幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「博多華丸大吉さん」 "歳を取ってからのチャレンジ!”

2017-10-28 08:08:28 | 生き方/考え方
お笑い芸人。博多をこよなく愛する。王貞治さんのミュージアム。朝ラーメン。
一人ずつだとハンサム、2人だと面白くなる。タレント人気ランキング4位に。
児玉清さんのものまね。ネタ作りは博多のオジサンをまねること。
サワコを爆笑の渦に巻き込む。

博多の言葉で今もずーっと。ツッコミの文化がない。そんな言葉がない。伝統芸能「博多にわか」がある。決して面白くない。つっこむのでなく正す。
1曲目、お笑いの世界へ入る勇気をくれた曲。背中を押してくれる。長渕剛「西新宿の親父の唄」
二人は、福岡大学の落研だった。
大学1年終わり、2年目に入った時、吉本興業の芸人オーディション。横暴が30何組。そこから8組。優勝はできなくて4位。福岡事務所をオープンしたけど人が集まらないので、声がかかった。「やるならいましかない」の歌詞を聞いていたら、その気持ちになった。
指導者がいない。師匠も先輩芸人がいない。事務所の人がさんまさんの付き人していた人で、さんまさんならこうするとか言われた。

博多で人気がでた。バブル時期でその時に吉本が好きだった。翌年にはテレビのレギュラーが2本も貰えた。福岡の人気者で満足だった。東京にあるもの福岡にもある。ボキャブラ天国の声もあったが、断った。

大吉の父は働かない人だっと。ロサンゼルスオリンピックの時、ずーっと見ていた。中学2年生だった。酒が入ると変わった。姉がいる。父の顔を伺う子どもだった。
華丸の父親は土建屋の社長。屈強な親父たちに可愛いがられた。

デビュー当時は舞台で動いていた。今は軸がしっかりしている。福岡に師匠が来ると、その前座をやらされていた。「ふらふらするな」と言われた。力を入れる場所を教えて貰った。
35歳の時に博多は出た。子どももいた。カンニング竹山が東京で売れた。ヒロシが売れた。あんたたちなにしているの?東京のタレントとの扱いが全然違う。24時間テレビで会場を盛り上げていても、全国放送になるとテレビの画面から追い出されて東京から来ている芸人がテレビに出た。それが悔しかった。それでエンタの神様に出ようと思った。オーディションに出た。受からなかった。いろいろ受けたが受からなかった。華丸の児玉清さんのものまねだけはバカ受けした。他のメンバーは30秒で受けるが自分たちは10分位でやった。R1グランプリでピン芸人のコンテストで華丸さんが優勝した。いろんな師匠がコンビでやっているから、2人で声をかけてくれた。それで華丸のオファーに付いて行った。1年間見学していた。華丸が「児玉清のものまね」で飽きられた頃に大吉が出るようになった。ザ漫才で優勝した。西川きよしさんから食事を誘われた。女の子二人来るからと、いまいくよくるよさんだった。
ザ漫才は若い人のものだと思っていたが、いまくるよいくよさんから「あんたらが若くなかったら、わたしたちどうなるの?」 ネタ作りの原型は大吉が作ってそこにボケの仕込みを華丸がやっている。

2曲目は出囃子の曲「福岡WALKER」。歌詞に華丸大吉が出てくる。
週末は漫才している。どれだけ受けても漫才で滑ることがある。自分たちを知ることになる。吉本の劇場は全国にある。

感想
新しいことにチャレンジする。
それが成功するかどうかはわからない。

35歳くらいになり、博多では人気が出ていたが、その歳になってから東京進出にチャレンジした。

やりたいと思ったら、飛び込んでみることも必要なのでしょう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