幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 大泉 洋さん」 "北海道では超有名人が東京へ”

2018-06-09 08:10:08 | 生き方/考え方
俳優。サワコさんに薦めたい北海道の料理はジンギスカンとスープカレー。
身も心も北海道。ずっと、出たいと思った。前の対談はワインの映画のこと。
大学生の時、仲間と演劇グループ。その時、声がかかった。
朝ドラや「真田丸」、「あにいもうと」で兄役
ユーモアあふれる世界を堪能しましょう。

北海道のレギュラー番組(毎週)3つある。休みもない。
娘は可愛くて仕方がない。7歳の娘と逢えないのはつらい。
20日ほど、ずっと撮影で家を離れていた。
娘の習い事に送り迎え。

1曲目 サザンオールスターズの「OH! クラウディア」
中学時代に家で熱唱していた。2Fでやっていた。1Fでおじいちゃんが「みそがくさるぞ!」と大きな声で言っていた。
歌いたい欲求が止められない。寅さんのものまねを4歳か5歳でやると大人が笑ってくれて病みつきになった。
山田洋次監督の前で「あにいもうと」の撮影時、寅さんのものまねしたら、笑っていた。

両親は二人とも学校の先生。おじいちゃんは銀行員。父は優しい人だった。家に帰ってくると元気に「ただいま!」と言っていた。父が帰ってくると嬉しいかった。私は疲れた顔をして帰る。妻は無反応。娘がすぐに出てくるので、元気になる。

母が車の中で落語のテープをかけていた。四代目柳亭痴楽が好きだった。「綴方狂室」。究極のおしゃべり好きだった。

大学は2浪した。それなりの努力はしていなかった。2年間の浪人生活は楽しかった。希望の大学に行けず落ち込んでいた。母が泣くながら「元気になってちょうだい」と。
北海道学園大学に行くと楽しかった。年下にため口つかわれないといけないのと思った。それまでクラスの人気者だった。人を笑わせる事に自信があった。お笑い番長と小学校の時に言われた。

大学時代は演劇に没頭した。どんどんお客さんが増えてきたので楽しかった。大学3年生で北海道の人気タレント。
母からは30歳までには定職に就きなさいと言われていた。
地下鉄に乗るとバレると思ってタクシーで行こうとすると、母から「自意識過剰」と言われた。たまに母と出かけた時はバレない。

31歳で東京へ出た。北海道では名前が知られていた。ロケ地で場所の了解を取るのに私の名前を出せば了解された。「洋ちゃんが出るなら良いよ」と。
ある時、東京から来た俳優さんに部屋を代わった。従業員の部屋だった。それほど有名でない俳優でもやはり東京で活動していると扱いが違うのだと実感した。東京で知名度を高めないといけないと思った。

バラエティに出る意思はなかった。ひな壇の端にいると、北海道のファンを裏切っている気持ちになる。
そうしたら、ドラマの仕事が入った。「救急救命病棟」に出た。阿川さんの可愛いところ。ちょっとずつ間違える。32歳の新人は難しい。辛かったし恥ずかしかった。ドラマの宣伝でバラエティに出られた。

天然パーマ? また言わないといけないのですか? そうです天然パーマ。
「焼肉ドラゴン」に出演。舞台が有名で、見て大感動した。
おふくろに褒められない。母はいつも辛口批評。でも全て見てくれている。
天狗にはならない。

2曲目はまさに今「グレイト・ショーマンからフロム・ナウ・オン」
妻に教えられることが多い。これも教えて貰った。
娘と一緒に聞いている。

北海道に帰ると親に話しかける。寝ている親に話しかけると聴いてくれる。そして起きて一杯やることもある。

感想
小さい時から落語を聞き続けていたのが、笑いに興味をもった理由のようです。
人を笑わせることにこれまで一生懸命取り組んで来られたようです。

しゃべることも好きでよくしゃべっていたのも、笑いを取るのに大いに役立っているようです。
次から次へと言葉が飛び出してきました。

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