2015年2月22日 「にんげんだもの」と「古印最中」と従兄弟の思い出。
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NHKTVで、書家の相田みつおさんを紹介する番組がありました。
その中で、足利銘菓「古印最中」の包装紙をデザインした逸話も紹介されていました。
「古印最中」は、隅々までギッシリと餡子が詰まった最中です。
この最中は、従兄弟の清さんから折にふれて贈って頂いた品でした。
清さんは、親戚の中心として頼り甲斐のある方でした。
私より一回り上の年長者で「従兄弟」というより「伯父」的な存在でした。
清さんは、まさに東日本大震災のその日、午前中に自転車で転倒し重傷を負いました。
事故からおよそ半年後に惜しまれながら逝去されました。
相田みつおさんと古印最中の事を知り、改めて清さんを偲ぶことができました。
春の彼岸には、親戚の皆さん共々、お墓参りをさせて頂きます。
2013年9月1日 猛暑の中、清さんの「三回忌法要」。
私と主人共々、出席させて頂きました。
都心でも35.7℃の猛暑日でしたが、出席予定の皆様も皆、無事に法要に出席されました。
故人のご長男は遠く四国からの出席でしたが、あちらは雨とのことでした。
2012年8月19日 清さんの一周忌と、奥様の二十三回忌法要。
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2011年10月30日 主人の従兄の清さんの、四十九日法要が営まれました。
去る9月に逝去された、清さんの「四十九日」の法要が、小金井の「多摩霊園」で営まれました。
親戚、縁者の皆様が集い、個人を偲びご冥福をお祈りしました。
2011年9月 日 清さん逝く~享年78歳。
3月11日、又従兄弟の清さんは折しも、「東日本大震災」発災の日の午前中に自転車で転倒し重症を負い緊急入院をしました。
9月16日、懸命な治療と看護の末、薬石効無く亡くなりました。
9月18日、通夜には、主人・私・息子がお参りさせて頂きました。
2011年3月11日 主人は、上越・長岡へ…その後、巨大地震が…
強い揺れの地震に見舞われたとき、私は地下の仕事場に1人でいました。
中々収まらない揺れに、ビックリしました。
幸い、私や、同居の息子達の所では、何の被害もありませんでした。
しばらくして、TVで、東北地方を中心に甚大な被害が出ているとの報道を見て、とっても驚きました。
その時、主人は、知人の奥様のお通夜に出席の為、上越・長岡に向かっていましたので、どうなったかとても心配でした。
電話がつながらず、連絡が取れたのは、夜8時過ぎでした。
主人の話によると…
3月11日、午後1時46分、上越・長岡に到着。バスで知人宅に向かい、2時40頃、到着。
間もなく、2時46分、地震発生。長岡では、余り大きな揺れは感じず。
葬儀に出席の皆さんがTVで、刻々報じられる深刻な被災状況に見入る。
5時頃、長岡市内の通夜式場に移動。
6時30分からの通夜に出席。
新幹線がストップ、長岡駅のステーションホテルに泊。
12日、早朝、上越に震度5強の地震。ホテルのエレベーターがストップ。
新幹線動かず、本日の母校「西戸山中学校・閉校式」出席を断念。
告別式に出席。
新幹線の再開を待つ。
新幹線が再開後、最初の列車が長岡に到着したのは、午後5時頃。
長岡で乗車後、自宅に着いたのは、夜10時30分頃。
以上が、地震後のドキュメントでした。
主人は、初めての土地で、新幹線の開通を一人で何時間もじっと待つ間に、次々に入る「大震災」の報道に思いを寄せていたそうです。
その時の思いが、主人が「東日本大震災 記録・教訓・復興」を立ち上げるきっかけになりました。
実は、もう一つの心配事が発生していました。いつも、主人の親戚が寄り合ってお墓参りをしていますが、その中心の方が、11日午前、自転車で転倒し、頭部を強打して、緊急手術を受けたとの知らせが入っていました。 明日、主人と二人で御見舞いに伺うことにしました。
〔余談〕 その後、間もなくの3月末、何と主人自身が自転車で転倒。メガネ飛ばすほど左顔面を打ち、手首と胸を痛めました。当日午前中は、掛かり付け医の健康診断で、「私の自慢は、自転車で急な坂道を平気な顔をして漕ぎ上がることです」と自慢していたそうです。過信か?、焼きが回ったのかしら…?。