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自立支援法・後期高齢者医療制度の「廃止」に伴う混乱を防ぐために

「超高齢化社会」のパラダイム転換を その1

2009年11月07日 10時15分26秒 | 高齢者医療・介護
昨日は、大都市圏の高齢化が一気に進むこと、病院や施設の整備を急いだとしても間に合わないペースだと書いた。反響(ブログへのコメント)がないのは、どのようなことか伝わらなかったからだと反省し、昨日に続いて、「介護難民」について考えていきたい。
なぜならば、これまでの「高齢者問題」のイメージを根本から改める必要があるからである。

これまでの「高齢者問題」のイメージは、働き手の世代がまちに出て行って、高齢者ばかりが残る「地方・山間部の過疎地」。高齢化率が40%を超え、「将来の日本社会」を先取りしていると扱われてきた(これらの地域の高齢化は、すでにピークを迎えている。一部の地域は、高齢者人口の減少に伴って、高齢化率が下がりつつある)。

しかし、これから高齢化が進むのは、大都市圏。なかでも高度成長期に発展した郊外のベッドタウン、大規模な団地=集合住宅である。
都市の発展に伴って地方から移り住んだために、どこも同じような家族構成で、これまでは「現役世代」として地域社会を支えてきた。これから、その親の世代が一気に高齢化するのである。子どもは独立してベッドタウンから出て行き、残るのは親=高齢者だけ。地域社会とのつながりは薄く、帰属意識もない。満員電車に乗って仕事に行き、車に乗って都心や郊外のショッピングモールに遊びに出かけるライフスタイルが高度成長期の豊かさだったからである。

このようなライフスタイルをベースとする社会が高齢化するとどうなるのだろうか。

「将来の日本社会」を先取りしていると扱われている地域においては、「地縁」と「血縁」をベースにするコミュニティの支えがある。また、お金がなくても何とか暮らしていけるだけの「社会の豊かさ」がある。地域社会における役割(誰かから必要とされているという感情)もある。
しかし、これから高齢化が一気に進む地域=真の「将来の日本社会」においては、コミュニティ感情は希薄で、コミュニティはあるとはいえない。子どもを媒介したつながりはあったが、子どもの成長と独立に伴って薄らいでいる。ベースになる縁は「職縁」である。これも現役を引退すると自然に薄らいでしまう。
いかに住み慣れた地域や自宅とはいえ、地域社会とのつながりが薄い。支え合い、見守りあうような機能、必要とし必要とされているという感情を、都市のコミュニティには期待できない。また、高齢期の「社会における自らの役割の喪失」を乗り越えることも難しくなる。しかも、地元の「自治会」や「老人クラブ」などには参加したくないというプライドもある。
つまり、会社を「定年退職」してからの「行き場のなさ」を解消し、「生きがい」をいかにつくり出すか、が大きな課題となる。

「高齢化問題」のイメージを改める必要があると冒頭に書いたのは、これらの支援を必要としている人たちが人口の4割を占める、ということである。つまり、地域社会のマジョリティ(多数派)であり、これまでのような「特別な人たちへの特別な支援・サービス」では駄目。地域社会のあり方から変えなければならない、ということである。しかも、今から高齢化していこうとする社会は、経済的には豊かだが、「社会の豊かさ」がない。そのため、コミュニティの機能を人工的につくり出す「壮大な社会実験」が必要となるのである。

日経ビジネスONLINE
(17)東京の団地と大学、老いた集合住宅の新しい「幸せ」に挑む
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http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080416/153233/