leonardo24

西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

From _The Hound of the Baskervilles_

2015-03-22 00:31:56 | 番外編
And now, my dear Watson, we have had some weeks of severe work, and for one evening, I think, we may turn our thoughts into more pleasant channels. I have a box for Les Huguenots. Have you heard the De Reszkes? Might I trouble you then to be ready in half an hour, and we can stop at Marcini's for a little dinner on the way? --- Sherlock Holmes

Effie Gray (2014)

2015-03-08 09:52:30 | 映画

Effie Gray
Director: Richard Laxton
Writer: Emma Thompson
Stars: Dakota Fanning, Emma Thompson, Greg Wise, Tom Sturridge
2014
(IMDb)

Every delay that postpones our joys is long. --- Ovid

This film, originally entitled just Effie, was released last year (2014) in UK, though it was at first planned to be open to the public a few years earlier.
The primary cause of its deferment was an alleged plagiarism by the screenwriter (Emma Thompson) and a series of court following that.

Anyway, we can now enjoy this long-delayed film.

Effie Gray is on a love triangle in the art world of the Victorian age.
The story is quite famous ---

In 1848 (also the year of the foundation of the Pre-Raphaelite Brotherhood [PRB]), John Ruskin, then authority in the art circles, married Euphemia "Effie" Gray, about 10 years younger than her husband.
Unfortunately, their wedlock did not last so long; for Effie wearied of the marriage life without consummation, from which Ruskin abstained for some complex reasons.

Their marriage was finally annulled in 1854, which caused a major scandal.
In the following year, Effie married again John Everett Millais, one of the three leading members of the PRB along with Dante Gabriel Rossetti and William Holman Hunt.
What was ironical was that Ruskin was their influential patron. ---

As for the film itself, I felt something lacking (though as a fan of Dakota Fanning, I was well satisfied).
In view of the fact that this love story is a quite well-known one, the overall plot seemed to be somewhat tedious.
I think the screenwriter played it too straight.

It was also a little letdown for me that so little time was devoted to depict Effie's second matrimony compared with her first one.

As the Guardian review exactly said, Effie Gray was "a handsome but inert portrait".
It is truly beautiful and sympathetic yet something is lacking.

There is, however, something I found very interesting through this 108 minutes.
I did not know about Elizabeth Eastlake (played by Emma Thompson) and her intimate relationship with Effie especially during the period of aforementioned annulment proceedings.

It might be intriguing to study their relationship including Lady Eastlake's husband, Charles Lock Eastlake (first pupil of Benjamin Robert Haydon and 7th President of the Royal Academy of Arts).

A few years ago, it was reported that Keira Knightley also would play Effie in Untouched (The Film Stage [7 November, 2011]).
Although it seems there are not any further particulars, I am looking forward to watching it.



ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄 (II)

2015-02-27 09:24:39 | 美術展

ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
[仏題:Musée du Louvre. Peinture de genre. Scènes de la vie quotidienne
国立新美術館
2015年2月21日~6月1日

以前に投稿したルーヴル展の感想の続き。
気になった作品についてのコメント。

● ピーテル・ブリューゲル1世 《物乞いたち》 【26】


画面中央の5人の人物の着ている服装から、それぞれが、王や司教、農民らをあらわすものと捉える「解説」。
それはそれで面白い。

ただ、ルーヴル美術館の公式HPの解説にもあるように、「この作品に対する解釈は数々の仮定を引き起こして」いるが、「実際のところ、これらの納得のいく仮定のどれもが未だに証明されていない」のが現状である。

ブリューゲルの作品というのは、いっけん、諷刺的な読みを促すようでありながら、同時に、そうした一面的な読みを「かわす」ものが多いように思う。
なかなか、断定的なことが言えない画家なのだ。

なにを言っても、画面右奥の物乞いの女性のように、するするっと逃げていく感じがある。
しかし、そこが、この画家の魅力でもある。

● ニコラ・レニエ 《女占い師》 【34】


あきらかなカラヴァッジェスキ(カラヴァッジョ派)。
画面の左から2人目、こちらを向いているのはおそらく画家本人だろう。

この「占い師」という主題、バロックの時代には比較的、人気があったようだ。
カラヴァッジョも描いているし(参考)、ラ・トゥールも描いている(参考)。
おそらく、明暗の入り混じる主題が、バロック的な感性とよく調合したのだと思われる。

