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幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「失われた物語を求めてキッチン・テーブルの知恵」レイチェル・ナオミ・リーメン著 ”生き方の知恵 特に苦しい時”

2018-09-18 00:10:18 | 本の紹介
・キッチン・テーブルでは、だれもが同等で、一人ひとりの物語は大切な意味をもちます。

・キッチン・テーブルで交わされる物語の中身は古今東西、きまっています。それは所有、喪失、性、力、傷、勇気、希望、癒し、孤独、孤独からの脱出などについてのものです。神についての物語であることもあります。

・わたしはかつては小児科医でした。今はそうではありません。そして長い年月にわたってカウンセラーとして、がんなど、命にかかわる病気にかかった人々の物語を聴いてきました。

・ほとんどの人びとは自分の生命力の強さを知らない、あるいは生命力はいろいろな形で表れることに気づいていないと。生命の力があるのです。五十年以上生きてきて、わたしはいま、それは信頼できるものですよ、ということができます。

・目に見えないものに信頼をおくのは難しいことです。七度の大手術を経験してきたわたしですが、治るという確信がもてなかったことはあります。腹部手術から腹膜炎と敗血症をおこしました。再手術で命びろいをしたのでしょう。“一期癒合“で炎症があるので、縫合しなかった。毎日ガーゼ交換。わたしは絶望していました。この傷を負ったまま生きなければならないなら、この目でちゃんと見なければと。わたしは驚きました、奥のほうから肉が盛り上がりはじめ、穴も小さくなっているではありませんか。驚くべきことが起ったのは。大きな傷がついに一本の髪の毛ほどの線になっていくのを、私は見ていたのです。

・あるとき、がん患者を対象にしたイメージ訓練のプログラムから、ジムという青年が紹介されてきました。悪性の黒色腫があったのですが、ジムは集中訓練を受けて一か月しかたっていないので、日課のイメージ瞑想をするのを忘れてしまうほど、意欲がありませんでした。かれの自滅的な傾向を変えることはできないだろうか、それがわたしに紹介された理由でした。
毎月三度、15分間、何千尾もの小さなサメが体中を泳ぎまわって、見つけたがん細胞を獰猛に攻撃して破壊するところを想像してみなさいと、かれは教えられていました。なぜ、そのイメージを使って瞑想するのは嫌なのかとたずえんました。ため息をついて、退屈だから、というのでした。
 あなたが最初に思いうかべたイメージはどんなものだったの。とたずねると、かれあhぼそりと「強暴さがたりなかったんですよ」と答えました。ナマズをイメージしたというのです。わたしは興味をもちました。わたしはナマズについてはまったく知識がないばかりか、実物を見たことさえなく、ナマズが癒しの役をはたすという話を聞いたこともありませんでした。
一口でいうと、ナマズの性質はどんなものかしら? 「洞察力がゆたかだ、警戒をおこたらない、非の打ちどころがない、徹底的で、安定している」、そして「信頼できるんだ」とかれは答えました。
 ナマズ数尾をペットとして飼ってもみた。「ジム、ペットってどういうものをいうのかしら?」「きまってますよ。ペットはどんなことがあっても、こっちを愛してくれる相手です」
ナマズのイメージをまとめていってみると、どうなるのかしら? かれは目をつぶり、ナマズはペットがもつ無条件の愛をもって、眠りもやらず、警戒をおこたらず、疲れを知らぬかのように献身的に細胞の一つ一つを調べる、そして健康な細胞は通りすぎて、がんにかかっている細胞だけを食べている。と説明しました。ナマズたちはジムが生きるか死ぬか、心配している。ジムは、このイメージなら心を動かされ、憶えておくのに苦労することはないし、退屈もしないのです。ナマズの瞑想をかれは毎日、一年続けました。すっかり回復したあとも、週に三度くらい、実行しています。瞑想は自分の体は深いところで自分の味方をしてくれているということを思いださせてくれる、といいます。

・心の過労を治す方法は本に書いてあります。休息しなさい、運動しなさい、遊びなさい、無理な期待はすてなさい。わたしの経験からいうと、心の疲れきった人びとが立ち直るのは、悲しみに身を任せることができたときです。悲しむことは一つの自己療法です。

