制度改正Watch

自立支援法・後期高齢者医療制度の「廃止」に伴う混乱を防ぐために

新年金制度法案、「2013年の通常国会に」 最低保障年金を創設

2009年10月31日 10時11分07秒 | ベーシックインカム
参議院の代表質問が始まり、政権の交代によって止まっていた議論がようやく動き始めた。
30日には、公明党からの代表質問に対して、「全国民が(月額)7万円以上支給されるよう最低保障年金を創設し、財源に消費税を充てることを民主党として約束している」、「今後4年間で公平、透明で新しい時代に合った年金制度の創設に励む」と答弁。その後の長妻大臣の記者会見で、「政権の一番最後の年、4年後の通常国会に提出する」との表明がなされた。

長妻厚労相、新年金制度法案「13年の通常国会に」
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20091030-567-OYT1T01111.html

このブログでも書いてきた、ベーシックインカムが(限定的だが)現実になりそうである。
国民年金を組み替えて実現することになるが、不足分は、消費税を目的税化して充てることになる。例えば、税率が10%になれば、年金制度を支える世代の負担が増すことになる。その分は、社会保険料や所得税を引き下げることで、ある程度は相殺できるかもしれないが、所得が少なく、それらを納めていない場合には、消費税率の引き上げが生活を直撃する。最低保障年金を創設するために所得税を引き上げるなら、最低保障年金の額=月額7万円以下で生活している人たちのことも考えなければならない。「老後の安心」に限らず、全国民の「最低生活」を何らかのかたちで保障するために広く負担を求めるとすれば、社会保障制度のあり方が次の選挙の大きな争点の一つになる。

最低保障年金は、3階建ての年金制度の土台の部分を置き換えて、その財源を消費税に求めるとなると制度を根底から覆す=つくり直すことになる。年金保険料は、2階より上のみとなり、国民に加入を強制する社会保険制度でなくても構わないのではないか、とも考えられる。
問題は、これまで真面目に国民年金保険料を納めてきた人たち、これまで「保険料など払わない」とその分を貯金にまわして、未加入・未納を続けてきた人たち、生活保護覚悟で浪費してきた人たちの全てが、年金制度の「リセット」に伴い、支給額が同じ7万円になってしまう不公平さをどう説明するか、である。
どうしても心情的に割り切れなさが残るため、これまでの納付額に比例した額を最低保障年金に上乗せして給付するなど、制度を「接木」して「獲得した権利」を保障することになるだろう。これまでパッチワーク的に制度に手を入れ、かなり複雑化しているので、これだけの「大手術」ができるかどうか。新年金制度の設計は大変そうである。
しかも、4年後も民主党政権とは限らない。政権が交代する度に制度に手を入れていたら、訳がわからなくなる。年金は、国民の生活設計に直結する制度なので、政権がどのように交代しても根幹は揺るがないようにして欲しい。


また、最低保障年金が創設されると、民間保険会社にも影響が及ぶ。国が最低限の生活を保障してくれるのだから、いざというときのために保険に加入するぐらいなら、貯金しておこうとか、運用して増やそうと考えるだろう。最低保障額では足りない人たちには、既に厚生年金が上乗せされているので、民間の保険に加入しなくてもよいと考えるかもしれない。
そのため、「老後の生活資金」を一時金で渡すような商品の魅力は半減することになるだろう。医療保険(保障)は、公的保険でカバーされない入院費や収入減をターゲットにした商品として成り立っている。生命保険会社がどのような手を打ってくるか。楽しみである(そもそも、生保各社は、最低保障年金をどのように受けとめているのだろうか)。

「貧困・困窮者支援チーム」が初会合

2009年10月30日 10時07分14秒 | ベーシックインカム
昨年度の「年越し派遣村」の村長、湯浅誠氏が事務局長を務める「貧困・困窮者支援チーム」の初会合が開かれた。
新聞各紙によると、先日発表された「ハローワークでのワンストップサービス」が当面の取り組みになるとのこと。ワンストップサービスは、11月下旬に、東京都、愛知県、大阪府で試験的に導入し、全国各地に展開する方針。