● ヨハネス・フェルメール 《天文学者》 【38】


今回の展覧会の目玉のひとつ。
よく来たもんだ。
(ちなみに、数年前には《地理学者》が来た。)

《地理学者》とは異なり、《天文学者》の顔は、完全に「あちら側」を向いている
「こちら側」にはまったく意識が向いていない。

地球儀に触れるその指先。

一瞬の緊張感。

息をのんで、知の探究に没頭している。

会場で配布されていた名探偵コナンによる「ジュニアガイド」では、「モデルが少しぼんやり描かれている」ことが指摘されている。
おそらく、画家が使っていた(とされる)カメラ・オブスクーラと何か関係があるのだろう。

● ルーベンス 《満月、鳥刺しのいる夜の風景》 【55】

(展覧会に来ていたのは、たしか、これだったと思う。なにせ行ってから少し日が経っているので、記憶がややあいまい)。

最初にみたとき、「ターナー・・・?」と勘違いした。
漱石だったら「ターナーの画にありそうですね」と言いそうな木が生えているが、これはじつはルーベンスの作品。

で、ここからはまだあまり調べられていないのだが、どうやら、ルーベンスとターナーというのは、(むろん、生きた時代こそ違えど、)少し関わりがあるらしい。
昨年にブリュッセルで行われたルーベンス展では、当初ルーベンスを非難していたターナーが、しだいに"Rubenist"になっていったことが検証されたようだ(参考)。

なかなか面白い。

● ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 《鏡の前の女》 【63】


解説が面白かった。

当時、詩や彫刻、絵画などの芸術活動のなかで、どの分野がもっとも優れているのかという論争があったらしい。
(そういえばダ・ヴィンチも手記のなかで絵画と彫刻の違いについて書いていたな・・・。もっとも、彼のばあいはミケランジェロが頭にあったのだろうが。)

彫刻と比べ、絵画は、基本的には、「一方向」からの眺めしか描けない(異時同図という手法はあるが)。
その固定観念を打ち破る意識で描かれたのが、ティツィアーノのこの作品、という見解。
―鏡を使えば、問題は解決するではないか!

この文脈を念頭においてふたたび絵をみてみると、なんとも女性の表情がふてぶてしく見えてくる。
奥の男が女性の後ろ姿を見せびらかしているのは、もしかしたら、当時の彫刻家に対してなのかもしれない。

余談だが、こうした論争は17世紀(もっといえば18世紀のレッシング[『ラオコーン』])の時代にもあり、彫刻は物語の「流れ」をあらわせないという批判に対して、ベルニーニが立ち上がった。
彼の制作した《アポロンとダフネ》は、観る方向によって「物語」が変わってゆくという斬新なものであった。

こうして、それぞれの分野がしのぎを削ることで、芸術としての完成度も高まっていったのですなぁ。

―――――

全体的に、会場内の解説がよかったように思う。
基本は踏まえたうえで、多少、突っ込むところもある感じ。

「風俗画」というとあまりパッとイメージしにくい来場客も多いかもしれないが、フェルメールしかり、ムリーリョ(《物乞いの少年(蚤をとる少年)》)しかり、グルーズ(《割れた水瓶》)しかり、有名どころもたくさん来ていたので、ひとりひとり、いろんな楽しみ方ができるのではないだろうか。

藤原えりみ × 鈴木芳雄 「19世紀フランス美術の流れを知ると、絵画がぐっと近くなる!」

2015-02-25 23:22:13 | 企画(講演会)

藤原えりみ氏(美術ジャーナリスト) × 鈴木芳雄氏(編集者)
19世紀フランス美術の流れを知ると、絵画がぐっと近くなる!(「ミュージアムカフェ マガジン」イベントvol.1)
ブリヂストン美術館 1階ホール
2015年2月25日

行ってきた。

フリーペーパー「ミュージアムカフェ マガジン」の創刊1周年を記念して開催されたトークイベント。

いま会期中の「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展(ブリヂストン美術館)と「新印象派―光と色のドラマ」展(東京都美術館)の出展作品を中心に、19世紀フランス美術、および、それを受けて誕生した20世紀初頭の西洋美術の流れを捉えるというもの。

