2014年3月15日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
カラヴァッジョ 「いかさま師」
彼[カラヴァッジョ]が欲しかったのは真実、自分が見たままの真実だった。
だから、古典的な手本にはなんの魅力も感じなかったし、「理想の美」など気にもかけなかった。
彼はいままでの絵画の常識を捨てて、美術をゼロから考え直そうとした。
(ゴンブリッチ 『美術の物語』 298頁)
だから、古典的な手本にはなんの魅力も感じなかったし、「理想の美」など気にもかけなかった。
彼はいままでの絵画の常識を捨てて、美術をゼロから考え直そうとした。
(ゴンブリッチ 『美術の物語』 298頁)
バロック絵画の扉を開いた画家カラヴァッジョ。
彼の主導した〈光〉と〈影〉の革命は、大げさにいえば、17世紀の西洋絵画の道筋をも規定した。
ゴンブリッチもまた前掲書のなかで、画家を「革命家」と呼んでいる(354頁)。
カラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ派)に属するとされる画家の顔ぶれをみれば、彼の影響力の大きさがよくわかる。
ルーベンス、ベラスケス、レンブラント・・・。
みな、17世紀バロック絵画を代表する画家たちである。
一般に、とりわけカラヴァッジョやレンブラントらの絵画にみられる〈光〉と〈影〉の明暗法のことを、絵画用語でキアロスクーロという。
こうした画法のみならず、カラヴァッジョは、その人生もまた明暗のコントラストが強烈であった。
彼の生き方は映画にもなっている。(→参考[下図参照])
さて、今回の作品は彼の初期の代表作《いかさま師》。
画面左の男性の純朴さが印象的だ。
番組のなかでも指摘されていたように、この男性の顔の右半分にかかる影が、のちに起こる災難を予兆しているかのようでもある。
一種の「劇的アイロニー」と言えなくもない。
また、中央の男性は画家の自画像という説もあるそうだ。
人差し指と中指を立てた右手が、あたかも絵筆をもってカンヴァスに向かう画家自身の様子を鏡に映したものではないかという説だ。
なかなか興味深い。
番組内では、絵画修復家であるロベルタ・ラプッチ氏による、カラヴァッジョに関する最新研究の内容が紹介されていた。
曰く、カラヴァッジョは「直接投影法」なる画法を用いて絵画を制作した。
19世紀初めに発明された写真技術を200年ほど先取りしていたというこの見解が確かであれば、カラヴァッジョにまつわるいくつかの〈謎〉が解明される可能性が高いという。
たとえば、
・ほとんどデッサンが残っていない
・初期の作品に描かれている人物の多くが左利き
・後年になって同じモデルを用いて描き、今度は右利きになっている
といった問題。・初期の作品に描かれている人物の多くが左利き
・後年になって同じモデルを用いて描き、今度は右利きになっている
ラプッチ氏の研究については、2009年3月のBBCニュースでも取り上げられているので、興味のある方は参照されたい。
氏の主張というのは、簡単に言ってしまえばこうである。
カラヴァッジョは複雑な装置を用いて直接カンヴァスに像を写し取り、そこに着色を施した。
ゆえにデッサンがほとんど残っていない。
初期の作品に描かれている人物の多くが左利きだったのは、〈反射装置〉の構造をよく理解していなかったため。
それが後年になると進歩がみられ、右利きの人物像が増えた。
17世紀オランダ黄金期を代表する画家フェルメールもまた、カメラ・オブスクーラなる装置を用いて絵画を制作したとされる。
カラヴァッジョとフェルメールとがほぼ同時代に生きていたことを考えると、ラプッチ氏の説はそれほど突飛ともいえないだろう。
しかしなお、〈謎〉が完全に解明されたわけではない。
番組内でも言っていたが、今回の作品《いかさま師》に象徴されるように、ほんとうに〈騙されている〉のは実は我々なのかもしれない。
最後に、こちらもバロック期の画家に分類されるラ・トゥールの手による同主題の絵画を貼り付けておこう。
カラヴァッジョの《いかさま師》も、ラ・トゥールの《いかさま師》も、テキサスのキンベル美術館に所蔵されている。
もっとも、ラ・トゥールの方に関しては、ルーヴルにも、ほぼ同じ別ヴァージョンの作品があるということだ。(参考)
一応、両者を並べておこう。
(左:テキサス版 / 右:ルーヴル版)
衣服の色合いが若干異なっている。
ラ・トゥールもカラヴァッジェスキ。
当時にあってカラヴァッジョの影響力は、現代では想像も及ばないほど大きかったのだ。
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