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西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

クロード・モネ 「カササギ」

2015-01-31 23:58:28 | 番組(美の巨人たち)

2015年1月31日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
クロード・モネ 「カササギ」

The valley rings with mirth and joy.
Among the hills the Echoes play
A never, never ending song
To welcome in the May.
The Magpie chatters with delight;
The mountain Raven's youngling Brood
Have left the Mother and the Nest,
And they go rambling east and west
In search of their own food,
Or thro' the glittering Vapors dart
In very wantonness of Heart.
---William Wordsworth, 'The Idle Shepherd-Boys' (1-11)

詩人の耳目が捉える、五月の陽気と、にぎやかなカササギ(magpie)のさえずり。
冬空のもと、羽をたたんでぽつんと佇む、モネのカササギ。

いっけん、きわめて対照的。

しかし、モネの描いた雪景色が、どこかあたたかみを帯びているのはなぜだろうか。

印象派より前の時代には、雪を主題とした絵画はほとんど描かれなかった。
その数少ない例のひとつが、ブリューゲルの《雪中の狩人》である。

あるひと曰く、ブリューゲルの作品には、「人間の現実をそのまま肯定している何かがある」(中野孝次 『ブリューゲルへの旅』 文藝春秋、2004年、91頁)。

けれんみのない、すがすがしい筆致。
白と黒の、あまりにはっきりしたコントラスト。

雪国の寒さが、そこにある。

いっぽう、モネの「雪」はちがう。
冷酷な印象を鑑賞者に与えることもなければ、非情な現実が顔をのぞかせることもない。

前景の雪をよくみてみよう。
まっさらな「白」ではなく、明るい色がちらほら混ざっている。

筆触分割は新印象派の専売特許のように思われているかもしれないが、それはあやまりである。
点描技法の萌芽は、印象派の時点ですでにあった。

モネの「白」は、たんじゅんな「白」ではない。

これは、「日なた」の雪だけの話ではなく、「日かげ」の雪も同様である。
ウィキペディアには、"colored shadows"という表現がみられる。)

番組内での説明によれば、モネの配色は、じっさいの人間の知覚行為にかなり近いものだという。

なんという眼。

クレマンソーが画家の眼を絶賛したのもわかる。

モネが《カササギ》を描いたのは、1868-69年ごろ。
かの有名な《印象・日の出》が世に出されるのは、数年後のこと。

番組のなかで使われていたフレーズを借りるならば、モネの描いたカササギは、まさしく、「やがて訪れる印象派の春を待ちわびている」かのようである。

[追記]

《カササギ》の構図に着目した解釈も興味ぶかかった。

画面の右上からのたくみな視線の誘導。
縦・横ときて、カササギで小休止。

視線を下方に移し、影を追うと、そこには人の足跡が。
画家は、雪の一瞬のきらめきのみならず、人間が来ては去る、時の移ろいまでを画面に閉じ込めたのである。


ポール・ゴーギャン 「説教のあとの幻影」

2015-01-24 23:45:52 | 番組(美の巨人たち)

2015年1月24日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
ポール・ゴーギャン 「説教のあとの幻影」

"And Jacob was left alone; and there wrestled a man with him until the breaking of the day. And when he saw that he prevailed not against him, he touched the hollow of his thigh; and the hollow of Jacob's thigh was out of joint, as he wrestled with him. And he said, Let me go, for the day breaketh. And he said, I will not let thee go, except thou bless me. And he said unto him, What is thy name? And he said, Jacob. And he said, Thy name shall be called no more Jacob, but Israel: for as a prince hast thou power with God and with men, and hast prevailed." (Gen. 32.24-28)

ゴーギャンは印象派展の常連だった。
第4回展(1879年)から、最後の印象派展となった第8回展(1886年)まで、毎回、作品を出展した。

にもかかわらず、今日、ゴーギャンは「後期印象派」のひとり、すなわち、純粋な意味での「印象派」とは一線を画す存在として認識されている。

今回の一枚は、彼が印象派の作風からの脱却を図った作品。
旧約聖書の創世記に取材した、《説教のあとの幻影》である。

描かれたのは1888年。
ゴーギャンがゴッホと共同生活をしていたのも、この年である。

しかし、今回の一作に関していえば、ゴーギャンに決定的な刺激を与えたのは、ゴッホではない。
ゴーギャンの画風に目覚ましい変化をもたらしたのは、20歳も年下の青年画家、エミール・ベルナールの作品であった。

ベルナールは、ゴーギャンがいると聞いて移り住んできたフランス・ブルターニュの「画家の村」ポン=タヴェンで、ある伝統的な民俗行事を目にする。
それが、パルドン祭と呼ばれるものであった。

ケルト人の文化に起源をもつこの行事に興味を覚えたベルナールは、一枚の絵画を制作し、それをゴーギャンに送った。

その絵が、こちらである。


Breton Women in a Green Pasture (1888)