貧困支援チームが初会合=「派遣村」再現阻止へ-政府
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-091029X186.html
↑「貧困支援」は、間違い。

「貧困者支援は一括手続きで」チーム初会合
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/m20091030002.html

「失業で住まいを失った人ら」などのリスクに対応する社会保険制度として「雇用保険」があり、さらには生活扶助の制度として「生活保護」があるのだから、それらの制度の枠組みの中で解決できるのではないかとも思えるが、現実は違う。

時評コラム ニュース解説
勤労世帯に広がる貧困の実態(後藤道夫=都留文科大学教授)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091023/190802/

このコラムによると、「失業時の保障が失業者の5人に1人しか与えられていない」とのこと。雇用保険制度が設計された時代には、「正規雇用」が当たり前で、「非正規雇用」は、正規雇用の合間などの例外的な扱いだった。しかし、今日では、非正規雇用が多くを占めることを前提としなければならないし、正規雇用だったとしても所得の水準は低いまま。いわゆる「ワーキングプア」も多い。雇用保険制度に加入できなかったり、加入できたとしても給付額がわずか。給付が続くうちに再就職できるとは限らないなど、雇用保険は、完全に時代に合わなくなっている。
例えば、かつて「フリーター」は「自由の象徴」で「新たな働き方」の明るいイメージがあった。しかし、今日では、非正規雇用=アルバイトを掛け持ちして何とか生計を立てている人たち、もしアルバイトを続けられなくなれば、収入を失い、失業給付等も受けられない。常に「貧困・困窮者」になるのではないかと不安を抱えながら暮らさなければならないなど暗いイメージで扱われている。今になって「個人の責任だ」とはいえないだろう。

誤解を恐れずに書けば、「失業で住まいを失った人ら」などのリスクは、正規雇用者よりも非正規雇用者のほうが高く、失業したときの深刻さでも上回る。リスクを分散することが社会保険制度の目的なのだから、リスクが高い人たちを中心に設計し直して、正規・非正規に関わらず、あるいは所得の大小に関わらず、国民が広く支えあうような制度にしなければならない。

さらに誤解を恐れずに書けば、リスクが高い人たちほど、「社会保険料をきちんと納めて、将来のリスクを軽減しよう」と考えずに、「日々の生活費に充てよう。あるいは、いざという時のために貯金しておこう」と考える。これは、今日の雇用保険や生活保護などの制度の使い勝手が悪いために、過度に「自己防衛」しなければならないからである。これでは、社会保障制度としては十分ではない。「貧困・困窮」の状況に陥った人たちの目線からニーズを拾い、制度と運用を設計し直さなければならないということである。

社会保険制度は、加入者間でリスクを分散する仕組みであって、未加入者のことまで考えない。そのため、失業者の5人に4人は何の保障もなく、「貧困・困窮者支援チーム」を立ち上げて対策を講じなければならないほどの大きなリスクが残ってしまう。先週、少し書いたように、ベーシックインカムなどの最低所得保障の仕組みを導入しないと解決できない問題だろう。社会保険制度でカバーできないリスクが厳然としてあるのだから、新たな制度を用意すべきである。

「ハローワークでのワンストップサービス」は確かに必要だと思うが、「対症療法的」で、対策としては小さすぎる。わずかな期間でも失業したら「貧困・困窮者」になってしまう社会のあり方を問い、どのような仕組み=制度を導入すべきか、日本の社会をどのようにつくりかえるべきを考えなければならない(このチームで並行して考えるのもよいが、そこまで手が回らないのではないだろうか)。

