11月は喪中葉書を受け取ったり、出したりする時期
秋から年末、そして新年の用意でもあるのだろう。
我が家も妻の母が亡くなった年である、明るいお義母さんで
思わず笑ってしまうことが一日一回あったような気がする。
晩年は、我が家で過ごしてもらって本当に良かった、妻は実母であり
お世話や介護と苦労もあったが、やらなければならないことをやり切っていたと思う。
義母は安心して毎日を過ごしていた、我が家族に少し遠慮しながらも平和な日々、
若い頃の勢いはないものの、時間を重ねるうちに穏やかな日々に身を任せることが
出来るようになり、会話も穏やかに昔の楽しさを表現しているようだった。
最後の親である義母が3月に逝去して、夫婦二人の両親がいなくなったということである。
振り返って何となく思えば、本年は親が四人皆んないなくなった年である。
こんな感じ方もあって、朝ドラ「まっさん」の余市のウイスキーを嗜んでいると
この年になっても、本年は特別なことがあった年なんだなあと思ったりする。
今まで関わってきた人、今も楽しく関わっている人から喪中葉書が届く
一通の葉書には、書く人でなければ分からない思い入れがあろうと拝察してしまう。
当然我が家も投函したのだが、妻にとっては実母、小生にとっては義母、
ときどき問い合わせがあるが、表現はこれで十分だろう。
義母に近い親族は十分に承知してくれるのですから。
秋から年末、そして新年の用意でもあるのだろう。
我が家も妻の母が亡くなった年である、明るいお義母さんで
思わず笑ってしまうことが一日一回あったような気がする。
晩年は、我が家で過ごしてもらって本当に良かった、妻は実母であり
お世話や介護と苦労もあったが、やらなければならないことをやり切っていたと思う。
義母は安心して毎日を過ごしていた、我が家族に少し遠慮しながらも平和な日々、
若い頃の勢いはないものの、時間を重ねるうちに穏やかな日々に身を任せることが
出来るようになり、会話も穏やかに昔の楽しさを表現しているようだった。
最後の親である義母が3月に逝去して、夫婦二人の両親がいなくなったということである。
振り返って何となく思えば、本年は親が四人皆んないなくなった年である。
こんな感じ方もあって、朝ドラ「まっさん」の余市のウイスキーを嗜んでいると
この年になっても、本年は特別なことがあった年なんだなあと思ったりする。
今まで関わってきた人、今も楽しく関わっている人から喪中葉書が届く
一通の葉書には、書く人でなければ分からない思い入れがあろうと拝察してしまう。
当然我が家も投函したのだが、妻にとっては実母、小生にとっては義母、
ときどき問い合わせがあるが、表現はこれで十分だろう。
義母に近い親族は十分に承知してくれるのですから。