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幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「日本文化をよむ 5つのキーワード」藤田正勝著 ”心/悪/無常/花/風雅”

2018-09-05 09:02:08 | 本の紹介
・5つのキーワード
1)西行の「心」 無常の世と詠歌懸命の道
2)親鸞の「悪」 末法の世における救い
3)長明と兼好の「無常」 二人の遁世者
4)世阿弥の「花」 能と禅の交わり
5)芭蕉の「風雅」 わび・さびと「自然」

・西行法師
「憂き世には あられば有に まかせつつ 心よいたく 物な思ひそ」
憂き世の中で煩悩する自己がそこにいる。そして、突きつめて物を思うなかれとそれに語りかけ、歩むべき方向を自問自答している。

・西行は、世の多くの歌人とは異なり、自分の場合は、存在するものはすべて虚妄であるにすぎないと観じ、その仮の姿を縁にしたがって詠んでいるいるだけであると語ったというのである。

・西田は『善の研究』の第四編「宗教」の冒頭で、宗教は、自己の変革を通して「永遠の真生命」を得ようとするところに生まれることを語っているが、「愚禿親鸞」においても、「一たび懸崖(けんがい)に手を撤(さつ)して絶後に蘇った者」のみが、「翻身一回・・・新な生命に入ることができる」こと、まさにそこにこそ「宗教の真髄」があることを述べている。
断崖絶壁を必死で登ろうとするその手をあえて離して、死を覚悟する、そこから新しい道が開けるという、白隠禅師の弟子である古郡兼通の偈が踏まえられているが、みせかけやうそ、いつわりで満たされた自らの心をみつめ、自力への執心を徹底して否定しようとした親鸞のなかに、西田はこの決死の翻りを見たのであろう。

・悪行を背負い、徹底して懺悔せざるをえない自分であるにも拘わらず、そのうえにも光はみちてきて、そのはたらきによって包まれる。この転換を親鸞は経験したのである。悪を徹底して自覚することが、同時に救いの次元を切り開いたのである。そういう意味で救いとは一つの逆説であると言うことが言える。救いに値しないからこそ、また救いを自ら手にする力をもたないからこそ、救いがさしのべられるのである。実際親鸞においてはそこにゆるぎのない信心、信仰者としてのゆるぎのない生が確立したのである。その信仰を親鸞は「歎異抄」(六)のなかで「如来よりたまはりたる信心」と表現している。それは自己が自らの力で獲得した信心ではない。賜った信心である。降りそそいできた光によって照らされて成立した信心である。それは人間の心のなかに映った仏の心、人間の心のなかに入り込んできた仏の心と言ってもよいかもしれない(長谷正富『欲望の哲学 浄土救世界の思索』「親鸞の信」)

・煩悩のために罪悪を重ね、行に迷い信に惑う衆生にこそ、正覚、つまり正しいさとりの花が咲くというのである。心のなかに生まれてくる悪を正面から見つめ、自己の不真実を自覚し、懺悔するものにこそ、救いの光が射し込み、光によって包まれていることが意識されるのある。淤泥華(おでいけ)の喩えは、この逆説を巧みに表現している。
「高原の陸地には蓮華を生ぜず、卑湿の淤泥(ひしつのおでい―きたないどろ)に蓮華を生ず」

・歓喜と懺悔とが言わば一つであること、懺悔があってはじめて歓喜がありうること、歓喜が懺悔によって裏打ちされていること、繰り返し懺悔へと投げ返され、それを通してはじめて歓喜が歓喜でありうることを、親鸞ほど深く理解した人はいなかったと言えるのであろう。

・俗世を離脱することは、いわば中心から離れ、周辺へと身を移すことを意味する。

・このいまを生きる(寸陰愛惜)
 「徒然草」第百八段の「寸陰惜むひとなし。これよく知れるか、愚なるか。・・・されば、道人(どうにん)は、遠く日月を惜むべからず。ただ今の一念、むなしく過ぐる事を惜むべし」という言葉である。通り将来のの月日が虚しく移ろうことに心痛める人尾いるが、仏の道に邁進しようとする人が心しなければならないのは、この一瞬を空しく過ごさないようにすることである。

・「却来」
 さとりの世界にとどまることなく、そこからもう一度衆生のために、悟る前の相対差別の世界へと戻り来ることが「却来(きょらい)」である。

・「頓(やが)て死ぬ けしきは見えず 蝉の声」(芭蕉)

感想
日本文化をよむ 本なのに、生き方を問われている本のように感じました。

「寸陰愛惜」
この言葉を好きな言葉に加えました。
今を大切にしたいと思いました。
そしてその今は、「亡己利他」に努めることがブーメランのように自分に帰って来て、幸せを感じるのでしょう。

お釈迦さんも、「過去も未来もない。あるのは今だけだ」と。
今を大切に生きるようにとのことでしょう。
なのについ、過去を悔やみ未来を心配し、大切な時間をそれに費やし、今につかっていない。
過去を今に生かし、今が未来の結果なのですが。