「安心で信頼できる社会保障制度の確立に向けて」 その4

2009年10月29日 10時09分20秒 | 情報化・IT化
昨日に続き、急激に進む高齢化について考えていきたい(1日あたりのPVが300を超えたので!)。

昨日は、首都圏の高齢者が、わずか後5年で1000万人を超え、4人に1人が「高齢者」となると書いた。こう書くと、大きな「問題」と思えるが、高齢者の多くは元気に暮らしている人たちであり、医療や介護を必要とする人たちは、その一部である。例えば、介護保険の要支援・要介護認定を受けているのは、全体の2割程度。8割近くは「元気高齢者」で、普通に暮らしている人たちである。
4人に1人が高齢者で、その生活を支える人たちを含めると、人口の半数が「高齢者関連」となる。これまでは「高齢者や障害者に配慮して、バリアフリーを進めよう」という考え方であった。それは、高齢者や障害者が、特別な配慮を必要とする「マイノリティ(少数派)」だったからである。しかし、人口の半数を占めるようになると、立場が変わって「マジョリティ(多数派)」となる。

高齢者や障害者が使いやすいもの、暮らしやすい社会こそが「日本の標準=高齢者標準」となる。つまり、将来の日本においては、「高齢者」に選ばれないものは生き残れない。それでは、日本の市場が小さくなってしまうという悲観的な見方ができる一方で、その厳しい市場で鍛えられ、培われた技術や製品は、世界各国で受け容れられる(高齢化のトップランナーのポジションを活かすべき)という楽観的な見方もできる。

例えば、韓国は、日本を上回るスピードで少子高齢化が進んでいる。中国は、「一人っ子政策」のために一気に高齢化する(人口統計をどこまで信用できるかわからないが)。中国の人口に高齢化率を掛け合わせると、高齢者の数は、なんと「3億人」となる。「高齢者だけでなく誰にでも優しい=日本の標準」が、アジア諸国で受け容れられる可能性は高い。
アジア諸国は、これからも経済成長を続ける。日本の厳しい消費者に鍛えられた製品やサービスは、アジア諸国に輸出できるはずである。「優しさ」の実現には地道な積み重ねが必要だし、簡単にはコピーできない。しかも、社会のあり方が違う欧米の企業には負ける気がしない。日本経団連は、「介護ロボット」などと小さいことを言わずに、日本の企業をあげて新たな「日本の標準」をつくりあげよう!と提言して欲しい。

なお、「欧米の社会のほうが先進的で、バリアフリー化が進んでいる」というのは、大きな誤解である。
ヨーロッパを訪れたことがある人ならわかってもらえると思うが、200年から300年ほど前の石造りの家は残っているし、石畳の道は狭くて、そこらじゅうに階段がある。しかし、そのような社会インフラの整備状況であっても、なんと車いすで外出できてしまう(しかも1人で)社会なのである。それは、ちょっと困っていると、至るところから手が出てくるし、困っている人がいたら助けること・助けてもらうことが自然だからである。
日本では、家も道路も段差を無くし、困ったときに助けを求めなくても済むようにと外出支援のサービスを利用できるようにした。視覚障害者が困らないようにと、至るところに点字を貼り付けた。このソフトウェアとハードウェアのアプローチの違いが、いずれ独特の「日本の標準」をつくりあげ、世界に受け容れられる土壌となる(ヨーロッパでは奇妙に思われるかもしれないが)と考えられるからである。

例えば、介護保険サービスを提供するための基本情報や提供記録をコンピュータで管理して、必要に応じて共有できるようにして...といったITシステムは、ヨーロッパではほとんどみたことがない。コミュニティが小さいので、そのような仕組みがなくても何が必要なのかわかっているし、人数が少ないのでITシステムの助けは要らない。話し合う時間もたっぷりある。このヨーロッパのモデルをアジア諸国に持ち込もうとすると破綻するだろう。中国の潜在的な市場規模は「3億人」で人口が違い過ぎる。しかも、都市部になると人口は密集しているし、コミュニティのあり方も、宗教観も違うからである。日本のモデルのほうが親和性が高そうである。


《追記》
10月19日~25日の視聴率トップ(関東地区)は、なんと「サザエさん」の21.7%、「笑点」と「天地人」が20%台で続く。日本の社会は大きく変わりつつある。