遠近法を無視した、きわめて平坦な画面構成。
レオナルド・ダ・ヴィンチが完成させた「スフマート」技法の真逆を行く、はっきりとした輪郭線。
全体的な調和とは明らかに異質の、「切り貼り」されたかのような人物群。

ルネサンス以降の絵画のしきたりにとらわれない、ベルナールの感性をまざまざと認識し、ゴーギャンは震えた。
これが、新たな美だ―。

ゴーギャンの《説教のあとの幻影》も、ベルナールと同じ祭りを題材にしたものである。
画面前景に描かれている女性が身につけているのは、ケルトの伝統的な民族衣装である。
(この作品がいま、スコットランド国立美術館にあるというのも感慨深い。
いや、というよりも、もともとゴーギャンはこの絵をブルターニュの教会に寄贈しようとしたのだが、あまりに「斬新」すぎて受け容れられなかった、というのが実情なのだが・・・。)

画面を斜めに区切る大木。
右上の天使とヤコブの格闘のポーズもそうだが、ゴーギャンはかなり、日本の美術からの影響を受けていた。

近景が、いわば「現実」の光景。
そして遠景が、人々のみた「幻影」。

注目すべきは、その背景色。

真っ赤である。

みたままの感覚を重視するのが印象派だとすれば、心に映った色をカンヴァスに投影するのが、後期印象派。
おそらく、こうした美術思潮の移り変わりが、20世紀に入ると、「表現主義」のような意識を生んだのだろう。

ゴーギャン―。
ゴッホが憧れた、後期印象派の旗手。
彼の革命の始まりを告げる、《説教のあとの幻影》。


Gauguin, Self-portrait (1888) [※画面右上に描かれているのはベルナールの肖像]

ジャック=ルイ・ダヴィッド 「サン・ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト」

2015-01-10 23:50:27 | 番組(美の巨人たち)

2015年1月10日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
ジャック=ルイ・ダヴィッド 「サン・ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト」

He [ex-Professor Moriarty] is the Napoleon of crime, Watson. He is the organizer of half that is evil and of nearly all that is undetected in this great city. He is a genius, a philosopher, an abstract thinker. He has a brain of the first order. He sits motionless, like a spider in the centre of its web, but that web has a thousand radiations, and he knows well every quiver of each of them.
---Sherlock Holmes (Conan Doyle, 'The Final Problem')

ダヴィッド―。
激動の革命期を生きた、新古典主義を代表する画家。

画家が描いたアルプス越えのナポレオンの肖像画は、あまりにも有名である。

じつは、この肖像画、同じ構図のものが他に4枚ある。

 
[First Versailles version]     [Second Versailles version]

 
[Charlottenburg version (Berlin)]   [Belvedere version (Vienna)]

今回の一枚は、5枚のなかで、いちばん初めに描かれたもの。

飾られているのはマルメゾン城
ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの住まいである。

発注したのはナポレオンではなく、スペイン王カルロス四世
この作品の出来にたいへん満足したナポレオンが、残りの4枚の制作を画家に依頼した。

一言でいうならば、典型的なプロパガンダ絵画である。
(英語版Wikipediaの「プロパガンダ」の項目にも、まっさきにこの作品の画像が挙げられている。)

ナポレオンが心を躍らせたのも当然である。
画家は、史実など考慮せず、みずからの想像で描いたのだから。
(ナポレオンはモデルになるのを嫌がり、画家に衣装や帽子のみを渡して描かせた。)

歴史資料に忠実に従ったならば、生まれるのはこのような作品だ。


Paul Delaroche, Bonaparte Crossing the Alps (1850)

史的価値は高くとも、権力者としての「自己アピール」に使おうとは思うまい。

ナポレオンはいった。
「似ているかどうかなど問題ではない。いかに英雄らしいかが重要なのだ。」

ナポレオンが乗っていたのは馬ではなく、じっさいにはロバ。
また、馬に乗るナポレオンの姿を画家が描いたのは、彼の低い身長をごまかすためであったともいわれる。
これは、絵画の世界においては、いってみれば常套手段でもあった。

「男のファッションの最高峰は軍服である。なぜなら軍服には老若問わず男をその気にさせる何かがあり、特に甲冑姿となると、ふだんは抜けた顔つきでもキリリと見えるし、太りすぎでも痩せすぎでも緩和され、背が低ければ馬に乗ればよく、顔が長すぎれば馬の隣に立てばよく、それでも如何ともしがたい場合には、フルフェイス型の兜を被って目だけ出せばよい。」(中野京子 『名画に見る男のファッション』 46-47頁)