・自分を愛さない人びとは、ありのままの生を愛することができないようです。自分の経験のうちのある部分は受けいれるが、ある部分は拒絶する。すると、どうでもいいように見えることや、「みっともない」と感じられることの中に、尊い価値があるのが見えなくなっています。痛みをさけ、気に染むことだけを見ていると、わたしたちは人と親密になれなかったり、思いやりを失ってしまいます。痛みをさけることは自然の本能でしょう。でも本能が賢明でないこともあります。木に染まないことの中に、恩恵や謎や冒険が隠されています。逆説のように聞こえるでしょうが、痛みより大きな全人生へ向かう道を指し示し、苦しみを癒すための力になることがあるのです。

・失うことを怖れているうちに、わたしたちの所有物がわたしたちを所有する主に変貌してしまうのです。

・苦しみは全人生と固く結びついています。ほとんどの宗教が、苦しみには全人的な人格を回復させる力がある、と教えています。でも、想像しがたいような衝撃と苦痛のなかにおかれたがん患者と二十年も話しあってきたわたしは、このような考えは必ずしも教義や信仰から生まれたものではなく、むしろ自然の法則ではないかと思うのです。苦しみは愛する自由や、生命に使える自由について、わたしたちに教えてくれるのではないでしょうか。

・他者と結びつく方法でもっとも基本的で、しかも効果的なのは、耳をかたむけること。ただ、耳をかたむける。互いに心からの注意をはらうことこそ、最上の贈物です。反応する必要もない、ただ聴いていればいいのです。理解しようとするより、ひたすら気遣う。ひとに話をすると、相手は自分も似たような体験をしたといって、こちらの話が中断されるので、すっかり孤独になってしまった女性がいます。ついに、ほとんど話をしなくなってしまった。わたしたちは耳をかたむけあうことで結びつくのですから、「わかる、わかる」といって相手の話を中断することは、むしろ注意をこちらに向けさせることです。がんの患者さんたちは、とにかく黙って話を聴いてくれる相手いることがいちばんありがたいといいます。愛情のこもった沈黙は、とても善意のこもった言葉より、ずっと癒す力を、絆を結ぶ力をもっていることが、どれほど多いことでしょう。

・幸福でいたいから、自分の苦しみも、他の苦しみも無視することを決意したと語った患者さんがいます。でも苦しみにたいして感覚を麻痺させても、幸福になれません。なぜならわたしたちが苦しみを感じる部分は、喜びを感じる部分とおなじなのですから。

・患者さんには、手のひらに入るほどの大きさの平凡な小石とか、土塊をもってきてもらいまう。そして皆(ごく近しい友人や家族)で輪になって、それぞれに苦しい目にあった体験について話してもらいます。話をする人はその手に、患者さんが持ってきた小石を握っています。体験談がすんだら、困難をのりこえるためにどのようなことが力になったかも、話してもらいます。それから手術や、治療を控えている患者さんのめをまっすぐ見て、かれらは「この決意をこの小石にこめておきます、あなたのために」などと告げます。全員の話がおわったら、小石は患者さんに返されます。それを持って病院へ行き、つらくなったら手にとれるように身近においておくことになります。

・人生はすべてのピース(ジグゾーパズル)を与えてくれます。人生のある部分だけを受けいれ、気にくわない部分を拒否し無視するなら、それは人生のピースを一つずつ、関連のない物として見ていることです。成功する幸福、うれしい出来事、あるいは忘れてしまいたいと願っていた醜さ、痛み、喪失、失敗などを、たがいに関連をもたない独立のピースとして見ていたのです。でも、人生というパズルに必ずある暗いピース、悲しいピースは、苦痛であっても、ピースそのものを越えたより大きな何かの一部です。隠れていた何かを垣間見たら、それはすべて贈物として考えなくてはならないように思います。
 パズルが仕上がったとき、どのような絵が姿を表すか分からないまま、わたしたちはたえずピースを嵌めこんでいますね。深い苦しみや喪失にであった人々が、そのことによって想像もしていなかった人生の意味を悟るのを、わたしはたびたび見てきました。そのようにして得られた意味は永続的です、人生が大きく転換することもあります。苦しみを否定する人には決して獲得することのできない力となるのです。

・カール・ユングは、その日セラピーにくる直前に何をしたか、と患者にたずねることがありました。たいていは、食料を買いにいった、車の運転をした、靴を買ってからここへきましたと、もっとも日常的な答えが返ってきます。ユングはかれらばどのような方法や形でそのような行動をしたかに慎重に耳をかたむけては、洞察の深い質問をしました。そこで、その人の意識しない習慣的な反応のしかたが露わになるので、ユングはそこから患者の生き方、力、限界を判断しました。