「安心で信頼できる社会保障制度の確立に向けて」 その3

2009年10月28日 10時20分44秒 | 情報化・IT化
昨日の医療に続き、介護分野のIT化について考えてみたい。
「高齢者にとっては、安心して住みなれた地域での生活を継続できるよう、利用者や地域の介護ニーズに即した多様な選択肢を備えた介護サービスの提供を着実に推進する必要」があり、さらに「民間活力を活かしつつ、医療・介護が連携した地域ケア体制を整備すべき」と書かれている。

誰もが住みなれた地域での生活を望むだろう。しかし、その望みが叶えられるとは限らない。
これから都市部の高齢化は急激に進み、今日の「高齢化のイメージ」は大きく変わる。国道交通省がまとめた「2008年度首都圏白書」によると、関東8都県の65歳以上の高齢者人口が2015年には1078万人に達する(2005年比で42%増)。
さらに10年先には、後期高齢者となり、医療や介護を必要とする人が急増する(しかも、高度成長期につくられたベッドタウンに集中して)。首都圏には、数百万人が入院したり、入所できるような施設はない。遠い未来の話ではない。あと10年・20年先には、現実になる。これからの「高齢者問題」は、過疎地の問題ではなく「大都市の問題」なのである。中部圏や関西圏も同じ「問題」に直面する。

ぼぼ間違いなくやってくる未来に対して、現在の我々にできることは何か。今から準備を始めたとしても間に合わないかもしれない。そのような「問題」である。

高齢者が入所できる施設を大量に整備するという「今日的な考え」は却下されるだろう。1000万人といえば、推計人口の4人に1人である。それだけの人数を「施設に任せて(隠して)、問題を解決したことにする」はありえない。また、多くの高齢者は「住みなれた地域での生活を継続すること」を望むだろう。
そうなれば、解決する方法は、「住みなれた地域や自宅で、必要な医療や介護のサービスを使って、自立した生活をおくること」しかない。つまり、この意見書にあるように「民間活力を活かしつつ、医療・介護が連携した地域ケア体制を整備すべき」であり、しかも、それに大至急取り組まなければならないということである。

かねてから、「保健・医療・福祉の連携」の必要性は唱えられてきたし、何度も実証事業などで取り組まれてきた。しかし、一部の地域を除いて、ほとんど頓挫している。理念としての必要性は理解できるが、現実には、連携などできるわけがないと諦めている感もある。医師は医師の言葉で、看護師は看護師の言葉で話すし、その言葉を福祉・介護の専門職は満足に理解できない。逆に、福祉・介護の専門職が利用者の気持ちに寄り添い、ようやく言葉にしたことを医師や看護師は理解できない。その人の生活や人生の「重み」がわからない。根底に持つ価値観や役割認識、利用者(の生活)に向かう姿勢の違いが、コミュニケーションを阻害しているからである。

しかし、あと10年・20年先には、そのようなことは言っていられない。医師がいくら頑張っても利用者(患者)の生活の全てをみれるわけがないし、福祉・介護の専門職がいくら頑張っても医学的な知識を身につけることはできない。一刻も早く多職種間のコミュニケーションの問題を解決し、どの地域でも必要な「地域ケア体制」を確立できるようにしなければならない。

コミュニケーションの問題の解決に目処が立ったら、その上にITシステムを乗せることになろう。自宅で暮らす高齢者を見守り、生活を支えるためには、その何倍もの社会資源が必要になる。しかし、それでは、首都圏の人口の半数が、「高齢者関連(本人を含む)」となる。都市としての「東京」の魅力は大幅に後退してしまう。
少ない社会資源で、医療や介護を必要とする高齢者の生活を支えるためには、徹底した効率化を進めなければならない。そのためのツールはITシステム以外にないだろう。医療や介護のサービスを提供したら記録に残す。残した記録をチームで共有する。本人や家族と支援の方向性を話し合う。このような専門職を支援するITシステムは、今日の技術で十分に構築できる。
技術的な問題があっても解決するのは容易である。まず解決すべきは、コミュニケーションの問題と、保健・医療・福祉の専門職の「意識」の問題である。

