっかりやる。
それが準決勝での延長戦での決勝ゴールにつながったのでしょう。

直ぐに人を好きになる。
人が好きなんだなと思いました。

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