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西洋美術関連ブログ 思索の断片
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シャヴァンヌ展―水辺のアルカディア ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界

2014-02-11 16:27:28 | 美術展


シャヴァンヌ展―水辺のアルカディア ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界
[仏題:L'Arcadie au bord de l'eau―Le monde mythique de Puvis de Chavannes]
(Bunkamura ザ・ミュージアム、2014年1月2日~3月9日)

このブログではこれまで、「美の巨人たち」(テレビ東京)と「日曜美術館」(NHK Eテレ)で放送されたシャヴァンヌ特集に関して、それぞれ感想を綴ってきた。(→ 2月1日の記事同9日の記事

会期も折り返し地点を過ぎた今日、ようやく美術展を訪れることができた。
最近は美術展に行ってもポストカードを買うことは以前と比べてめっきり少なくなったのだが、今回は(なかなか日本語での資料が比較的少ない画家ということもあり)四枚購入した。

それぞれ、制作に着手した(とされる)順に並べてみよう。

1.《幻想》(1866)・・・大原美術館(岡山)蔵。原田マハ氏の小説『楽園のカンヴァス』冒頭でも言及されている。(リンク等詳細は2月9日のブログ記事へ)

展覧会場では本作品を評するにあたって「冷たい官能性」なる表現を用いていた。

キーツの珠玉オードのひとつ「ギリシア古甕のオード」の45行目にみられる表現「冷たい牧歌!」("Cold Pastoral!")に照らし合わせて考えてみると、まさに言い得て妙である。

2.《諸芸術とミューズたちの集う聖なる森》(1884-89)・・・本展覧会の目玉作品にして、シャヴァンヌ絵画の極致。

諸芸術の女神の擬人化。

シャヴァンヌ作品の画面構成におけるひとつの特徴は、〈水平方向〉と〈垂直方向〉の交差にある。

それらを仮に〈X軸〉と〈Y軸〉と呼ぼう。
本作品でいうと、〈Y軸〉はいいとして、女神たちの描写に関しては〈X軸〉が三本引ける。

つまり、こういうことである。



いくつかの素描に残る〈升目〉から判断しても、シャヴァンヌが画面構成に非常に気を配っていたことは確かだろう。
奥行きのない画面構成のなかで、この三つの〈X軸〉は、きわめて重層的な調べを奏でている。

また別の見方もできる。

中央やや右に集う五人の女神と一人の子ども。
彼女たちを中心として、スコットランドの国旗のように線が走っているともいえる。



たしかに、こうして画家が観る者の目を中心へと誘導しているという見方は可能だろう。

しかし展覧会場でも「偉大なる単純さ」(grand simplicity)という言葉が使われていたように、シャヴァンヌの画面構成は誘導的なものというよりはむしろ極力シンプルなものであったはずだ。

(参考までに...ドイツの美術史家ウィンケルマンの有名な言葉に「高貴なる素朴さと静謐なる偉大さ」(noble simplicity and quiet grandeur)というのがある)

個人的には、〈X軸〉三本の画面構成であると読み取りたい。

3.《古代の光景》(1885)・・・フランスのリヨンにある実際の壁画だと、《諸芸術とミューズたちの集う聖なる森》の左隣に設置されている。

会場の説明書きには、遠景に描かれている動物が、パルテノン神殿に彫られているそれを意識したものであるとあった。

その根拠が、右上で跪く男性。
彼は、パルテノン神殿建設に携わったフェイディアスであるとされる。

4.《羊飼いの歌》(1891)・・・上記《古代の光景》の画面右下に描かれている三人の人物群を抜きだした形の作品。

気になったのは、画面左上に小さく描かれている男性の姿。
どこかでみたことのある気がした。

なかなか思い出せず帰宅し、ググってみたところ、ヒットした。
レオナルドの工房の作とされる《バッカス》である。


(左:《羊飼いの歌》[部分]/右:《バッカス》[部分])

両者とも、腰に布を当て、杖(テュルソス)を左腕に抱え、上半身をやや左に傾けている。

おそらくレオナルド作品へのオマージュなのだろう。

ただ、シャヴァンヌ自身がレオナルドに関して何か語ったという記録については私は知らないので、あくまで推測の域を出ない。

それでも形態的類似性は確かに認められるといえよう。

購入した四枚のポストカードについてはこんなところか。

あとは展覧会全体を通しての感想を、(例によって)断片的に書いてゆく。

シャヴァンヌの理想郷のイメージ
多分にウェルギリウスの『牧歌』と『農耕詩』に由来するものである。
また『アエネイス』からの影響もみられる。

本展覧会名に関して[1]
まず「アルカディア」についてだが、展覧会を通してみて、やはりシャヴァンヌの描いたのは「ユートピア」というよりは「アルカディア」なのだろうと感じた。

後者の方が、静かで牧歌的性格が濃い。
また霊感源としてのギリシアのイメージも考えると、やはり「アルカディア」の方が、表現として適確なのだろうと感じた。

本展覧会名に関して[2]
水辺」のイメージに関しては、正直それほど印象に残らなかった。
しかしよくみると、確かに多くの作品に〈水〉が描かれている。

これは多くの画面の〈青さ〉にもつながることだと思うし、〈静けさ〉の要素にも関わってくると思う。

シャヴァンヌの〈静けさ〉とは、いわゆる〈無音〉ではない。
ちょうど、波の音のみが聞こえるために、いっそう〈静けさ〉を感じるように、ひそやかな調べが画面から聞こえてくるからこそ、〈静けさ〉を感じる。

その意味で、〈水〉あるいは〈海辺〉とシャヴァンヌ絵画がつながってくる。

また、もっと根源的なところを探れば、〈水〉自体が〈アルカディア〉に通ずる〈純粋さ〉のイメージを湛えたものであるということも十分あるだろう。

本展覧会名に関して[3]
タイトルに関しては、もう一点、「ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ神話世界」という点に着目したい。

以前にこのブログで、モネの〈眼〉の話をした。(→ 2月1日の記事

モネの〈眼〉と同様、シャヴァンヌの〈眼〉もまた、単に対象を写し取るだけではない。
シャヴァンヌは確かに古典作品にインスピレーションを受けたが、決してその世界にとどまることはなかった。

シャヴァンヌは、古典を超えた、普遍的な世界観を求め、自らの〈眼〉を通して再構成された「アルカディア」を描いてみせた。

〈詩〉と〈絵画〉
シャヴァンヌの絵画をみていると、両者が「姉妹芸術」である、というのを身に染みて感じる。

先日触れた高階氏の著作の6頁にもあるが、参考までにまとめておくと...

シモニデス「詩は有声の絵(painting that speaks)、絵は無声の詩(silent poetry)」

ホラティウス詩は絵の如く」(Ut pictura poesis)

《休息》(通し番号11)
人体表現がミケランジェロあるいはルーベンスを思わせる。
簡素な人物表現がほとんどなシャヴァンヌにしては珍しい(実験的な?)作風。

晩年の作風
印象派のそれを思わせる。

―最後に―

忘れ去られた画家シャヴァンヌ。
19世紀末フランスにおける、ひょっとしたら「最大」の巨匠といっていいかもしれない。

この展覧会が「思い起こす」きっかけとなることを願う。

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