「安心で信頼できる社会保障制度の確立に向けて」 その2

2009年10月27日 10時05分18秒 | 情報化・IT化
先日に続いて、「ICTを活用した効率的な医療提供体制の基盤整備」について考えてみたい。
レセプトオンライン請求の義務化に続いて、「医療情報のデータベースの構築やネットワーク化などをさらに推進していく必要がある」としている。

レセプトは、基本的には、審査支払機関である47の国保連合会と支払基金を通って医療保険者に渡るので、そこで必要なデータを収集すれば、日本でなされる医療行為のほぼ全てをデータベース化できる。うまく使えば、疾病ごとに一般的に採られている行為が何なのか、要する医療費はどれぐらいかなどを導き出せる。
このデータベースは、診療報酬の包括払い化を進めるものだとか、アメリカのマネージドケアのように医師の判断が軽視され患者に不利益をもたらすものだと反対する声が大きかった。
また、このブログでも書いたように、レセプト病名には多くの虚偽があり、信用できない。わざわざ、キーボードから入力した「ワープロ病名」も多く、データの質は低い。根底には、分析されることへの反発があるのだろうが、質の低さは、「標準的な医療行為」が何であるのかを見えなくし、「標準的な医療行為から外れるべき要件と選択の幅」も不明なままとしてしまう。つまり、データを活用できなくすることで、自ら医療の質を落としているとも考えられる。

レセプトは「請求書」なので、本当の病名も書いてない(詐欺と言われても反論できないだろう)し、治ったのか、病院を変えたのか、引っ越したのか、亡くなったのかもわからない。質が低いレセプトデータベースを分析するぐらいなら、診療録(カルテ)を分析すべきとの意見もある。しかし、日本の多くの医師にとっては、診療録は、「医師である自分の創作物」で、いかに匿名化するとしても院外に持ち出すなど、ありえないし、自分さえ読めればよいのだから、綺麗な字で書く必要もないものである。電子カルテの導入にも反対しているので、ほとんどが紙で管理されている(医師が電子カルテの導入に反対する理由は「メリットがない」である。しかし、患者にとって、診療録が電子化され持ち運べるようになることは、大きな「メリットがある」。医師は、自分の損得だけから反対すべきではない)。
これでは、先に進むことはできない。

結局のところ、日本の多くの医師の「意識改革」なくして、質の高いデータベースの構築は無理である。

また、データベースを構築できたからといって、分析できるとは限らない。
例えば、介護保険制度は、制度のスタート時から、要支援・要介護認定のためのデータ(心身の状態像と要介護度)も、介護保険のレセプトのデータ(利用したサービスの内容と量)も全て蓄積されている。2つのデータば、個人情報への配慮から、あえて別々の機関が保有し、突合できなくしているが、その気になれば、分析用のデータベースをつくり上げることはできる。
介護保険のIT化は、医療保険のIT化のずっと先を行っている。介護分野では、「そのデータベースから見えてくるものがあるのだろうか」、「制度・政策に、あるいは介護の現場に提供できる何らかの発見があるだろうか」といった「分析の視点や考え方」をしっかり論議するフェーズにある。
問題は、技術的な準備ができているにも関わらず、その機運が盛り上がらないこと、「福祉・介護の情報化・IT化」への関心が低すぎることである(医療に比べて福祉・介護は「遅れている」との誤解も根強い)。

医療情報のデータベース化のフェーズは、ずっと手前。そのため、データベース化できれば、すごいことができるとの「夢」をみることができる。しかし、それは「夢」に過ぎない。先行する介護保険の「停滞」から学ぶべきことは多くある。

「安心で信頼できる社会保障制度の確立に向けて」 その1

2009年10月26日 10時24分10秒 | 情報化・IT化
日本経団連から、「安心で信頼できる社会保障制度の確立に向けて」が公表された。数回に分けて、気になることを書いていきたい。

