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leonardo24

西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

CREA(クレア) 2014年7月号

2014-06-08 18:09:17 | 雑誌

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CREA(クレア) 2014年7月号
(特集:「アート、足りてる? 人生にアートを! No Art, No Life 知る、観る、そして買う!」)
文藝春秋
2014

六本木の森美術館には折に触れてよく行くのだが、以前、入口の表記をみて一瞬驚いたことがあった。
「・・・モリアーティー美術館!?」

ホームズ物語にかぶれすぎといわれそうだが、"MORI ART MUSEUM"を"MORIARTY MUSEUM"に空目したのだ(モリアーティー教授はホームズの宿敵)。

そういわれると、"MORIARTY"にみえてこないだろうか(みえてこないか)。


森美術館(入口)


モリアーティー教授(シドニー・パジェットの挿絵)

閑話休題。
女性向け月刊誌CREA(クレア)のアート特集が昨日(6月7日)発売された。

そこまで突っ込んだ内容ではないが、中野京子氏や原田マハ氏、橋本麻里氏ら著名な方々が多く寄稿されている。

62-63頁の見開きで解説されている、四つの作品だけで日本と西洋の美術史をそれぞれ概観するという(やや乱暴な)まとめは、しかし、なかなか興味深かった。
少なからず、本質をついている。

西洋美術に関していえば、扱われていたのは次の四つの作品。

1.プラクシテレスクニドスのアフロディーテ



2.ラファエロ《アテネの学堂


3.ダヴィッド《皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式


4.デュシャン《


それぞれ、古代ギリシア(ローマ)、ルネサンス、新古典主義、20世紀(ダダ)を代表する傑作群である。

個人的には3のダヴィッドと4のデュシャンの間に、印象派の作品をひとつ入れておいてほしかった。
印象派は、西洋美術史上で最大のパラダイム・シフトといって過言ではない。


さしあたり、モネの《印象・日の出》かルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》といったところか。

あと、興味深かったのは105頁の原田マハ氏の寄稿文。
モネの使っていたパレットには、それこそ抽象画のように絵の具の色彩が配置されていた。
なんとも原田氏らしい細やかな視点である。

もう一点気になったのだが、123頁に、今年の秋から東京都美術館(上野)で開催される「ウフィツィ美術館展」の紹介記事があった。


その解説文のなかで、「日本初のウフィツィ美術館展」といった言い方がされていたが、本当なのか。
2010年には東郷青児美術館(新宿)で「ウフィツィ美術館―自画像コレクション」が開かれている。


細かいことだが、どうなのだろうか。
しかし(ホームズの話で始まり、ホームズの言葉で締めるのもなんだが)ホームズは言う。

"It has long been an axiom of mine that the little things are infinitely the most important."
(Conan Doyle 'A Case of Identity')

さぁ、「人生にアートを」。

芸術新潮 2014年2月号

2014-03-09 16:12:05 | 雑誌

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芸術新潮 2014年2月号
(特集:「英国ヴィクトリア朝美術の陶酔(エクスタシー)―ラファエル前派から唯美主義まで
[英題:From the Pre-Rahaelites to the Aesthetic Movement]
新潮社
2014

更新が遅くなった。
今年の1月下旬に発売された芸術新潮の「ラファエル前派展」と「唯美主義(ザ・ビューティフル)展」の特集号。

西洋美術関連の記事としては、いま挙げた両展覧会のものに加え、「シャヴァンヌ展」に関するもの、そして高階秀爾氏と原田マハ氏の対談(於:大原美術館[岡山])をまとめたものなどがある。

上で言及した三つの展覧会については、以前に訪れた所感をこのブログに綴った。
(→「ラファエル前派展」「唯美主義展」「シャヴァンヌ展」)

以下では、芸術新潮の今回の特集号における主な記事ごとに、雑感を述べてみたい。

ヴィクトリア朝美術、反撃の50年! [Part1-3, 26-60頁]

「ラファエル前派展」の図版の監修者・荒川裕子氏が解説を担当された箇所。
さながら舞台の前口上のごとき、26頁右下の導入部分をまず引用しておこう。

フランスやイタリアに比べ、およそ百年は立ち遅れていた英国美術。
18世紀半ば過ぎ、ようやくロイヤル・アカデミーが設立されるもパッとせず、
世間でもてはやされるのは、おセンチな大衆絵画ばかり。

ついに業を煮やして立ち上がったのが、若きラファエル前派兄弟団。
彼らの挑戦は、やがて唯美主義という新しいうねりと一体化してゆく。
いよいよ、英国美術の巻き返しが始まった!