スピーカーは藤原えりみ氏。
聞き手は鈴木芳雄氏。

軽妙で示唆に富む語り。
時間(90分)があっという間に過ぎてゆく。

以下、印象に残った点を断片的に書いておく。

● ミレーの《種まく人

何をまいているのか。
普通に考えれば、小麦(参考:ヨハネの福音書[第12章24節])。

しかし、画家の住んでいた土地に鑑みれば、蕎麦の可能性もあるという。

敬虔な画家の信仰心を考えると、小麦説を採りたいし、そちらの方が自然な気もするが、蕎麦というのも面白い。


(ボストン版)

● ルノワールの風景画

数は少ないが、上手い(藤原氏評)。
もっぱら風景画を描いたモネと比べて、ルノワールの風景画は軽やかで、「風が吹いている感じ」。

同感。


木かげ

オルセーにあるこの作品なんかは、とくにそうだと思う。


The English Pear Tree or Orchard at Louveciennes

● 「自然の光」と「絵画の光」

藤原氏いわく、この2つの言葉こそが、印象派と新印象派(および後期印象派・象徴主義など)を分かち、それぞれを特徴づけるものだという。

戸外で絵画制作を行った印象派は、「自然」の光をカンヴァスに写し取ろうと努めた。
いっぽう、新印象派の光は、どちらかというと、「絵画」のなかだけで成立するようなものが多い。
(自然光では考えられない光の当たり方を積極的に採用している点は、その最たる例。)

わかりやすいのが、いわゆる後期印象派(藤原氏は「象徴主義」と言い換えるべきと言っていたが)の作品。
印象派は「夜」の風景は扱わないが、後期印象派のゴッホ(や新印象派のリュス)は描いている。

絵画制作に不向きな夜の光景を描くには、「自然の光」だけに頼っていては難しい。
画家自身が、自分の描きたいものを描く意識をもって、「絵画の光」を追求しなくてはならない。

面白い。


ゴッホ 《夜のカフェテラス

● ドニの《バッカス祭》


狂乱の一団。

藤原氏の疑問。
―なぜ、ライオンなのか。

中央で映えているその背中。
私も気になった。

ヒョウが描かれているのであれば、理解できる。
ヒョウは、いってみればバッカスのアトリビュートのひとつだがらである。
Wikipediaにあるように、バッカスは、しばしばヒョウ(leopard)に乗って、ヒョウの毛皮をまとっていたり、黒ヒョウ(panther)の引く車に乗ったりしている姿であらわされる。)

作品解説」には、画家が、「ティーグル・ロワイヤル(ベンガル虎)」という名の毛皮店から依頼を受けてこの絵を描いたため、「中央に描かれている虎は注文主の意向」だろうとしている。

しかし、じつは、バッカスと虎が結びつかないこともないのである。

その凱旋車は、虎か豹か山羊に引かれているが(虎と豹はバッコス崇拝がアジアに広まったことを反映しているのかもしれない)、時にはケンタウロスや馬が引いていることもある。
―ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』(新装版、2004年、259頁)

また、ホメロスによるバッカス讃歌の一篇によれば、バッカスがライオンに化けたという伝承もあるそうだ(参考)。

したがって、注文主の意向という可能性もじゅうぶんに考えられるが、じつは、そもそも、バッカスと虎が結びつくのは、ひかくてき自然なことのようだ。

―――――

全体のトークの中盤あたりでドニの《バッカス祭》の話になり、この「虎」の問題が気になって、正直、後半の話はあまりよく聞いていなかった(小声)。

バッカスのもたらした狂気が、後半の私の集中力を切らした。


しかし、全体としては、丁寧な解説のなかで、多少、突っ込んだところがあり、納得させられるところがあり、また、笑いありと、有意義な時間だったように思う。

ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄 (I)

2015-02-24 09:00:42 | 美術展

ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
[仏題:Musée du Louvre. Peinture de genre. Scènes de la vie quotidienne
国立新美術館
2015年2月21日~6月1日

16世紀のイタリアで提唱されるようになった絵画芸術の主題におけるヒエラルキーという概念は、1648年にフランスにアカデミーが設立されたことにより、確固たるものとなった。

画家の高い教養と技術を要求される「歴史画」がその頂点に置かれ(このあたりは西洋文学の歴史において長らく「叙事詩」こそが王道とされてきたことと似ているか)、当初は王侯貴族のみが主要な顧客層であった「肖像画」が、つぎに位置づけられる。
そして、以下、「風景画」、(「動物画」、)「静物画」と続く。

かんたんにいってしまえば、「人」を描くのが上位にきて、「もの」を描くのが下にくる。

さて、今回の展覧会の主眼、「風俗画」はどこに位置するか。
そもそも、日常の人々の生活を描く「風俗画」がひとつのカテゴリーとして認識されるようになったのはかなり遅く、18世紀後半から19世紀前半にかけてのことだといわれる。

