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ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄 (I)

2015-02-24 09:00:42 | 美術展

ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
[仏題:Musée du Louvre. Peinture de genre. Scènes de la vie quotidienne
国立新美術館
2015年2月21日~6月1日

16世紀のイタリアで提唱されるようになった絵画芸術の主題におけるヒエラルキーという概念は、1648年にフランスにアカデミーが設立されたことにより、確固たるものとなった。

画家の高い教養と技術を要求される「歴史画」がその頂点に置かれ(このあたりは西洋文学の歴史において長らく「叙事詩」こそが王道とされてきたことと似ているか)、当初は王侯貴族のみが主要な顧客層であった「肖像画」が、つぎに位置づけられる。
そして、以下、「風景画」、(「動物画」、)「静物画」と続く。

かんたんにいってしまえば、「人」を描くのが上位にきて、「もの」を描くのが下にくる。

さて、今回の展覧会の主眼、「風俗画」はどこに位置するか。
そもそも、日常の人々の生活を描く「風俗画」がひとつのカテゴリーとして認識されるようになったのはかなり遅く、18世紀後半から19世紀前半にかけてのことだといわれる。

「風俗画」は英語で"genre painting"というが、18世紀後半にフランスからイギリスに流入してきた"genre"という語に、"depicting scenes of ordinary life"という意味が付与されたのは19世紀なかばごろだという(参考)。
この"genre"という語、「歴史画」や「風景画」、「静物画」も、それぞれひとつの「ジャンル」といえば「ジャンル」なので、なかなか意味がつかみにくい。

"genre"の語源を辿ると、今日では社会的な文脈における性(差)を意味する"gender"に行きつくが、"gender"の本質的な意味とは、"kind, sort, class"である(参考)。
つまり、「分ける」意識、そして究極的には「個(別の対象)」に寄りそう意識、それこそが風俗画の扱う主題と考えてよいのではないだろうか(普遍的(universal)なものよりは、個別的(particular; ordinary)なものに向かう?)。
それが、"genre"の感覚、ニュアンスと、ひとまず考えておこう。

ともかく、以上をまとめると、西洋の伝統的な絵画のヒエラルキーは、こういう感じになる。
風俗画には、しばしば「人」が描かれるが、それでも、「歴史画」や「肖像画」からみれば、やや「格下」のものとして位置づけられる(参考)。

1 歴史画(物語画) history painting (narrative painting)
2 肖像画 portraiture
3 風俗画 genre painting
4 風景画 landscape
 (動物画 animal painting)
5 静物画 still life

さて、「ジャンル」の話はこの程度にしておいて、今回の展覧会の内容に入っていこう。
構成は以下のようになっている。

「ヒエラルキー」の概念が存在しなかった古代ギリシアの時代にみられた、日常的な生活の光景を写し取った壺絵や彩色墓碑からはじまり、以後は、いわゆる「風俗画」に分類される絵画作品の諸相をみてゆくというもの。

プロローグ I 「すでに、古代において・・・」風俗画の起源
プロローグ II 絵画のジャンル
第1章 「労働と日々」―商人、働く人々、農民
第2章 日常生活の寓意―風俗描写を超えて
第3章 雅なる情景―日常生活における恋愛遊戯
第4章 日常生活における自然―田園的・牧歌的風景と風俗的情景
第5章 室内の女性―日常生活における女性
第6章 アトリエの芸術家

出展作品の総数は83点。

では、気になった作品について、かんたんにコメントをのこしておこう。
(以下、【】内の数字は、作品リストに記載されている通し番号を指す。)

● シャルル・ル・ブラン 《キリストのエルサレム入城》 【8】


バロック期の画家ではあるが、この作品に関しては、ルネサンス期のラファエロの作品(たとえば《キリストの変容》)における人物造形や配色を思わせる。

● リュバン・ボージャン 《チェス盤のある静物》 【11】

ひとつひとつの事物が人間の五感を表していると解釈されている。
パンとワインがキリストを連想させる「聖」なるものであるのに対し、楽器やトランプは、享楽、いわば「俗」なるものとして表象されているという読みは興味ぶかい。

解説いわく、この「小宇宙」が、観る者を「瞑想」に誘う。
静物画で、これほどの読みを可能にさせるものはあまりお目にかかれない。
貴重な一作だと思う。

● クエンティン・マセイス 《両替商とその妻》 【13】

これまで何度も書いてきたことだが、北方の画家というのはほんとうに細かい。
よくみればみるほど、いろいろな発見がある。
あぁ、こんなところにも人がいたのか、と。

解説が興味ぶかかった。
当時のアントワープは金融業が盛んで、利潤追求に走る者も多かったそうだが、その一方で、キリスト教では「貪欲」が罪とされている。

揺れる心。

どうやら、両替商がもっている「秤」は、たんにお金のみを計量しているわけではなさそうだ。
聖書を手にしている妻の視線も、なんとも、ものいいたげである。
―ほんとうに、これでいいのかしら、あなた・・・。

● ジャン・シメオン・シャルダン 《買い物帰りの召使い》 【20】

数年前の「シャルダン展-静寂の巨匠」にもきていた一品。
どういうわけか、この絵をみるといつも、ホガースを思い起こしてしまう。
(彼の描いた召使い画のインパクトによるものか?)

・・・長くなってしまったので、気になった他の作品については、また日を改めて書くことにする。


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