leonardo24

西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

藤原えりみ × 鈴木芳雄 「19世紀フランス美術の流れを知ると、絵画がぐっと近くなる!」

2015-02-25 23:22:13 | 企画(講演会)

藤原えりみ氏(美術ジャーナリスト) × 鈴木芳雄氏(編集者)
19世紀フランス美術の流れを知ると、絵画がぐっと近くなる!(「ミュージアムカフェ マガジン」イベントvol.1)
ブリヂストン美術館 1階ホール
2015年2月25日

行ってきた。

フリーペーパー「ミュージアムカフェ マガジン」の創刊1周年を記念して開催されたトークイベント。

いま会期中の「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展(ブリヂストン美術館)と「新印象派―光と色のドラマ」展(東京都美術館)の出展作品を中心に、19世紀フランス美術、および、それを受けて誕生した20世紀初頭の西洋美術の流れを捉えるというもの。

スピーカーは藤原えりみ氏。
聞き手は鈴木芳雄氏。

軽妙で示唆に富む語り。
時間(90分)があっという間に過ぎてゆく。

以下、印象に残った点を断片的に書いておく。

● ミレーの《種まく人

何をまいているのか。
普通に考えれば、小麦(参考:ヨハネの福音書[第12章24節])。

しかし、画家の住んでいた土地に鑑みれば、蕎麦の可能性もあるという。

敬虔な画家の信仰心を考えると、小麦説を採りたいし、そちらの方が自然な気もするが、蕎麦というのも面白い。


(ボストン版)

● ルノワールの風景画

数は少ないが、上手い(藤原氏評)。
もっぱら風景画を描いたモネと比べて、ルノワールの風景画は軽やかで、「風が吹いている感じ」。

同感。


木かげ

オルセーにあるこの作品なんかは、とくにそうだと思う。


The English Pear Tree or Orchard at Louveciennes

● 「自然の光」と「絵画の光」

藤原氏いわく、この2つの言葉こそが、印象派と新印象派(および後期印象派・象徴主義など)を分かち、それぞれを特徴づけるものだという。

戸外で絵画制作を行った印象派は、「自然」の光をカンヴァスに写し取ろうと努めた。
いっぽう、新印象派の光は、どちらかというと、「絵画」のなかだけで成立するようなものが多い。
(自然光では考えられない光の当たり方を積極的に採用している点は、その最たる例。)

わかりやすいのが、いわゆる後期印象派(藤原氏は「象徴主義」と言い換えるべきと言っていたが)の作品。
印象派は「夜」の風景は扱わないが、後期印象派のゴッホ(や新印象派のリュス)は描いている。

絵画制作に不向きな夜の光景を描くには、「自然の光」だけに頼っていては難しい。
画家自身が、自分の描きたいものを描く意識をもって、「絵画の光」を追求しなくてはならない。

面白い。


ゴッホ 《夜のカフェテラス

● ドニの《バッカス祭》


狂乱の一団。

藤原氏の疑問。
―なぜ、ライオンなのか。

中央で映えているその背中。
私も気になった。

ヒョウが描かれているのであれば、理解できる。
ヒョウは、いってみればバッカスのアトリビュートのひとつだがらである。
Wikipediaにあるように、バッカスは、しばしばヒョウ(leopard)に乗って、ヒョウの毛皮をまとっていたり、黒ヒョウ(panther)の引く車に乗ったりしている姿であらわされる。)

作品解説」には、画家が、「ティーグル・ロワイヤル(ベンガル虎)」という名の毛皮店から依頼を受けてこの絵を描いたため、「中央に描かれている虎は注文主の意向」だろうとしている。

しかし、じつは、バッカスと虎が結びつかないこともないのである。

その凱旋車は、虎か豹か山羊に引かれているが(虎と豹はバッコス崇拝がアジアに広まったことを反映しているのかもしれない)、時にはケンタウロスや馬が引いていることもある。
―ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』(新装版、2004年、259頁)

また、ホメロスによるバッカス讃歌の一篇によれば、バッカスがライオンに化けたという伝承もあるそうだ(参考)。

したがって、注文主の意向という可能性もじゅうぶんに考えられるが、じつは、そもそも、バッカスと虎が結びつくのは、ひかくてき自然なことのようだ。

―――――

全体のトークの中盤あたりでドニの《バッカス祭》の話になり、この「虎」の問題が気になって、正直、後半の話はあまりよく聞いていなかった(小声)。

バッカスのもたらした狂気が、後半の私の集中力を切らした。


しかし、全体としては、丁寧な解説のなかで、多少、突っ込んだところがあり、納得させられるところがあり、また、笑いありと、有意義な時間だったように思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