何か事件があるたびに、教育評論家とかいうおっさん、おばさんがテレビにいる。
正直、なにを評論してくださってるのか、俺にはさっぱりわからん。
奈良県での放火殺人事件。高校生の少年の犯行。昨日ニュースみて、「だわな」。
評論家とかおっしゃるテレビにも出られるエライ人たちは、必ずこう言う。
「荒れてる子じゃなくて、ふつうの子、勉強も部活もがんばってる子の犯行」だって。
このフレーズ、テレビ局各社、「一旦CMです」みたいに決まりきって使う。
ふつうの子、って、誰?
勉強をおとなしく受ける、部活に所属し、成績は収めなくともがんばる、
そういう子をふつうの子、と位置づけているらしいが、その裏返しは?
普通の対義語は、異常、特殊、特別。
アブノーマル?スペシャル?はたまたリミテッド?
荒れてる子は、普通じゃない?じゃ、荒れてるって、どんな子?
「ふだんはおとなしい子なのに」「勉強もできる」「ふつうの子」
学校では、生徒・児童に授業をおとなしく受けることを求める。もちろんそうさせるべき。
しかし、世間は「ふつう」を求めるのに、事件が起こると、「ふつう」に驚く。
「ふつう」の子が事件を起こすとおかしいの?「ふつう」じゃない子なら許されるの?
世の中にいる子どものほとんどは、評論家の定義するところの「ふつう」であるはず。
だってそれは、大人が子どもに「ふつう」になるように力を注いだからだ。
ならば世界で輝くのも、人を感動させるのも、そしてときに、何かを傷つけ、殺めるのも、
大多数の「ふつう」な子どもなんじゃないだろうか?
普通の人になんて、会ったことがない。
趣味、特技、出身、言語、顔つき、性癖、目の悪さ、背の高さ、実家の面積、おでこの広さ、
みんな違う。自分と違う。まったく違う。俺のスタンダードじゃない。ノーマルじゃない。
普通の人なんていない。普通の子なんていない。
もし授業態度や部活成績や家族関係や友人関係や素行や学歴や…
そんなもので「ふつうの子」か「そうでない」か判断するのなら、
金輪際「個性を伸ばす教育」なんてものを、大人は口にしてはいけないはずだ。
普通の子、なんて使い方はおかしいじゃない?
普通科、普通列車、普通預金、普通免許。その対義語のどこに、マイナス要素があるんだろう。
荒れてる子、の対義が「ふつうの子」なんておかしいじゃない?
「普通」の反対は、異常か特殊か特別でなくちゃいけないんだから。
視聴率さえとれればいいんでしょ。
しかも、コメンテターって仕事は限られた時間の中で適切なコメントをしないといけないので、いちいち子供の定義をしていては時間がないので、普通の子という表現をしたのだと思う。
深く考える必要はないと思う。
そんなこと言い出したらきりが無くなっちゃうから、ある意味丸くならないといけない部分はあると僕は思った。
評論家ってのも、ま、意見としてかな。
>元教の低学年支援員さん
「人間の中身なんて」の部分、たしかにそうですね。自分でもわからないのに、他人にはわからない。僕自身でも、他人に言えること言えないことを分けてますし、内面なんてすべてをオープンにしている人なんていないはずです。
「世間」というものは不思議です。
「報道に惑わされない力」、これは大切ですね。自分の意見は意見として、もっていたいものです。
>繊維学部の風雲児さん
タイトルにつけてもらったとおり、ただの修飾語ですね。
ただこの「普通」は、やはり定義がほしいところです。そもそも、普通、でなくとも形容する言葉はあるんじゃないかな…と思って例が出てこない国語科の俺です。
以前「17歳の犯罪」とか騒がれた時期も、なんといえばいいのか、都合のいいタイトルで煽られている感じがしてならないんです。それが適切か?、とか正しくないか?とかではなくて、そこだけじゃないんだぞ、大人はどうなんだ?っていう声、それが打ち消されている感じがしていやでした。
ともあれ、確かに言葉について考えすぎても、好転はしませんね。事件が起きたのは事実なので。