日本経団連
安心で信頼できる社会保障制度の確立に向けて
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2009/083.html

全体的に現政権が目指す方向を意識した書き方になっているが、今からも伸びていく社会保障費の財源として「消費税」を充てようという提案である。日本経団連は、企業の集まりなので、消費税に付け替えを進めることで「社会保険料の事業者負担を増やしたくない」との考えなのだろう。また、現在は「封印」されているが、消費税の引き上げは避けられない。「消費税を主たる財源として社会保障費用を賄う方向での歳入改革を行う必要がある」のように、消費税を目的税化するのも現実的な選択肢といえる。

現状の認識に異論はないが、「ICTを活用した効率的な医療提供体制の基盤整備」は、どうだろうか。
このブログでも書いたが、「2011年度からのレセプトオンライン請求の義務化」と「医療情報のデータベースの構築やネットワーク化など」は、進めるべきことである。その理由としては、紙とデータを何度も変換する非効率さ・無駄は一刻も早く解消すべきであり、レセプトをしっかり審査することで「違法な請求」を無くすことができるからである。
同時に、日本医師会からの「強い要望」によりできなかったことに切り込むべきである。例えば、審査支払機関では「縦覧点検」ができないことになっている(要確認)。縦覧点検とは、数ヶ月分のレセプトを並べて「違法な請求」を探すことである。縦覧点検がなされていないから、先月と全く同じレセプトを出しても通ってしまう(医学的にありえない行為であっても)。しかも、保険者には「紙」のレセプトを渡しているので、保険者側で縦覧点検しようとすると、それをデータ化しなければならない。コストに見合わないので取り組めない。

これでは、審査支払機関や保険者に「違法な請求」を探させないように、自民党の「族議員」を使って「圧力をかけていた」としか思えない。日本医師会は、このような「誤解」を払拭するためにも、「保険者機能の強化」に積極的に協力する姿勢に転じたほうがよいだろう。


日医、執行部に批判集中 新政権発足後初の代議員会
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20091025AT3S2501625102009.html

日本医師会(日医)は25日、全国の代議員が集まり、民主党政権発足後初の代議員会を開いた。会合では衆院選で自民党を支持した唐沢祥人会長に「責任を取って退陣する考えはないか」(奈良県の大沢英一代議員)など批判が集中する大荒れの展開になった。

中医協:日医を除外…長妻厚労相が委員6人を新任
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091027k0000m010088000c.html

自民党を伝統的に支援してきた開業医中心の日本医師会(日医)の代表委員は全員除外した。長妻氏ら政務三役は日医がこれまで自民党を支援する代わりに、診療報酬の改定に強い影響力を行使してきたと判断。代わりの委員に、地方医師会や大学病院から起用した。

これらの記事をみるまでもなく、日本医師会と同様に、日本経団連も変わるべきである。

政権交代により「しがらみ」が無くなったのだから、レセプトのオンライン化に加えて「審査支払機関=保険者機能の強化」に積極的に取り組むように提案してはどうだろうか。医療費の無駄と不正を無くし、被用者保険の財政健全化につながるのだから、日本経団連にとって悪い提案ではない。

社会保障カードと国民電子私書箱は検討中止か?

2009年10月25日 10時04分38秒 | 情報化・IT化
昨日は、「社会保障番号」について書いたので、関連する「社会保障カード」について考えてみたい。

社会保障カードは、被保険者証の機能を合わせ持ったICカードで、医療機関などで社会保障カードをICカードリーダーにかざすと「医療保険証」となり、社会保険事務所では「年金手帳」になる。ICカードの中には大したデータは格納されておらず、「中継データベース」を通して、保険者がもつデータを取りに行くという構想である。
社会保障カードだけではインパクトが弱いので、IT戦略本部が検討を進める「国民電子私書箱(仮称)」のアクセスキーとして使うことが想定されている。例えば、自宅のPCにICカードリーダーを付けて社会保障カードをかざせば、医療保険者に蓄積される特定健診・特定保健指導の結果や年金の納付記録が表示されるというものである。
社会保障カードは、どうみても、ほとんど普及していない住民基本台帳カードの構想の焼き直し(失敗隠し)だし、国民電子私書箱の構想は、長妻大臣が「年金通帳」の構想を打ち出した時点で先が見えなくなってしまった。

