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西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

ウフィツィ美術館展-黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで-

2014-10-19 22:05:08 | 美術展

ウフィツィ美術館展-黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで-
[伊題:Arte a Firenze da Botticelli a Bronzino: verso una 'maniera moderna'
東京都美術館
2014年10月11日~12月14日

イタリア・フィレンツェ。
古くより花卉栽培の盛んであったこの地に、「ルネサンス」という大輪の花が咲いたのは15世紀から16世紀にかけてのこと。

フィレンツェ[伊Firenze、英Florence]の語源は、「花盛りの」(blooming)を意味するラテン語florentius
まさしく、「花の都」と呼ばれるにふさわしい。

1560年、画家にして建築家のヴァザーリ(彼の書いた『芸術家列伝』は、美術史研究における古典的名著)によって、初代トスカーナ大公のコジモ1世の政庁の建設が設計・着工された。
ウフィツィ(uffizi)とは、イタリア語で"offices"を意味する語。
それが、この庁舎の名の由来となった。

以降、メディチ家によって数々の美術品がこのウフィツィ宮に集められた。
そうして収集された作品群が、現在のウフィツィ美術館のコレクションの中核をなす。

さて、今回の「ウフィツィ美術館展-黄金のルネサンス ボッティチェリからブロンヅィーノまで-」。
副題に含まれている「マニエラ・モデルナ」(maniera moderna;新しい様式)が、ひとつのキーワードになっている。

しかし、なにやら聞きなれない語である。
ウィキペディアにも、現在のところではイタリア語以外のページは作成されていないようだ。

展覧会場での解説によれば、これはヴァザーリの言葉だという。
先述した『芸術家列伝』の第三部の序文には、「マニエラ・モデルナ」に相当する語句がみられる。
(なお、私の手元にある『芸術家列伝3-レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ』(白水社、2011)では、その序文の訳出は割愛されている。)

「新しい様式」を意味する「マニエラ・モデルナ」。
ヴァザーリのみてとった「新しさ」とは何なのか。

きわめて簡単に言ってしまえば、こうである。
15世紀までは、大工房の主宰者(親方)の技術にならい、その技法を習得することが、弟子たちの目指す最終的な到達点であった。
しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチにはじまる(とヴァザーリはみなす)16世紀以降の工房においては、いかにして師の技芸を越え、それまでの様式観を打ち破るかという点に積極的な価値が置かれるようになった。

それが、ヴァザーリのみてとった「新しさ」であった。
そして、彼にとり、レオナルドは、その「新しい様式」(maniera moderna)の極致にあたる「美しい様式」(bella maniera)にまで達していた画家として認識されていた。

こうしたヴァザーリの意識を形成した要因には、当時の政治情勢も絡んでくることであろう。

メディチ家に黄金期をもたらしたロレンツォ・デ・メディチが1492年に亡くなったあと、フィレンツェでは、ドミニコ会修道士のサヴォナローラが急速に社会的な影響力を増していった。

しかし、サヴォナローラの唱えた厳格な教義は、彼が1498年に処刑されたことにより、弱火になってゆく。
代わりに政治の座についたソデリーニは、サヴォナローラとは対照的に、寛容で穏健な姿勢を前面に打ち出した。

ソデリーニのもたらした開放的な世界観が、工房における旧来の価値観にも新たな息吹を吹き込むものであった可能性は十分に考えられる。

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そろそろ、作品の振り返りに入ろう。
いくつかの気になった作品について、簡単にコメントをのこしておきたい。

Botticelli, 'Madonna and Child with an Angel'

遠目にはフィリッポ・リッピの作に思えたが、実際にはボッティチェリが描いていると知り、少し驚いた。
実際、かつてはリッピの作とみなされていた時期もあったという。

リッピはボッティチェリの師。
師から弟子への影響力は、予想以上に濃いものがある。
(参考までに、リッピの描いたよく似た構図の作品を一点。'Madonna and Child')

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Botticelli, 'Pallas and the Centaur'

本展の目玉作品のひとつ。
画家がパトロンのひとりの結婚祝いに送ったものとされる。

獰猛なケンタウロスを押さえつけるパラス(アテナ;ローマ神話ではミネルウァ)の姿に、情欲に打ち勝つ貞節といった意味を読み取るアレゴリカルな解釈は、作品の受け取り手の「結婚」という背景を考えると、それなりに説得力があるように思う。
なかなか面白い。

ちなみに、『西洋美術解読事典』(河出書房新社、2014)には次の記述がみられる。
「ルネサンスの人文主義者にとって、ケンタウロスは人間の半ば獣である下位の本姓の形象化で、ミネルウァに象徴される高位の英知と対置されることもあった」(123頁)。

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Botticelli, 'Madonna and Child with the Young St John the Baptist'