・むかしわたしは、立派でありたいといつも思っていました。読書、時間のすごしかた、衣服、どこに住むか、どんな言葉を口にするかにまで、気をくばったものです。カール・ロジャース博士は無条件の受容によるセラピーを提言した人ですが、あるとき先生のワークショップに参加して、「人間である、それだけで充分だ」ということを学ばせてもらいました。それまでのわたしは自分が「人間であること」を暴露されるのを怖れていたのですね。

・「人間」とは名刺であるより、動詞にちかい言葉と思います。わたしたちは未完成で、いつも変わっていく過程にある・・・。自分を、他を評価するとき、「いまはまだ」という言葉をつけくわえることが正しいと思えます。「わたしには勇気がない・・・いまはまだ」

・患者として、わたしは医師の態度で病状が左右された経験をしました。しばらく診察をうけていなかったので、クローン病の名医であるZ医師に相談にいくことしたときのことです。40ページにのぼる病歴と手術の記録を前もって送り、それから電話で話しましたが、実際に会えたのは二か月後のことでした。
 劇薬による治療、くりかえされた大手術、初期の大出血でおきた昏睡状態、不純な副腎皮質ホルモンの投与で、16歳のときには正真正銘の口髭がはえたので毎日剃らなければならなかったこと、大学生のときには新薬の投与で容貌がすっかり変わってしまい、感謝祭に家に帰ったとき、空港に迎えにきてくれた父は声をかけるまでわたしが見分けられなかったこと、副腎皮質ホルモンの大量投与が10年もつづいたあとには、骨がすっかり脆くなり、ちょっとしてことで骨折したころ、手術中に死にかけたこと、副腎皮質ホルモンの副作用で白内障と緑内障になり視力がすっかり衰えたこと。「でも、不思議なことに現在では症状がずいぶん良くなっていいるのです』。わたしの抱えている問題は現在の病状というよりは、過去の治療の副作用であること。医師たちは、わたしがここまで生きるとは予想もしていなかったので、長期の副作用についての見通しは立てていなかったこと。「かつてはまるで病気という牢獄の囚人でした」とわたしはいいました。「でもいまでは自由の身になれました」。話しおえるのに45分もかかりました。(28歳のときから人工肛門) Z医師はずっとだまって真剣に聞いてくれました。それからこちらにかがみこむようにして、やさしい口調でたずねました。「それで、あなたは今でも少しは医者の仕事ができるのですか?」。びっくして、先生の忙しさに負けないほど、わたしも忙しくしていますよ、と答えました。かれは気まずい表情になり、話題を変えてしまいました。
 でもかれのこの言葉は、深い疑念をわたしのこころに植えつけました。ずっと以前、医師たちにわたしの命は長くないといわれ、かれらの専門知識を信じたわたしは結婚も子どもを産むこともあきらめたのです。わたしの持病についての大家であるこの医師が、わたしのような状況をかかえている者が活発に生活し、社会に貢献しているはずはないと感じるのなら、明日にも寝たきりになるかもしれない? わたし自身の考えを信じていけないのではないか?・・・こんなふうに、専門家の影響力は非常につよく、専門家がわたしたちを見る目はやがてわたしたち自身の自意識その物へと変化してしまうのです。
 それから長年たいした苦痛もなく耐えてきた問題を、とても気に病むようになり、私の病気についてよく知っている医師たちが間近にいない遠く離れた土地での講演は断るようになったほどです。やがてある同僚が、なにをくよくよしているのか、とたずねました。涙をこぼしそうになりながら、わけを話すと、「ぼくにも病歴を話してくれないかい?」と言いました。かれもZ医師のように、思いやりふかく耳をかたむけてくれましたが、ひとつ違っていたのは、わたしの話の中のZ医師とはまったく違う内容を聞きとってくれたことです。話しおえると、かれは長いことじっとわたしを見つめ、「すごいね、レイチェル、あなたは勇者なんだ!」といったのです。それでわたしは癒され、元気になってしまいました。

・祈りは希望を実現する手段ではありません。祈りはむしろ、執着しているものを手放す方法ではないかと思います。怖れという執着、期待という執着をこえた場所へみちびいてくれるのが、祈りです。世界と生のありようを思いださせてくれる助けです。理性にたよる手段ではなく、深い体験をくぐる方法です。祈って世界を変えるのではなく、わたしたち自身を、意識を変える。孤絶した個人というレベルをこえて、ずっとずっと大きな現実にむすびつくための意識をえようとすることです。
「もっと正しいことをするために、どうか助けてください」

