ニュースを見た。
徳山ダムの湛水が、今日の午前7時に始まった。(ニュースソース)
ついに始まった、始まってしまった、もう止められない…と思う。
ダムに流れ込む水は毎秒10トン。湛水後の深さは400メートルに達する。
ダムの貯水量は静岡県の浜名湖の2倍。面積は長野県の諏訪湖と同等。
北海道の朱鞠内湖やシューパロ湖に次いで、日本で3番目に広い人造湖となる予定だ。
しかし…その湖底には、私たちが決して忘れてはならない財産・人間の営みがあった。
岐阜県揖斐郡徳山村。
その名を知る者は、岐阜県民であってももうあまり多くはないだろう。
1987年に、ダム建設のため村ごと廃村になって藤橋村に吸収された。
その吸収した藤橋村でさえも、いまは揖斐川町となってその名を失っている。
日本で村ごと地図から消えたのはここ徳山と…背中をあわせた、福井県西谷村だけだという。
僕は、そんな徳山村の悲しき運命を追って、自由研究を行なったことがある。
実際に現地に足を運ぶと、鉄筋コンクリートの小学校と、中学校体育館があった。
鉄筋コンクリート製の建造物は、取り壊さずに沈めるのだそうだ。
父が「たしかこの辺に…」と言葉を途切れさせたところには、役場跡の草むらがあった。
夏場だけ住んでいるというおばあちゃんに、あけびをもらった。
小学校の校舎に入ると、積み上げられた机といす、そして黒板。
黒板には児童だろうか、村民だろうか、たくさんのメッセージが書かれていた。
「ダム建設反対」「沈めるな」「ふるさとを返せ」…。
チョーク書きのメッセージは、1986年の夏、と記していたのを覚えている。
1986年の夏は、ちょうど僕自身が生まれたときだ。
長野県知事は、田中さんから村井さんへと変わった。
別に長野に税金を納めているわけでもなく、知事選でも投票権はなかった。
しかし、田中前知事の、『脱ダム』の姿勢には、関心を寄せていた。
文化をそのまま沈めるダム建設が、ときどき許せない行為に思えて仕方ないのだ。
早明浦ダムの底から、旧大川村役場が姿を現わし、屋上で手を振る人の写真を見た。
それが…現実なんだなぁ、とも思った。
思わずアルバムを開いた。
たしか、あったはずだと。
自分の記憶にない頃に、あの村を訪れていたときの写真が。
1988年2月28日。
廃村から11ヵ月後のその日、あの村の役場の前で撮られた写真に、僕はいた。
機械音痴な母がカメラを手に持つ姿が、僕には想像できなかった。
相当ずさんな計画ですね。
国は事業をやるために事業を立ち上げてるから引くに引けないとか。
まったく。なんで官僚は失敗してもクビにならないんだろうな。
そうだねー、見通しが甘いって言うか、飲料にも発電にも使えない…んだっけ?もったいないね。。。
まぁ岐阜県だからね。
>元教の低学年支援員さん
御母衣やら下小鳥やら横山やら、岐阜県にはダムが多いです。山間部ゆえでしょうか。そのロックフィル式ダムですが、私の地元、岐阜県可児市の小渕ダムは、世界初のロックフィル式ダムです。
余談ですが岐阜県でも名古屋寄りに住む私の実家は、水道料金がかなり高くなっています。ダムがあっても生活に還元されないのが現状です。
お褒めの言葉、ありがとうございます。随筆…を仕事にはできないですね、思い立ったときしか仕事しなくなります。
>マッキー
いろいろな土地にいろんなエピソードがあるんだな。たとえば、国道や電車が通るだけでも、そのルートから建設にいたるまで、ドラマや悲しい話もいっぱい隠されています。
徳山ダムに沈む集落の姿を見てこそ、このダムの目的が果たされないことに憤りを感じるんだよね。。。