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西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

ホイッスラー展

2014-12-28 19:47:12 | 美術展

ホイッスラー展
[英題:James McNeill Whistler: Retrospective
横浜美術館
2014年12月6日~2015年3月1日

ラファエル前派兄弟団の結成が1848年。

クールベのレアリスム(写実主義)宣言が1855年。

第一回印象派展が1874年。

19世紀半ばから終わりにかけてのヨーロッパの美術界で胎動していたのは、ほかならぬ、20世紀における「イズム」の乱立であった。

この意味において、「激動」の時代を生きた画家、それがホイッスラー(1834-1903)であった。

アメリカで生まれた彼は、まさに「流浪の画家」とでも呼ぼうか、各地を転々とする。

父親の仕事の関係でロシアに移住したかと思うと、英国の学校に一時期かよい、アメリカに帰国。
ふたたび英国に旅立ち、しばし滞在したあと、今度はパリに移る。

以降、彼はロンドンとパリとを何度も往復する。
展覧会場の解説にあった言葉を借りれば、彼は、まさしく"cross-channel"(「英仏海峡を往来する」の意)の画家であった。
[くわえて、彼は一時期、バルパライソ(チリ)や、ヴェネツィア(イタリア)でも、制作活動に打ち込んでいた。]

こうした「根無し草」のような生活は、はたして、彼にプラスに働くこととなる。

当初、クールベのレアリスムにやや傾倒していたホイッスラーは、英国でラファエル前派の芸術家たち(とくにロセッティ)との交友を結び、フランスでは印象派の画家たちとの親交を深めた(モネの紹介で、マラルメにも出会っている)。

こうした貴重な邂逅の数々を通して、彼のうちには、さまざまなパースペクティヴが蓄積されてゆく。
同時に、美術界における、たしかな気運の変化の兆しをも、敏感に感じ取ってゆく。

―もはや、世紀前半の英国で人気を博した、道徳(教訓)的な主題は時代遅れだ―

ラファエル前派の活動が実質的に数年で終わったのち、世紀の後半から世紀末にかけての英国では、ある美意識が隆盛をみせた。
それが、世紀初頭のフランスに端を発する、「唯美主義」の流れであった。

ホイッスラーは、英国におけるこの「運動」の旗手として活躍した。


Symphony in White no 2: The Little White Girl

唯美主義には、大きく二つの源流がある。
ひとつはギリシア、もうひとつは日本(ジャポニスム)である。

ホイッスラーは、(どちらかというと)後者。
(前者の代表格には、レイトンムーアがいる。)

いずれの流れにしても、イギリス本国の美術界に「流入」するとなると、そこでは何かしらの形で「合流」がなされることとなる。
(復興期の美学理論が、しばしば「折衷主義」的な性格を有するのは、多分にこのため。)

とりわけ、大陸諸国でさまざまな「美の現場」をみてきたホイッスラーの作品には、多くの流派からの影響が指摘される。
それでも、彼は、いわゆる「影響の不安」(anxiety of influence)に屈することはなかった。

彼は、しばしば、自分の作品のタイトルに音楽用語をつけた。
(例:「ノクターン」「シンフォニー」「アレンジメント」など。)

なかでも、彼が好んで作品名に用いた「音楽用語」のひとつに、「ハーモニー」(harmony)がある。
言うまでもなく、彼の意識にあったのは、展覧会場の解説にもあるように、「絵画の物語性よりも色の調和を重んじ、ヴィクトリア朝期の典型であった教訓的な絵画との決別を試みる」ことであった。
そこにはまた、絵画と音楽との理想的な「調和」を図ろうという思いもあったことであろう。

しかし、さまざまな「画派」が乱立しはじめる時期という、当時の時代背景を考えると、この「ハーモニー」という語には、別の含みもあるように思えてくる。
それこそ、「影響の不安」に押しつぶされることなく、自らの「調和的な」世界観を作ろうという意図のようなものが。


The Princess from the Land of Porcelain hanging over the fireplace in the Peacock Room

* * * * * * * * * *

さて、本展が開かれている横浜美術館の「美術情報センター」では、「同時代資料にみるホイッスラー像―『パンチ』を中心に―」と題された、この展覧会に関連する資料の展示がなされている(会期:2014年12月6日~ 2015年3月25日)。

当時刊行されていた諷刺雑誌『パンチ』に掲載された、ホイッスラーの作品に対する皮肉たっぷりのコメントや、20世紀初頭に公刊された、ホイッスラーの伝記などがみられる。

なかでも面白かったのが、次に引用する『パンチ』の記事。
画家がしばしば作品名に音楽用語を用いたことを皮肉っている(→本文[左上])。



RECIPROCITY.

(The Arts are borrowing each other's vocabulary-PAINTING has its "Harmonies" and "Symphonies" : MUSIC is beginning to return the compliment.)

First Lovely Being (to clever Pianist, after performance). "O HOW CHARMING, HERR LA BÉMOISKI! THERE'S SUCH COLOUR IN YOUR FORTISSIMOES ! "

Second Lovely Being. "SUCH ROUNDNESS OF MODELLING IN YOUR PIANISSIMOES ! ! "

Third Lovely Being. "SUCH PERSPECTIVE IN YOUR CRESCENDOES ! ! ! "

Fourth Lovely Being. "SUCH CHIAROSCURO IN YOUR DIMINUENDOES ! ! ! ! "

Fifth Lovely Being. "SUCH ANATOMY IN YOUR LEGATOES ! ! ! ! ! " &c., &c., &c.

[Clever Pianist is bewildered, but not displeased.

キアロスクーロの件には思わず笑ってしまった。

最後に、ホイッスラーの著作からの一節を引用しておこう。

As music is the poetry of sound, so is painting the poetry of sight, and the subject-matter has nothing to do with harmony of sound or of colour. The great musicians knew this. Beethoven and the rest wrote music-simply music; symphony in this key, concerto or sonata in that. . . . Art should be independent of all claptrap-should stand alone, and appeal to the artistic sense of eye or ear, without confounding this with emotions entirely foreign to it, as devotion, pity, love, patriotism, and the like. All these have no kind of concern with it; and that is why I insist on calling my works 'arrangements' and 'harmonies.'

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