幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「宗教の時間」 ロゴセラピー入門 ”日本人最初のロゴセラピスト 勝田茅生さんに聴く”

2017-07-04 14:32:55 | 生き方/考え方
苦しみのただ中で
「夜と霧」ビクトール・フランクル著の本が有名である。
精神科医がナチス強制収容所を体験したことを本にまとめた。

ロゴとは?ギリシャ語のロゴスで意味という意味。意味を軸にした心理療法。
ある男性が最愛の妻を失った。辛さをしみじみ伝えた。
フランクルが「もし逆になっていたら(あなたが先に死に妻が残されたら)どうか?」と尋ねた。
「妻はひどく悲しむ」と答えた。
「今の悲しみは奥さんの代わりに受けているとおもうことができる」。
男性は今の悲しみに意味があると感じた。苦しさに意味を感じその苦しみを受ける力を感じた。

意味を見出すセラピーがロゴセラピー。
自分で変えられる状況か、変えられない状況かを厳密に区別する。
変えられる状況は、一緒に変えることを考える。

ナチスの強制収容所に入れられたことは変えられない。
そこで意味を考える。
その都度の意味を考える。もし、解放された、やり残したことができる。
誰かのために、があると辛さに耐えることができる人がいた。
強制収容所で、その例を多く見た。
意味を持っている人はそれに耐えることができる。
フランクルはここで自死したら、母や妻がどんな悲しみをするか。その人のためにも生きていないといけない。

ロゴセラピーを開発したすぐ後に強制収容所に入れられた。
ロゴセラピーと強制収容所に入る前にその構想があった。
それを強制収容所で実践することで完成させた。
夜と霧の本を読んで、こんな大変な思いをしても“人生にそれでもYESという”人がいるのをフランクルは見てきた。

ロゴセラピーのセミナーに参加した人で、最初は暗い状況の人が、回を重ねるごとに目が輝きだし、「こんな私でも誰かのためにできることがある」と思うようになっていく。
ロゴセラピーは心と身体の上に“精神”を考えた。辛い時、精神の中に響きを感じる。聞えてくる力が、辛いほどその声は大きい。究極の外からの呼びかけが聞こえてくる。私でも何かできるかもしれない。その考えが心と身体を癒してくれる。
精神の力が大きくなると、自分の苦しみから距離を持つことができる。泥沼にいる鳥が上から見るような感じ。自分と距離をあけると、自分だけでなく自分を取り巻く周りの人の様子もわかる。

医者は身体を診るが、身体だけを見ないで、人間全体を診る。その本が「死と愛」だった。
それが強制収容所に入る前に書いた論文。最初の収容所では2年間持つことができたが次の収容所で奪われた。
意味としては強制収容所は過酷すぎるが、そこでも意味を見いだせれば耐えることができる。
フランクルも意味を感じた。そしてそれをどう乗り越えるか。

意味は主観的と客観的を区別した。自分のためは主観的。それはそれで大切。
客観的は自分だけでなく周りも一緒に幸せにならないといけない。それが本当の意味。
フランクルは道徳的に言っているのではない。
道徳はその時代の文化に基づいているが、フランクが言っている意味は普遍性があるもの。

誰かが死にそうになって、その人の靴を取る人もいた。その中でも精神性で生きた人がいた。
自分が飢えていて疲れていても、もっと絶望的な人に自分のパンを与えていた。小さなパンはいのち綱みたいなもの。それを与えた。
人間には両方の要素を持っている。人は天使にも悪魔にもなれる。
誰の中にもある天使に目を向ける。
ロゴセラピーは信頼が大きい。その人には力があると信頼する。
それまでそれを使うことができなかった。それを引き出してあげる。

人間存在は、精神の中核、人格が一番大切。何かを通して、響き。
響きを通して。響きが人格なんだと。
究極の意味から伝わったものを自分を通して伝える。
それが究極の意味。
自分を通して広がっていかないといけない。

困難な人ほど響きが強い。
東北大震災では家族も家もすべてを失った人がいる。
その時、じっと耳を澄まして、私はこんなに辛い、どこに意味があるのか?
何もないほどその人の耳が澄まされていく。
強制収容所の病院のベッドの窓からカスタニエが見えた。
その女性は間もなく死んでいく重体だった。
その女性はカスタニエが私は永遠のいのちだと言っているのが聞こえた。
人間に謙虚さがないとその響きは聞こえてくれない。

有名校、有名大学、有名企業を狙うこともある。
そういうねつ造した意味では本当の意味が聞こえてくれない。
灼熱地獄を経験すると遠くを見通して、自分を超えるものがあって、それが自分を支えてくれる。
その響きが聞こえてくる。
究極の意味を信じる。何でもできるではなく、究極の意味があるから私が今ここにいる。
その謙虚さが大切。
それが自己治癒力。
私がこうやって生きてきた。
生かされている。
何かのミッションがある。
そのミッションに気付く。

療法のテクニックよりも宗教性があるようだが、フランクルはセラピーと宗教と交らわせていけない。
ロゴセラピーを学んでいた時にシスターなど宗教家もいた。
彼ら/彼女らも学びたいと来ていた。

感想
インタビューされたディレクターの方がよくロゴセラピーをご理解され、的確な質問されていたように思いました。
それでなおさら、ロゴセラピーがわかりやすく、勝田先生から説明されていたように思いました。

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フランクルのロゴセラピー



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