さて、少し気になるのは、最初のヴァージョンにおけるナポレオンの服の色。
画家は、この作品だけ、服の色を黄色で描いた。
他の4作品はすべて、赤色である。

これは、ほかならぬ、ナポレオンの「たくらみ」、そして「野望」であった。

黄色は、将軍の色。
したがって、画家がこの色を選択するのはきわめて自然。

赤は、王の色。
つまり、いまだ軍人の身にありながら、ナポレオンは、自分が王になることを広く「アピール」したのだ。

おそるべき自己宣伝力。

もういちどダヴィッドの絵をみてみよう。
山越えの最中の馬に乗っていながらも、ナポレオンだけは、ピタッと静止している。
まさに、動と静の融合。

それはさながら、「犯罪界のナポレオン」、モリアーティー教授のように。
彼もまた、巣の中心で糸を引く蜘蛛のごとく、じっと動かず、すべてを支配している。

ピーテル・ブリューゲル 「子供の遊戯」

2014-12-20 23:34:30 | 番組(美の巨人たち)

2014年12月20日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
ピーテル・ブリューゲル 「子供の遊戯」

この絵[《農民の婚礼》]の人間模様の豊かさや、ウイットに富んだ細かい観察には感心するほかない。しかし、それにもましてみごとなのは、ごちゃごちゃした絵にならないよう画面をまとめ上げているブリューゲルの手腕だ。あのティントレットでさえ、多くの人物で混みあう空間の感じを、これほどうまく作りだすことはできなかったはずだ。
―――ゴンブリッチ 『美術の物語』 (289頁)

ヤン・ファン・エイクにせよ、ヒエロニムス・ボスにせよ、とかく、北方の画家というのは描写が細かい。
同時代のイタリア・ルネサンスの画家たちが、しばしば、画面上に中心的な人物を大きくポンポンと配置しているのと比べると、その差は歴然である。
(番組内では、北方ルネサンスの「現実的」な絵画に対して、南方、すなわちイタリアのルネサンスの作風は、いくぶん「理想的」であると解説されていた。)

しかし、それでも、ごちゃごちゃにならないのだからすごい。
以前にブログで取り上げた中野孝次氏も、ブリューゲルの絵に「宇宙的な調和」をみてとっている(『ブリューゲルへの旅』 91頁)。

さて、今回の一作。
《子供の遊戯》。

これまで様々な解釈がなされてきたこの作品。
とうぜん、研究書も多い。

 

この絵に描かれているのは、254人の子どもと、91種の遊び。

ひとりひとりの大人っぽい表情から、これは、大人の社会の縮図であるという解釈も根強かったという。
とりわけ、先輩画家のヒエロニムス・ボスが、そうした諷刺的な視線を積極的に画面に取り入れた人物だったため、そのような解釈が出てくるのも無理からぬように思う。

番組内での解説によれば、子どもというのは、真剣に遊んでいるとき、じつは、笑っていないことが多いのだという。
本当に夢中になったときは、笑顔を忘れてしまう。

それはそれで、ブリューゲルの観察眼の緻密さを示す、この上ない証左であるように思う。

ただ、ルネサンスの、とくに初期あたりまでに関していえば、子どもを描くときに、大人のような風貌で描写することは、けっして少なくはなかった。
(もっとも、だからといってアリエスの説[cf. 『〈子供〉の誕生』]を全面的に肯定するわけではない。)

また、番組内で紹介されていた、この作品の構図に着目した分析は、なかなか面白かった。

おそらく、画家自身、かなりこだわりがあったのだろうと推察する。
ミクロな視点ばかりでなく、マクロな視点をも同時にもちあわせられる資質が、北方の画家の特徴のひとつであるように思う。

最後に、関連動画をひとつ。


レンブラント・ファン・レイン 「イサクとリベカ」

2014-12-06 23:22:13 | 番組(美の巨人たち)

2014年12月6日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
レンブラント・ファン・レイン 「イサクとリベカ」

17世紀オランダ黄金期を代表する画家のひとり、レンブラント。

光と影のコントラスト(cf. "chiaroscuro")に魅せられたバロック期の画家のなかでも、彼の描き出した明暗の世界観は群を抜いていた。
彼の駆使した明暗法が、現代の写真技術にも応用されていることが、そのひとつの証左である。(cf.「レンブラント・ライティング」)

さて、そうした光と影の魔術師の最晩年の傑作が、今回の一作《イサクとリベカ》である。
画面上には明確なアトリビュートがみられないため、描かれている人物の特定に関しては、長らく研究者を悩ませていた。

作品のタイトルの変遷が、そうした長年にわたる解釈の移り変わりの有り様を如実に示している(レンブラントの時代には画家自身が作品にタイトルをつけることはなかった)。

19世紀にアムステルダム国立美術館に寄贈された当初は、《誕生日の挨拶》。
続いて、《ユダヤの花嫁》(これが、長らく正式の画題として認められてきた)。
そして、現在、もっとも有力とされているのが《イサクとリベカ》。

根拠は、画家の遺した素描。
それは、ラファエロの手になる同じ主題の作品にインスピレーションを受けて描かれたものであった。

後年、レンブラントのこの絵を絶賛した画家がいた。
ゴッホである。
彼は、同郷のこの画家の作品をみて、こう述べた。

"I should be happy to give 10 years of my life if I could go on sitting here in front of this picture for a fortnight, with only a crust of dry bread for food." (参考

最後に、クロード・ロランの描いたイサクとリベカを。