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leonardo24

西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

From _The Hound of the Baskervilles_

2015-03-22 00:31:56 | 番外編
And now, my dear Watson, we have had some weeks of severe work, and for one evening, I think, we may turn our thoughts into more pleasant channels. I have a box for Les Huguenots. Have you heard the De Reszkes? Might I trouble you then to be ready in half an hour, and we can stop at Marcini's for a little dinner on the way? --- Sherlock Holmes

*'Mr. Turner'と'Effie'、そして'Mr. Holmes'*

2014-08-30 21:03:38 | 番外編

Timothy Spall as Joseph Mallord William Turner

[T]he original make and frame of Turner's mind being not vulgar, but as nearly as possible a combination of the minds of Keats and Dante, joining capricious waywardness, and intense openness to every fine pleasure of sense, and hot defiance of formal precedent, with a quite infinite tenderness, generosity, and desire of justice and truth-this kind of mind did not become vulgar, but very tolerant of vulgarity, even fond of it in some forms; and on the outside, visibly infected by it, deeply enough; the curious result, in its combination of elements, being to most people wholly incomprehensible.
--- John Ruskin, Modern Painters

今年の秋に英国で公開予定となっている映画'Mr. Turner'。
英国を代表する稀代の画家の伝記映画は、ともすれば意外だが、本作が実質的に初めてである。

こちらが映画の予告編。


個人的には20代半ばに描かれた若き日の肖像画の引き締まった印象がどうしても強かったため、最初に予告編を観たときにはこのやや冴えない人物像に一瞬目を疑った。


Turner, 'Self-portrait'

参考までに、老齢のターナーを描いた作品を一点(こちらの方が映画のイメージに近いか)。


William Parrott, 'Turner on Varnishing Day'

ターナーのイメージというのは、日本においては印象派の先駆けという文脈で捉えられることが多く、なかなか画家人生の全体像まで目が行き届くことは少ない。

それはある意味本国イギリスでも同じである。
典型的なのがラスキンの「焼却事件」。

ターナーの死後、画家の遺品を整理していたラスキンは大量の裸婦像を見つけてしまう。
これが明るみに出たら「偉大なる風景画家」としてのターナー像が崩れてしまうと危惧したラスキンは、それらを焼却処分してしまったといわれる。

ラスキンは書簡でこう述べている。

I am satisfied that you [Ralph Nicholson Wornum] had no other course than to burn them, both for the sake of Turner's reputation (they having been assuredly drawn under a certain condition of insanity) and for your own peace. And I am glad to be able to bear witness to their destruction and I hereby declare that the parcel of them was undone by me, and all the obscene drawings it contained burnt in my presence in the month of December 1858.

ターナーの〈虚像〉を作り出したラスキンの悪名高い焼却事件は、しかし、近年の研究によると、起こっていなかったともいわれる。
(参考:"Bonfire of Turner's erotic vanities never took place" The Guardian、2004年12月29日)

ともかくも、これまで隠されてきた〈実像〉が、映画でどこまで明かされているのか。
気になるところではある。

美術関連の映画でいえば、もうひとつ気になるのが'Effie'。
ダコタ・ファニング主演のこの映画では、ラスキンとその妻エフィー、そして画家ミレイの三角関係が描かれる。


Emma Thompson as Lady Eastlake / Dakota Fanning as Effie Gray

エマ・トンプソンの脚本の著作権の問題でいろいろと揉めたこの映画の公開は遅れに遅れ、テレグラフの記事でも"long-delayed film"とあるが、一応、今年の10月に英国で上映予定となっている。
日本公開の報はいまのところないが、ぜひ観てみたい。

最後に、こちらも気になる映画。
ミッチ・カリンの小説A Slight Trick of the Mindを原作とした'Mr. Holmes'である。


Ian McKellen as Sherlock Holmes at the age of 93

隠居生活を送る93歳のシャーロック・ホームズを扱ったこの映画では、ホームズが終戦後の日本を訪れる場面も描かれているという。
昨今、「シャーロック・ブーム」の波が日本にも押し寄せていることと合わせて考えれば、'Mr. Holmes'が日本で公開される可能性は高いだろう。

'Mr. Turner'と'Effie'、そして'Mr. Holmes'。

*大隈講堂はゴシック建築か*

2014-05-31 21:03:22 | 番外編

“The smallest point may be the most essential.”
―Sherlock Holmes

「都の西北」早稲田大学のシンボルともいえる大隈講堂。
この記念講堂が完成したのは1927年。
大学の創立者にして初代総長の大隈重信の逝去から5年後のことだった。

学内の学生向け週刊広報紙(WASEDA WEEKLY)の特集記事によれば、当時総長だった高田早苗は建設に際して二つの注文を寄せたという。
ひとつは「ゴシック様式であること」、もうひとつは「演劇に使えること」であった。