印象派に先がけること20年強、西洋絵画史上初めてのアヴァンギャルド運動ともいわれるラファエル前派。
そのロックンロールな精神がうまく表現されているように思う。

Part 1 われらラファエル前派兄弟団! (28-35頁)]

ここで解説されているのは、いわゆるラファエル前派〈前史〉から、兄弟団設立、解散、そして後世における受容までを視野に入れた内容である。
英国における「ナラティヴ・ペインティング」[参考]の伝統(28頁)や、英仏のアカデミーの比較(29頁)など、興味深い内容が語られていた。

気になったのは、30頁下から32頁上にかけて解説されている「予型論(タイポロジー)」の話。
荒川氏の言う「予型論」の定義とは、

あるものが別のものの前兆を表しているということで、たとえば、幼いキリストの拳の傷は後の磔刑を、右端[注:ミレイの《両親の家のキリスト》(下図)を参照]の水桶を持った少年は後の洗礼者ヨハネを暗示する、といった具合 (30頁)

である。


「予型論」なるものは、Wikipediaの解説にもあるように、旧約の内容が新約で成就されるという、一種の聖書解釈のあり方を指すものとばかり思っていた。
しかし、絵画の世界においても使われることがあるというのは初めて知った。

個人的に、絵画の解説において「予型論」という言葉を使うのはあまりなじみがなかったため、まだ若干違和感がある。
実際、上に貼り付けたミレイの絵画のWikipediaページにおける解説でも、"typology"という言葉は使われず、それに相当する語(句)として、例えば"prefigure (prefiguring)"や"representing potential future ..."といった表現が用いられている。

絵画における「予型論」については、これからまた勉強していきたい。

Part 2 P.R.B.セカンド・ジェネレーション、結集す (38-43頁)]

この箇所で主に解説されているのは、ラファエル前派第二世代にあたるモリスやバーン=ジョーンズらについて。

39頁下では「ハイ・アート(高尚な純粋美術)」と「アプライド・アート(応用美術すなわち装飾デザインや工芸など実用性を兼ね備えた芸術)」とが二項対立の形で比較されている。

おそらくモリスの場合だと、「ファイン・アート」に対する「レッサー・アート」ということになろうかと思われる。
この二語に関しては、以前にもこのブログで触れた。

どの用語を用いるかという問題はともかくとして、前者の「ハイ/アプライド・アート」の方が一般的な言い方であることは確かだろう。

Part 3 ただ美しいって罪なこと? (48-60頁)]

48-49頁に、レイトンの《浜辺で小石を拾うギリシアの娘たち》[下図参照]が見開きで載っている。
本作は「ラファエル前派展」と「唯美主義展」のいずれにも出展されていないが、みる限りでは明らかに《エルギン・マーブル》の影響を受けている。


もっとも、加藤明子氏がムーアについて述べているように、レイトンの場合も単なる「古代ギリシアの情景の再現ではな」いだろう(64頁)。

ラファエル前派の画家にしてもそうだが、19世紀後半に勢いを増した英国画家は、古代や中世(ないしは遠く離れた日本)に霊感源を求めた。
しかし彼らが成し遂げようとしたのはあくまで〈新たな美〉を生み出すことであって、単なる〈懐古〉や〈追憶〉ではない。

また本セクションでは、唯美主義絵画における〈眠る女性たち〉についての分析(53頁)や古代趣味の広まりに関する解説(同)などが興味深かった。

生活のなかの唯美主義―「ハウス・ビューティフル」 (62-68頁)

先ほども少し触れた加藤明子氏による解説パート。

64頁でも言及されているように、唯美主義者たちが純粋に〈美〉を追求していった結果、それが室内装飾をはじめとする〈実用〉に結びつくという過程は興味深い。

先日の数学の話ではないが、〈実利〉を最初から意図した〈有益さ〉というものは、ときに〈浅い〉ものだったりする。
真に〈有益〉なものを生むのは、実際には〈無益〉な(れど〈美〉な)るものの追及にあるのではないだろうか。

英国カルチャーシーンの19世紀リヴァイヴァル (69-71頁)

ここではラファエル前派をはじめとする19世紀ヴィクトリア朝の嗜好性が、21世紀においていかに表象されているかを探っている。

雑誌やファッション、音楽に加え、BBCのドラマ「シャーロック」や、このブログでも以前に取り上げたDesperate Romanticsも扱われている。

少し気になったのは、69頁右下の画像のキャプション。
「『Desperate Romantics』より。ミレイが《オフィーリア》のモデルのシダルを浴槽に浮かべる場面」とある。

画像はこれ[下図参照]と同場面のものを用いている。


確かに、ここでの主語は、史実的には「ミレイ」でいいのだろう。
しかし、細かい話になるが、ドラマの設定としては、Fred Waltersという(実在しない)人物がシダルを浴槽に浮かべたことになっている。

ともかくも、論全体としては面白かった。

その他の記事も、興味深い内容であった。

もしかしたら"ヴィジュアル系"? [76-77頁]
   ...エスプリの効いた記事

少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか [76-85頁]
   ...その関係性や、意外に密接

ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ―知られざる巨匠の古代幻想 [104-09頁]
   ...シャヴァンヌの〈アナクロニズム〉と〈モダニズム〉

特別対談(鼎談?) 高階秀爾×原田マハ 「美術史とミステリーには共通点がある」 [110-11頁]
   ...推理小説と美術鑑賞

海外アート―きみはターナーの海を見たか [125頁]
   ...ターナーとメルヴィル『白鯨』

良質の記事群だったように思う。

図版も多く、手元に備えておきたくなる一冊である。

BM(美術の杜) vol.33

2014-01-14 10:46:11 | 雑誌

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BM(美術の杜) vol.33
美術の杜出版
2014

藤原正彦氏の文章が好きだ。

数学者にして、『国家の品格』の著者。
本質を的確にとらえる目と情緒あふれる言葉遣い、そしてユーモア。

山本夏彦氏をして「時代遅れの日本男児」と呼ばしめた男。
軽薄で上っ面なことばかり言ってる人よりよっぽどいい。

昨日、藤原氏の『管見妄語 大いなる暗愚』(新潮文庫、2012)を読んでいた。
氏が2009年から2010年にかけて「週刊新潮」に寄せた連載コラムを集めたものだ。

時事的な話題も多く扱っている。
往々にしてこうした時事評論は即時性がものをいい、ときが経つとその意義とインパクトは薄まってしまうものだ。

しかし執筆から数年たった今でも、藤原氏の時事評論はなお新鮮さを失っていない。

ひとつには、藤原氏の目が、時代の潮流とともに移り変わる浅薄な対象ではなく、いつの時代にも通じる、「歴史に学ぼうとしない」(38頁)人間の「愚かさ」の本質を捉えているからであろう。
そしてもうひとつ挙げられるのは、数年たっても、日本の政治・社会問題が、うわべだけの「改善」や「改革」に終始していることの証左でもあろう。

ともあれ、氏の『管見妄語 大いなる暗愚』、そのユーモアあふれる語り口、大いに楽しませてもらった。
この本のなかで、興味を引いた文章のひとつに、「立ち読み文化とチャタレイ夫人」(114-16頁)と題されたコラムがある。

氏曰く、「日本には世界に誇る立ち読み文化があった」(114頁)。

冒頭には、あくまで数十年前の逸話ではあるが、アメリカ人女性が日本の書店で体験したカルチャーショックについて書かれていた。
立ち読み客で本屋が一杯になるというのは、日本ではかなり以前から日常的といってよい光景だが、欧米では、少なくとも当時は、稀有なことだったという。

さすがに今では書店の主がハタキをもって長居する客を払うといった光景はみられなくなったが、立ち読み文化の伝統は、電子書籍が台頭してきた今日にあって、なお受け継がれている。

さて、私も先日、見出しにある一冊の雑誌を書店で立ち読みしていた。
アマゾンで「ラファエル前派」と入れて検索したところヒットしたが、今まで手に取ったことのない雑誌だったので、買うにしても内容を確認してからにしたいと思ったからだ。
(値段が決して安くはないということもある)

このブログでは昨日、「アートマインド」という雑誌のラファエル前派展に関する特集記事について書いた。
(→ 2014年1月13日の記事

昨日は雑誌記事の内容に関して、多少批判めいたことも書いたが、「BM(美術の杜) vol.33」の記事は、あくまでイントロダクションのレベルにとどまるものではあるが、よく視点の行き届いた、良質の記事だったように思う。

記事の著者は長谷川栄氏。
リンクも貼り付けておいたが、いくつもの美術館の館長を務められた、輝かしい経歴をお持ちの方である。

記事は三つの章にまたがる。
第一章ではラファエル前派展と唯美主義展に関して、両者の展示内容の概要、関連性について触れられていた。

第二章ではラファエル前派展、第三章では唯美主義展に関して、ヴィジュアル・イメージを用いつつ、それぞれ目玉となる出展作品を挙げて簡潔な解説を寄せておられた。

記事の内容自体は、先ほども言ったように、良質だった。

しかしこの三章は、トータルで16頁(30-45頁)。
雑誌の総ページ数は、439頁にも及ぶ。

持っただけでかなりズッシリと感じられる。
加えて、ラファエル前派展と唯美主義展をあわせた計16頁以外は、はっきりいってラファエル前派とも唯美主義とも全く何の関係もない。

そして価格は2000円。
記事が良質であることは認めるが、少なくともラファエル前派展あるいは唯美主義展にのみ関心がある読者にとっては、決して相応の値段とは言えない。

昨日同様、買うことはなかった。

アートマインド no.174 (2014新年号)

2014-01-13 11:59:54 | 雑誌

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アートマインド no.174 (2014新年号)
ジャパンアート社
2013