「風俗画」は英語で"genre painting"というが、18世紀後半にフランスからイギリスに流入してきた"genre"という語に、"depicting scenes of ordinary life"という意味が付与されたのは19世紀なかばごろだという(参考)。
この"genre"という語、「歴史画」や「風景画」、「静物画」も、それぞれひとつの「ジャンル」といえば「ジャンル」なので、なかなか意味がつかみにくい。

"genre"の語源を辿ると、今日では社会的な文脈における性(差)を意味する"gender"に行きつくが、"gender"の本質的な意味とは、"kind, sort, class"である(参考)。
つまり、「分ける」意識、そして究極的には「個(別の対象)」に寄りそう意識、それこそが風俗画の扱う主題と考えてよいのではないだろうか(普遍的(universal)なものよりは、個別的(particular; ordinary)なものに向かう?)。
それが、"genre"の感覚、ニュアンスと、ひとまず考えておこう。

ともかく、以上をまとめると、西洋の伝統的な絵画のヒエラルキーは、こういう感じになる。
風俗画には、しばしば「人」が描かれるが、それでも、「歴史画」や「肖像画」からみれば、やや「格下」のものとして位置づけられる(参考)。

1 歴史画(物語画) history painting (narrative painting)
2 肖像画 portraiture
3 風俗画 genre painting
4 風景画 landscape
 (動物画 animal painting)
5 静物画 still life

さて、「ジャンル」の話はこの程度にしておいて、今回の展覧会の内容に入っていこう。
構成は以下のようになっている。

「ヒエラルキー」の概念が存在しなかった古代ギリシアの時代にみられた、日常的な生活の光景を写し取った壺絵や彩色墓碑からはじまり、以後は、いわゆる「風俗画」に分類される絵画作品の諸相をみてゆくというもの。

プロローグ I 「すでに、古代において・・・」風俗画の起源
プロローグ II 絵画のジャンル
第1章 「労働と日々」―商人、働く人々、農民
第2章 日常生活の寓意―風俗描写を超えて
第3章 雅なる情景―日常生活における恋愛遊戯
第4章 日常生活における自然―田園的・牧歌的風景と風俗的情景
第5章 室内の女性―日常生活における女性
第6章 アトリエの芸術家

出展作品の総数は83点。

では、気になった作品について、かんたんにコメントをのこしておこう。
(以下、【】内の数字は、作品リストに記載されている通し番号を指す。)

● シャルル・ル・ブラン 《キリストのエルサレム入城》 【8】


バロック期の画家ではあるが、この作品に関しては、ルネサンス期のラファエロの作品(たとえば《キリストの変容》)における人物造形や配色を思わせる。

● リュバン・ボージャン 《チェス盤のある静物》 【11】

ひとつひとつの事物が人間の五感を表していると解釈されている。
パンとワインがキリストを連想させる「聖」なるものであるのに対し、楽器やトランプは、享楽、いわば「俗」なるものとして表象されているという読みは興味ぶかい。

解説いわく、この「小宇宙」が、観る者を「瞑想」に誘う。
静物画で、これほどの読みを可能にさせるものはあまりお目にかかれない。
貴重な一作だと思う。

● クエンティン・マセイス 《両替商とその妻》 【13】

これまで何度も書いてきたことだが、北方の画家というのはほんとうに細かい。
よくみればみるほど、いろいろな発見がある。
あぁ、こんなところにも人がいたのか、と。

解説が興味ぶかかった。
当時のアントワープは金融業が盛んで、利潤追求に走る者も多かったそうだが、その一方で、キリスト教では「貪欲」が罪とされている。

揺れる心。

どうやら、両替商がもっている「秤」は、たんにお金のみを計量しているわけではなさそうだ。
聖書を手にしている妻の視線も、なんとも、ものいいたげである。
―ほんとうに、これでいいのかしら、あなた・・・。

● ジャン・シメオン・シャルダン 《買い物帰りの召使い》 【20】

数年前の「シャルダン展-静寂の巨匠」にもきていた一品。
どういうわけか、この絵をみるといつも、ホガースを思い起こしてしまう。
(彼の描いた召使い画のインパクトによるものか?)

・・・長くなってしまったので、気になった他の作品については、また日を改めて書くことにする。