インフルエンザに景気悪化、政治不信、そして不穏な事件の数々。
日銀の発表した「景気回復の兆し」は、いよいよ現実のものとなるか、
はたまた、やはり日本はまだどん底を経験していないのか。
運動会の代休で、今日はお休み。
平日休みは数カ月ぶりで、喜び勇んでお出かけ。
山へ。
埼玉県秩父市に中津川というところがある。
秩父鉱山という、日本から切り離されたような集落が、ぽつり。
昭和の歴史的遺産が、そこにひっそりと佇んでいる。
林道を進めば、長く暗く細い隧道が現れる。
ダンプカーとすれ違いながら、隧道を抜けると、鉱山の集落へ。
日本が、元気だったであろう頃の遺産。
ごく当たり前の幸せを、平凡な日々の延長に手に入れようとしていた頃の日本。
それは、もう僕にはわからない日本の過去の一時代。
人のほとんどいなくなった集落から、おりしも路線バスが出てくる。
「PASMO使えます」のピンク色の旗を付け、電光表示で「三峰口駅」を指す乗合バス。
人々は鉱山住宅に住んでいた。
障子の向こうに、畳がのぞく。
そこに座る人は、もういない。
そこに続く小径には、
バリゲードが施されていた。
鉱夫はここで汗を流したのだろう。
いや、汗を流したのは男だけではない。
女湯は、女工さんの存在を示すものか。
それとも、山に暮らした家族のものか。
日本を突き動かしたもの。
それが男だけではないことは、
この銭湯の跡を見ればわかるように、
火を見るより明らかなことだ。
子どもたちは学校で学ぶ。
今も昔も変わらない、教育の形。
日本を支えたものは、
質の高い教育だったはずだ。
先人の教えを学び、
後世に技術と文化を伝えていく。
その大きな役割を、
子どもたちは喜んで請け負ったろうか。
八丁トンネルを抜ける。
目の前に、秩父の背中が見える。
上州と武州の境は、脈々と続く青い背骨。
そこから、大地のエネルギーをもらっていた。
日本を支えるエネルギーは、
いつの時代も、自然が源であったろう。
そしてこれからも、それは変わらないだろう。
私が行ったのは数年前ですが、到着したのは16時近くだったと思います。空は暗くなり、局に入ったとたんに激しい雷雨となりました。その後、自分も八丁トンネルを抜けるルートを通ったのですが、今思い返しても怖かったイメージしかありません。天気しだいでイメージは大きく変わりますからね。
保育園があるとは知りませんでした。遺構も見つからなかったです。
そうですね、こいのぼりとか、そういう「住んでいる」証があると、なんだか違いますよね。
>吹雪
それは東北のほうだったっけか。
書店で、廃墟の写真集なんか見ると出てくるような気がする。
>cobatchさん
ついに行きました。
天気次第でいろいろな表情を見せてくれる、そうですね、まさに。
新緑が明るく、それから天気もぴーかんで、すごくいいところだと思いました。