後者についてはともかく、前者についてはややひっかかる。
大隈講堂は、本当に「ゴシック建築」なのだろうか。

たしかにウィキペディアには「チューダー・ゴシック様式」とある。

しかし、出典がわからない。
ざっとネット検索をかけたところでは、大隈講堂が「チューダー・ゴシック様式」であると明言しているのはこのウィキペディアページ以外ほぼ皆無といっていい。

この点についてひとつ考えられるとすれば、おそらくウェストミンスター寺院との関連であろう。
大隈講堂の鐘の音は、この由緒ある英国の寺院のそれにならっている。(→参考
そしてこのウェストミンスター寺院は、すべてではないにせよ、大部分はチューダー王朝期のゴシック様式で作られているのだ。(参考:"Tudor architecture")


ウェストミンスター寺院

とはいえ、まだすっきりしない。
大隈講堂には、いわゆる「純粋な」ゴシック建築の〈クオリア〉が欠けているような気がしてならない。

それこそ、19世紀英国の美術批評家ラスキンが、「純粋な」ゴシック様式の荘厳な美を手放しで称賛した一方で、彼にとっては「亜流」に過ぎない「ゴシック・リヴァイバル」の建造物については手厳しかったように。
ゴシックの本質」の章が挿入されている著書『ヴェネツィアの石』でも知られる彼は、たとえばこうした「復興期」の建築の代表例ウェストミンスター宮殿の様式をみて激しく嫌悪したという。


ウェストミンスター宮殿

さて、大隈講堂の建設に大きく携わったひとりが、早稲田大学建築科を創設した人物でもある佐藤功一であった。
ここに、彼の手掛けた建築のひとつ「岩手県公会堂」の建築様式について書かれた一本の論文がある。(参考:「岩手県公会堂の建築様式に関する研究」)

この論文のなかでは、大隈講堂を含む複数の「佐藤建築」についても言及されている。
論者は、佐藤功一の建築の多くが「ネオ・ゴシック」と評されていることをふまえたうえで、この岩手の公会堂が、「ネオ・ゴシックを下敷きとした表現主義の建築」であると述べている(60頁)。
ちなみに「ネオ・ゴシック」という用語については、「ゴシック・リヴァイバル」とほとんど同義といっていいだろう。

岩手県公会堂については実物を見たことがないので何とも言えないが、少なくとも、佐藤の建築の多くが「ネオ・ゴシック」と呼ばれ、それゆえ「純粋な」ゴシック建築とは一線を画していることだけは確実に言えると思われる。
「表現主義」うんぬんについては何とも言い難いが、よくよく考えてみれば、そもそも、「グリーク・リヴァイバル」にせよ「ゴシック・リヴァイバル」にせよ、復興期の建築の特質のひとつはその「折衷主義」ではなかったか。

西洋建築様式史』(美術出版社)には次のようにある。

「[19]世紀の後半は諸様式のリヴァイバル(復興)の時代となった。復興様式はさらにそれぞれの国の伝統と混ざり合い、ひとつの建物に複数の様式が折衷されることもあったが、建築の格付けのための重要な表現媒体として生き続けた」(142頁)。

それゆえ、「表現主義」の要素があるかどうかはともかく、「純粋な」ゴシック建築に様々な様式を混ぜ合わせるという「折衷主義」の気風が、復興期の建築、ひいては佐藤の建築の精髄であったことは間違いないだろう。

文化遺産に関するこちらのHPでは、「ロマネスク様式を基調としてゴシック様式を加味した我が国近代の折衷主義建築の優品」として、大隈講堂が紹介されている。
また、早稲田大学のHPでも、この記念講堂は「入り口の尖頭アーチや鐘楼デザインなど建物全体はゴシック様式を基調とし、大隈庭園側の半円アーチが連続した回廊にはロマネスクのエッセンスを加えるなど、2つの様式を巧みに折衷した日本近代建築の名作」であると評されている。


大隈講堂(回廊)

したがって、結論としては、大隈講堂は「純粋な」ゴシック建築ではない。
その基盤にみられるのは、あくまで「ネオ・ゴシック」的な折衷主義の理念である。

ロマネスク、ゴシック、そしてあるいは表現主義。
そうした多様な様式の結晶として、大隈講堂は都の西北に息づいている。

「神のごときミケランジェロさん」(みのる)

