日本の足跡

2009年05月25日 22時49分58秒 | 旅するふっき~

インフルエンザに景気悪化、政治不信、そして不穏な事件の数々。
日銀の発表した「景気回復の兆し」は、いよいよ現実のものとなるか、
はたまた、やはり日本はまだどん底を経験していないのか。

運動会の代休で、今日はお休み。
平日休みは数カ月ぶりで、喜び勇んでお出かけ。
山へ。

埼玉県秩父市に中津川というところがある。
秩父鉱山という、日本から切り離されたような集落が、ぽつり。
昭和の歴史的遺産が、そこにひっそりと佇んでいる。
林道を進めば、長く暗く細い隧道が現れる。
ダンプカーとすれ違いながら、隧道を抜けると、鉱山の集落へ。

日本が、元気だったであろう頃の遺産。
ごく当たり前の幸せを、平凡な日々の延長に手に入れようとしていた頃の日本。
それは、もう僕にはわからない日本の過去の一時代。

人のほとんどいなくなった集落から、おりしも路線バスが出てくる。
「PASMO使えます」のピンク色の旗を付け、電光表示で「三峰口駅」を指す乗合バス。

 人々は鉱山住宅に住んでいた。
 障子の向こうに、畳がのぞく。
 そこに座る人は、もういない。
 そこに続く小径には、
 バリゲードが施されていた。





 鉱夫はここで汗を流したのだろう。
 いや、汗を流したのは男だけではない。
 女湯は、女工さんの存在を示すものか。
 それとも、山に暮らした家族のものか。
 日本を突き動かしたもの。
 それが男だけではないことは、
 この銭湯の跡を見ればわかるように、
 火を見るより明らかなことだ。


 子どもたちは学校で学ぶ。
 今も昔も変わらない、教育の形。
 日本を支えたものは、
 質の高い教育だったはずだ。
 先人の教えを学び、
 後世に技術と文化を伝えていく。
 その大きな役割を、
 子どもたちは喜んで請け負ったろうか。


 八丁トンネルを抜ける。
 目の前に、秩父の背中が見える。
 上州と武州の境は、脈々と続く青い背骨。
 そこから、大地のエネルギーをもらっていた。
 日本を支えるエネルギーは、
 いつの時代も、自然が源であったろう。
 そしてこれからも、それは変わらないだろう。


虹の架け橋

2009年05月09日 06時36分44秒 | 教育とふっき~
昨日の夕方、部活の途中、1年生が虹を見つけた。
ちょうど、虹に関する話を国語でやっているころだと思う。

「虹だ!」

とひとりが叫ぶと、
みんながラケットを持ったまま集まってきた。
東の空に浮かんだ虹は、5分もたたずに消えてしまった。

虹が架かっただけでこんなに無邪気に喜ぶ子どもの顔、
おれは初めて見たような気がする。
子どもって、素直なんだな、って思う。
この仕事をしていると、ときどき、こういう瞬間に出会える。

さて、今日も元気に出勤するぞ