2014年12月20日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
ピーテル・ブリューゲル 「子供の遊戯」
この絵[《農民の婚礼》]の人間模様の豊かさや、ウイットに富んだ細かい観察には感心するほかない。しかし、それにもましてみごとなのは、ごちゃごちゃした絵にならないよう画面をまとめ上げているブリューゲルの手腕だ。あのティントレットでさえ、多くの人物で混みあう空間の感じを、これほどうまく作りだすことはできなかったはずだ。
―――ゴンブリッチ 『美術の物語』 (289頁)
ヤン・ファン・エイクにせよ、ヒエロニムス・ボスにせよ、とかく、北方の画家というのは描写が細かい。
同時代のイタリア・ルネサンスの画家たちが、しばしば、画面上に中心的な人物を大きくポンポンと配置しているのと比べると、その差は歴然である。
(番組内では、北方ルネサンスの「現実的」な絵画に対して、南方、すなわちイタリアのルネサンスの作風は、いくぶん「理想的」であると解説されていた。)
しかし、それでも、ごちゃごちゃにならないのだからすごい。
以前にブログで取り上げた中野孝次氏も、ブリューゲルの絵に「宇宙的な調和」をみてとっている(『ブリューゲルへの旅』 91頁)。
さて、今回の一作。
《子供の遊戯》。
これまで様々な解釈がなされてきたこの作品。
とうぜん、研究書も多い。
この絵に描かれているのは、254人の子どもと、91種の遊び。
ひとりひとりの大人っぽい表情から、これは、大人の社会の縮図であるという解釈も根強かったという。
とりわけ、先輩画家のヒエロニムス・ボスが、そうした諷刺的な視線を積極的に画面に取り入れた人物だったため、そのような解釈が出てくるのも無理からぬように思う。
番組内での解説によれば、子どもというのは、真剣に遊んでいるとき、じつは、笑っていないことが多いのだという。
本当に夢中になったときは、笑顔を忘れてしまう。
それはそれで、ブリューゲルの観察眼の緻密さを示す、この上ない証左であるように思う。
ただ、ルネサンスの、とくに初期あたりまでに関していえば、子どもを描くときに、大人のような風貌で描写することは、けっして少なくはなかった。
(もっとも、だからといってアリエスの説[cf. 『〈子供〉の誕生』]を全面的に肯定するわけではない。)
また、番組内で紹介されていた、この作品の構図に着目した分析は、なかなか面白かった。
おそらく、画家自身、かなりこだわりがあったのだろうと推察する。
ミクロな視点ばかりでなく、マクロな視点をも同時にもちあわせられる資質が、北方の画家の特徴のひとつであるように思う。
最後に、関連動画をひとつ。
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