2014-04-26 21:50:12 | 番外編

こういう誇り高い独立心を、ミケランジェロがいかに誠実に守ろうとしたか。晩年に手がけた最後の大作に対する報酬を断った、という事実が、それをもっともよくものがたっている。その仕事は、かつての敵ブラマンテの作品を完成させることだった。あのサン・ピエトロ大聖堂の中央クーポラである。老巨匠は、キリスト教の総本山であるこの大聖堂の仕事を、神のさらなる栄光のための奉仕だと見なし、それが世俗の金儲けに汚されてはならないと考えた。まわりを取り巻く2本1組の円柱の列に支えられるかのように、その堂々とした姿を空にくっきりと浮かび上がらせ、ローマの町を見下ろすクーポラ。それこそは、当時の人々によって「神のごとき」と形容された、この非凡な芸術家の精神を記念するにふさわしい。
―――ゴンブリッチ 『美術の物語』 (239頁)

希代の芸術家の生き様を扱ったマンガが、いま、webで連載中だ。
言わずと知れた盛期ルネサンスの巨匠、ミケランジェロ。
画家ではなく、彫刻家としての自負を強くもっていた芸術家は、ときには教皇相手にも怯まなかったほど、誇り高い精神の持ち主だった。

いまのところ、第三話まで公開されている。
毎月一回、月末の更新だ。

ユーモラスな筆致を、気軽に楽しむことができる。

参考までに、昨年刊行されたミケランジェロの特集本を紹介しておこう。
タイトルはマンガとほぼ同じ、『神のごときミケランジェロ』だ。

The Pre-Raphaelite Legacy―British Art and Design from the Metropolitan's Collection

2014-02-18 22:07:17 | 番外編

(Burne-Jones 'The Love Song', 1868-77, Metropolitan Museum of Art)

The Pre-Raphaelite Legacy―British Art and Design from the Metropolitan's Collection

(Metropolitan Museum of Art, May 20―October 26, 2014)

"MET"の愛称で親しまれているメトロポリタン美術館(ニューヨーク)。
世界有数のコレクションを誇る同美術館と、ニューヨーク近代美術館(略称:"MOMA")は、同市を訪れる際には決して見逃せない。

現在、東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで「ラファエル前派展」が開催されている。
同展覧会を訪れた感想については、2月14日のブログ記事に綴っている。

今回紹介する美術展は、同じくラファエル前派の作品を扱うものである。

とはいえ、テート美術館(イギリス)のコレクションから構成された、いま東京で開かれている「ラファエル前派展」がそのまま巡回するわけではない。
あくまで"MET"に収蔵されている作品が展示されることになっている。

こちらが、"MET"公式HPに掲載されている「ラファエル前派展」開催予定に関する告知記事である。

今年の5月から10月にかけて開かれる予定の同展覧会は、いま貼り付けたページでも書かれているように、ラファエル前派の運動「全体」を捉えようとするものではない。
現在六本木で開かれている展覧会とは異なり、いわゆるラファエル前派の〈第二世代〉に焦点を当てるものである。
つまり、バーン=ジョーンズやモリスが展示の中心となる。

先ほど貼り付けたページの記事を読んで、今回この美術展を紹介しようと思ったのには理由がある。
その記事の最初の二行がきわめて洗練されていたためである。

引用しておこう。

Young and impassioned, the Pre-Raphaelite Brotherhood sought to revitalize mid-nineteenth-century British painting with the sincerity and vivid intensity they admired in medieval and early Renaissance art.
Although the Brotherhood was short-lived, its influence was profound.


簡潔ながら端的に、ラファエル前派の運動の本質を捉えている。

たしかに、目新しい要素は何もないかもしれない。
しかし、一語たりとも無駄な語句はなく、言葉の選択もきわめて良質のものである。

私が辞書を作ったなら、「ラファエル前派」の定義は上のものと全く同じものを採用するだろう。
もっとも、Wikipediaの解説の最初の二行くらいは頭に要るだろうが。

["The Pre-Raphaelite Brotherhood (also known as the Pre-Raphaelites) was a group of English painters, poets, and critics, founded in 1848 by William Holman Hunt, John Everett Millais and Dante Gabriel Rossetti.
The three founders were joined by William Michael Rossetti, James Collinson, Frederic George Stephens and Thomas Woolner to form the seven-member 'brotherhood'."]

紹介記事の紹介であった。