もしいま、このブログを読んでくれている人がいるなら、ひとつだけ言いたいことがあります。
それは―決して自らの命を絶たないでほしいということ。
いつもいるはずの、あるはずの人やものがふとなくなったとき、何を思うのかな、なんて。
つらいな…悲しいな…そういうものなのかな、なんて。
兄弟3人がそろっていたころの写真がふと出てきて、昔を思い出してしまった。
そういえば、あんな思い出に、こんな思い出。
いま思えば、どうしてあんなことをしてしまったのかな、なんて思うこととか。
いまだったら、素直に謝れるのに、もう、姉貴は声の届く世界にはいない。
そう思えば思うほど、悲しいとか、つらいとか、そんなんじゃなくって、
なぜか楽しかったこととか、いい部分だけが思い出されてしまう。
なんでだろう、どうしてなのかなぁ?
僕がひとりを好むのは、そういう状況で家族が嫌いになったからだと思ってた。
中学を出たら、もう家族とできる限りのかかわりなんて持ちたくないなんて思ってた。
姉貴が死んだ高2の秋のことは、いまも事細かに覚えている。
あの夜、見ていたテレビも、呼んだタクシーの運転手の名前も、飛び乗った電車の行き先も。
乗り換えた鶴舞線で、たった9駅の距離がどれだけ長く感じられたか。
地下鉄の改札を走り抜けたとき、静かなその病院の大きな建物を前にしたとき、
まわりにはもう誰もいない気がした。
自分だけがその世界に取り残されてしまった気がした。
夜の国道19号線を走る。
いつもは気づかなかったあの高台の学校の明かり。
いつもは見えなかったスーパーマーケットの裏の駅。
そして、いつもは聞こえなかった君の声。
この道をずっと走っていけば、あのふるさとへ続いていることは知っている。
そして、大都会の真ん中の、鎮守の杜まで行けることを知っている。
どうしてそのとき振り返らなかった?
どうしてそのとき、振り返ったあげられなかった?
走って、走って、走って、走って。
どこまでも続くアスファルトと、その真ん中のオレンジのライン。
ダムのほとり。
国道のパーキング。
トンネルのナトリウム灯。
叶うことなら、もう一度、夜ひとりで、地下鉄に乗ってあの改札を抜けてみたい。
大きな公園と、大きな図書館と、そして大きな病院があるあの駅から、ひとり地上に這い上がる。
そして、あの日と同じように、白い息を夜空いっぱいに吐き出して、「そこ」まで走る。
いまどうしていますか?僕のこと、覚えていますか?
それは―決して自らの命を絶たないでほしいということ。
いつもいるはずの、あるはずの人やものがふとなくなったとき、何を思うのかな、なんて。
つらいな…悲しいな…そういうものなのかな、なんて。
兄弟3人がそろっていたころの写真がふと出てきて、昔を思い出してしまった。
そういえば、あんな思い出に、こんな思い出。
いま思えば、どうしてあんなことをしてしまったのかな、なんて思うこととか。
いまだったら、素直に謝れるのに、もう、姉貴は声の届く世界にはいない。
そう思えば思うほど、悲しいとか、つらいとか、そんなんじゃなくって、
なぜか楽しかったこととか、いい部分だけが思い出されてしまう。
なんでだろう、どうしてなのかなぁ?
僕がひとりを好むのは、そういう状況で家族が嫌いになったからだと思ってた。
中学を出たら、もう家族とできる限りのかかわりなんて持ちたくないなんて思ってた。
姉貴が死んだ高2の秋のことは、いまも事細かに覚えている。
あの夜、見ていたテレビも、呼んだタクシーの運転手の名前も、飛び乗った電車の行き先も。
乗り換えた鶴舞線で、たった9駅の距離がどれだけ長く感じられたか。
地下鉄の改札を走り抜けたとき、静かなその病院の大きな建物を前にしたとき、
まわりにはもう誰もいない気がした。
自分だけがその世界に取り残されてしまった気がした。
夜の国道19号線を走る。
いつもは気づかなかったあの高台の学校の明かり。
いつもは見えなかったスーパーマーケットの裏の駅。
そして、いつもは聞こえなかった君の声。
この道をずっと走っていけば、あのふるさとへ続いていることは知っている。
そして、大都会の真ん中の、鎮守の杜まで行けることを知っている。
どうしてそのとき振り返らなかった?
どうしてそのとき、振り返ったあげられなかった?
走って、走って、走って、走って。
どこまでも続くアスファルトと、その真ん中のオレンジのライン。
ダムのほとり。
国道のパーキング。
トンネルのナトリウム灯。
叶うことなら、もう一度、夜ひとりで、地下鉄に乗ってあの改札を抜けてみたい。
大きな公園と、大きな図書館と、そして大きな病院があるあの駅から、ひとり地上に這い上がる。
そして、あの日と同じように、白い息を夜空いっぱいに吐き出して、「そこ」まで走る。
いまどうしていますか?僕のこと、覚えていますか?
覚えているに決まっているじゃないですか!きっと天国で見守ってくれているはずです!!私はそう信じています。
私はまだ大切な家族を失った経験はありませんが、ふっきーさんは高2という多感な時期にお姉さんを亡くされたんですね。何か大切な人やものを失って初めて、その大切さや有難みを知るというのはよく言ったものですが、本当にその通りなんですよね。普段、普通に生活しているとなかなか気付けませんが、常に周りにいる人やものを大切にしたり、感謝したりする気持ちを忘れずに生活していけたら良いな、と思います。
行きたいのに生きられなかった人,どこかで足を踏み違えて,死を選んでしまった人。彼や彼女の分も,生きてる俺やふっキーだけでなく,みんな真剣に,精一杯生きなきゃね。
あたしも母親を亡くしてますけど未だに夢に見ます。
病気だったんで心の準備が出来たってのがあって比較的立ち直りは早かったですけどね…。
やっぱ天国とかあるんなら幸せになってて欲しいなぁ、って思いますね。
お姉さん、ちゃんと覚えてくれてると思いますよ。
私はこの世にいなくなってしまった大切な人がいた時に、いた場所に帰ってやり直したいことがいっぱいあります。でも無理だから、無理なのは分かってるからせめて夢で良いから会いたいっていつも思ってます。でも何年たってもその願いはかないません。現実なんてそんなものなのかな。厳しいよね。
家族や、幼なじみ、友人をなくした、といった方も多いかと思います。そうしたことを悲しんで、苦しんで…そしていつか納得できて。いつまでも、「その人がいたこと、いてくれてうれしかったこと」を覚えていてあげられれば、それでいいのかなって思います。信心深く仏壇に手を合わせる、それ以上に気持ちをいつも持っていれば、それでいいのかな、なんて思います。
たくさんの、世界中の志半ばに亡くなった人のために、精いっぱい生きていきたいな、そう思っています。