東京・六本木の森アーツセンターギャラリーでのラファエル前派展開催まであと10日ほどとなった。
各美術雑誌も、展覧会に合わせて特集を組む。

このブログでは昨年末に「日経おとなのOFF 2014年1月号」を紹介させていただいた。
(→ 2013年12月12日の記事

ラファエル前派展に関する記事に限って言えば、割かれている紙面こそ少ないものの、イントロダクションから多少踏み込んだところまで、厳選された要点を丁寧に押さえた良質の記事となっていた。
時代背景、人物関係、作品解説と非常にバランスよくまとめられていた。

記事自体は日経のライター(大旗規子氏)の手によるものであったが、適宜、イギリス美術に造詣の深い荒川裕子氏による解説が加えられていた。

荒川氏に関していえば、ターナーに関するサム・スマイルズ氏の著作(J. M. W. Turner: The Making of a Modern Artist)を訳した『ターナー―モダン・アーティストの誕生』(ブリュッケ、2013)が昨年刊行された。
また荒川氏の『イギリス美術』(岩波新書、1998)は、新書サイズでイギリス美術史を全般的に網羅している貴重な書である。

展覧会まで日数が少なくなり、アマゾンで「ラファエル前派」と検索すると、新着書籍が次々と表示される。
そのうちの一冊(「アートマインド」)に関して、書店で手に取り読んでみた感想を述べる。

個人的に初めて目にするこの雑誌で主に特集されていたのは、「ラファエル前派展」と「ザ・ビューティフル(唯美主義)展」そして東京富士美術館で先日会期が終了した「光の賛歌 印象派展」の三つである。

最後の印象派展に関しては、既に展示が終了していることもあって、ここでは特別言及しない。
ラファエル前派展と唯美主義展の記事は、どちらも同じライター(アートライターの「ばんのなおこ」氏)によって書かれていた。

当然、19世紀のイギリス美術史を眺めてみれば、ラファエル前派から唯美主義へと受け継がれていく美の系譜がみられる。
しかし記事を読む限り、両者の「かみあわせ」具合が丁寧に描き出されているとは思えなかった。

「日経おとなのOFF 2014年1月号」の良質な解説記事を読んだ後だから感じるのかもしれないが、どこかポイントを捉えきれていない感が残った。

また最初の方でテート美術館とヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)がどうこうと書かれていたが、少なくとも後者は今回のラファエル前派展とは直接的な関連が全くない。
海外の美術館に言及するのであれば、今回の展覧会の場合、ワシントン・ナショナル・ギャラリーやモスクワのプーシキン美術館を挙げるべきであろう。

森アーツセンターギャラリーで開かれるラファエル前派展は、ロンドン・ワシントン・モスクワを経て、東京に巡回してきたものなのだ。

ついでに偉そうなことを言わせてもらえれば、ばんの氏は当然豊富な知識をお持ちの方なのだろうが、文章を読んでいると、どうも、本質的なところで、「修羅場」をくぐってきているのか疑いたくなる内容だった。

校閲にも多少問題があるのだろう。

購入することはなかった。


日経おとなのOFF 2014年1月号

2013-12-12 22:26:25 | 雑誌
日経おとなのOFF 2014年1月号
名画と美女の謎

表紙のプロセルピナをみて即アマゾンで購入。

「日経おとなのOFF」では、毎年暮れに、翌年の美術展情報をまとめた特集を行っており、私もここ2、3年ほど続けて買っている。

今回雑誌を手にするにあたっての私の最大の関心は「ラファエル前派展」にあったわけだが、それ以外の記事も興味深いものがあった。

来年の展覧会とは直接的な関わりのない「モナ・リザ」を含めて、「美女」という括りのなかで、特集が組まれていた。

私が一番興味をそそられたのは、西洋絵画における「裸婦像」の伝統の系譜の記事であった。

先日このブログで裸婦像の話をしたが、その系譜をたどるとローマン・コピーの彫刻にまで行き着くというのは興味深かった。

宗教との兼ね合いもあって、西洋絵画の歴史において、「裸婦」を描くということは、長い間きわめて「デリケート」な問題であった。

雑誌の記事でまとめられていることによると、その伝統は、「眠るアリアドネ」の彫刻に端を発し、ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」、彼に倣ったティツィアーノによる同主題の絵画、そしてレンブラントの「ダナエ」やアングルの「グランド・オダリスク」へとつながってゆく。

この系譜には他にもブーシェの「黄金のオダリスク」や、1863年のサロンに同時出展された対極的な裸婦像、すなわちマネの「オランピア」とカバネルの「ヴィーナスの誕生」も含まれる。

非常によくまとまっていて勉強になった。

あとは美術検定のクイズもあった。

値段相応の内容だったように思う。