印象的な聖母の姿勢。
これを、クリムトの絵画と比較するのは・・・・・・やや無理があるか。



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Botticelli, 'The Adoration of Magi'

人がごった返している。
初期ルネサンスの画家のなかでも、ボッティチェリはとくにサヴォナローラの説教に傾倒していた。
この混沌とした画面に、そうした宗教的熱情をみてとることは、決して突飛な解釈だとは思わない。

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Bronzino, 'Portrait of Pope Leo X'

ブロンヅィーノのこの絵をみた瞬間、別の画家の描いたある絵画が思い起こされた。
ラファエロの手になる《レオ10世の肖像》である。


展覧会場での解説はとくになかったが、ブロンヅィーノの脳裏にはおそらくこの絵画があったのではないか。
(もしかしたら図版等、他の媒体には解説が載っていたのかもしれない。)

ブロンヅィーノがこの絵を描いたと推定されている1555-65年ころ、レオ10世(1475-1521)はすでに他界していた。
画家がこの教皇の肖像画を描くとなれば、先達の作品を参考にするより他に手段はなかったと思われる。

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Bronzino [design and carton], 'Spring (La Primavera)'

ひしめく人物群が空間内を踊るように遊泳する描写は、画家ブロンヅィーノの代表作《愛のアレゴリー》を思い起こさせる。

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[Attributed to] Vasari, 'The Adoration of the Shepherds'

西洋絵画史の時代区分でいえば、ルネサンスもマニエリスムをも越えた先にあるバロック的な光と闇の世界を、ヴァザーリが16世紀半ばに描き出しているのは驚きだ。

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他にも、ポントルモの《聖母子》やフランチェスコ・デル・ブリナの《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》など、マリエリスム的傾向のみられる作品が興味深かった。

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ウフィツィ美術館。
花の都に咲く精華。

エドガー・ドガ 「カフェ・コンセール レ・ザンバサドゥールにて」

2014-10-04 23:48:33 | 番組(美の巨人たち)

2014年10月4日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
エドガー・ドガ 「カフェ・コンセール レ・ザンバサドゥールにて」

And then all of a sudden he broke out in a great flame of anger, stamping with his foot, brandishing the cane, and carrying on (as the maid described it) like a madman. The old gentleman took a step back, with the air of one very much surprised and a trifle hurt; and at that Mr Hyde broke out of all bounds and clubbed him to the earth. And next moment, with ape-like fury, he was trampling his victim under foot and hailing down a storm of blows, under which the bones were audibly shattered and the body jumped upon the roadway. At the horror of these sights and sounds, the maid fainted.
---Robert Louis Stevenson, The Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde

スティーブンソンの怪奇小説が読者の心のなかに植え付ける恐怖のひとつに、動物の人間化(humanization)ならぬ人間の動物化(animalization)の表現がある。

良くも悪くも典型的なヴィクトリア朝の紳士として描かれるジキル博士の表面的な「善良さ」もたしかに怖い。
しかしやはり、ハイド氏に顕著にみられる退行的な傾向には、より本能的な怖さがある。

ハイド氏の性向は、しばしば"atavism"あるいは"reversion"といった言葉で説明される。
言うまでもなく、スティーブンソンの念頭にあったのはダーウィンの進化論である。
ダーウィンの生物進化論が『ジキル博士とハイド氏』の執筆に与えた影響はたびたび指摘される。

『種の起源』が出版されたのは1859年。
『ジキル博士とハイド氏』が刊行されたのは1886年。

ダーウィンの革命的な著作から影響を受けたのは文学者だけではない。
印象派の画家ドガも、ダーウィンから影響を受けたひとりである。

画家がとくに影響を受けたのは、ダーウィンの『人及び動物の表情について』であった。
この著作を読んだドガは、人間と動物の表情には共通点がみられることに興味を覚えた。

そして、今回の一作《カフェ・コンセール レ・ザンバサドゥールにて》。
中央やや右に描かれている赤い服を着た女性。

画家の関心は、通常のように上から光を当てて彼女の美しさを引き立てることではない。
むしろ、下からの光を当てることで、文字通り光の当たっていなかった部分、すなわち彼女の動物的な一面を浮かび上がらせようとしている。

各方面に影響を与えたダーウィンの著作。
ちなみに、ホームズもダーウィンを読んでいた。

'Do you remember what Darwin says about music? He claims that the power of producing and appreciating it existed among the human race long before the power of speech was arrived at. Perhaps that is why we are so subtly influenced by it. There are vague memories in our souls of those misty centuries when the world was in its childhood.'
---Conan Doyle, A Study in Scarlet

[メモ:カンヴァスから見切れるようにして人々を描くドガの手法は、日本の浮世絵にならったもの。この手法により、空間の広さが暗示される。印象派のなかでも、ドガの作品の構図の斬新さは群を抜く。それは多分にジャポニスムからの影響。]