・小児科医をしていた若いころ、12歳の少女ショシャナの担当になりました。悪性リンパ腫、ホジキン病になって、スタンフォードの線形加速器で放射線治療を受けることになったのです。彼女の父は伝統派のラビで、非常に伝統を尊重して、いにしえからのこの宗教の儀式ときまりを堅固に守っていました。伝統派ユダヤ教徒にとって、罪を贖うヨム・キプール(大贖罪日)こそはもっとも聖なる日です。金銭を扱わない、動物の皮革にもふれない。革靴さえはかないという決まりになっています。いかなる目的のためにも、電気も自動車も使いません。シャシャナの八度めの治療はちょうどその日にあたりました。加速器まで歩いていくのは、この病気の少女には遠すぎました。父親がわたしに相談にみえました。かれはヨム・キプールのきまりをきびしく守ることの大切打を説明してから、その日の治療はやめては。と提案しました。
 「だめです」とわたしは答えました。「ショシャナの回復のためには、治療のタイミングが決定的な重要性をもっているのですよ」。怒ったかれは、娘はいかせない、とあくまでいいはりました。「神の法は人間が考えた法に優先される」。わたしはぞっとしました。「お子さんの治療より、神の法がさらに大切だといわれるのですか? そんなことを要求する神はいったいどんな神です?」。
 気分を害したかれは、イサクを神の生け贄にしようとしたアブラハムの話を例に引きだします。わたしにはとうてい納得がゆきません。では、権威あるニューヨークのラビに相談するからといって、かれは帰りました。かれが所属する伝統派ユダヤ教の一派に頂点にいる指導者ラビのことをいっていたのです。わたしは意気消沈しました。
 でもヨム・キプールの朝、ショシャナは待合室で、いつも場所にこしかけていました。状況を説明する手紙をだしたところ、かれのラビ、つまりもっとも偉いラビがみずから電話をかけてきた。ヨム・キプールの朝、タクシーに家まできてもらい、ショシャナはそれに乗って治療にいくこと、そしてあなたも付き添いなさい、そういわれたと、静かな口調で父親いいました。
 大先輩であるラビは主張した。ショシャナは、彼女の人生でももっとも敬虔にして高潔な人物である父親が、もっとも聖なる日に、彼女の命を守るためには自動車に乗ることもいとわなかったことを知るだろう。ショシャナが自分だけ法を破ることによって、神から切りはなされたと感じてはならない、それが大切なのだ、そのような感情は病気の回復の妨げになるかもしれない、ラビはそう答えたというのでした。

・「人生」がつきつけてくる問題の多くは、公案のように、答えがないように見えます。しかし、「人生」の物語から得ることのできる意味と知恵は、公案の解答の得られかたによく似ているのです。意味が自然に姿を現してくれるのを待つのは、赤ん坊の誕生を待つのに似ていますね。ある物語を「生きた」あと、あるいはある物語を聴いたあと、わたしたちはそれ胎内に宿すのです。懐胎期間は数週間かもしれないし、数年かかることもあるかもしれませんが、物語を胎内に宿したわたしたちはときを経て、さまざまな意味を、より深い意味を誕生させることができるかもしれないのです。苦しみと病気はあきらかに公案です。生そのものも公案でしょうか。禅の修行者が公案に接する態度で人生と向かいあうことのできる人びとは、ふつうなら人間を苦々しさと敗北感に陥れるような出来事によってさえ、精神の軌道にのって飛ぶことができるでしょう。苦しみや出遭いは肉体のみならず、魂の性格まで帰るものかもしれないのです。

・ユダヤ教の「公案」
 もしわたしがわたし自身を大切にしなければ、だれが大切にしてくれるのだろうか?
 もしわたしが自分のことだけを大切にするなら、わたしとは一体何者か?
 もしたった今そうしなければ、いつするというのか?

感想
一人だと気づかないことがあります。
その時に、聴いてくれて、気づきを与えてくれる人がいると希望を持つことができる可能性があります。
気持ちの持ち方で感情も大きく変わるようです。
そして身体も変わる可能性を秘めています。
何を大切にするか、人生から日々問われているのでしょう。