旧聞になるが、財務省が公開している「平成21年度第1次補正予算にかかる事業のうち執行を見直す事業」をみると、内閣府の事業「国民電子私書箱(仮称)・次世代ワンストップサービス関連事業」の全額が執行停止・返納見込となっている。現政権に「不要不急の事業」と位置づけられたならば、今後の予算化と推進は難しくなるだろう。

財務省
平成21年度第1次補正予算にかかる事業のうち執行を見直す事業
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h21/sy211016_b.pdf

日経ニューメディア
[速報]総務省補正予算の見直し,携帯,クラウドなど情報通信関連の削減額判明
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20091016/338944/?ST=govtech

国民がインターネット経由で証明書発行や行政の手続きができるシステムの構築を目指す「国民電子私書箱関連ネットワーク基盤確立事業」(予算30億円),「新しい公的個人認証システムの開発実証」(予算77.9億円),「情報通信研究機構における省エネルギー対策推進」(予算35億円),地上テレビジョン放送のデジタル化によって空くVHF帯の一部を使う自営通信の「公共ブロードバンドシステムの早期導入のための実証実験」(予算19.3億円)は全額削減された。


このブログで紹介したように、社会保障カードの実証事業は、規模を縮小して実施に移されるようである。しかしながら、社会保障番号の議論を避けるために、「社会保障カード番号」を使おうなどという中途半端な構想では、国民電子私書箱と同じ運命を辿りそうである。


厚生労働省
社会保障カード(仮称)の基本的な構想に関する報告書について
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/01/s0125-5.html
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/03/02.html

IT戦略本部
電子私書箱(仮称)構想の実現に向けた基盤整備に関する検討会
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/epo-box2/index.html


もし、現政権により、社会保障カードと国民電子私書箱の構想が中止されるならば、「国民が1人1枚のICカードを持ち、インターネットを使って、自宅から行政のホームページにアクセスし、何らかの手続きをする」という構想が、なぜ国民に受け入れられなかったのかを振り返り、研究=壮大な社会実験の成果として後世に残すべきである(もちろん、住民基本台帳カードを含めて)。
個人的な印象だが、日常生活をおくる上で、「国に申請しなければ」と思うことはないので、そもそもの電子政府・電子自治体のニーズがない。ニーズがないのだから住民基本台帳カードや公的個人認証は要らない。ゆえに特別なハードウェア=コストが要らない仕組み(ITシステム)にすべき、ということだろう。

被保険者証をカード化するとしても表面に2次元バーコードを印字すればよい。社会保障カードは、それで十分である。

税制と社会保障制度の一体的な改革に向けて

2009年10月24日 10時39分42秒 | ベーシックインカム
このブログでは、社会保障制度をいかに改正するかについて考え、改正の方向性が示されたら、それがどのような意味を持つのかを考える場として立ち上げた。政権交代により、日本の社会が大きく変わるかもしれないとの思いからである。
しかしながら、ベーシックインカムの導入による「税制と社会保障制度の一体的な改革」の可能性を考えるためには、新たな領域について相当に勉強しないと、まともに議論できそうにない(昨日のコメントに触発されたこともあり、私なりに考えていきたい)。

そこで、今回は、「納税者番号制度」について調べてみたい。

財務省のホームページに、「納税者番号制度に関する資料」が掲載されている。

財務省
納税者番号制度に関する資料(平成21年4月現在)
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/nouzei.htm

わかりやすい資料が、「納税者番号制度のしくみ」と「納税者番号制度として求められる基礎的条件」である。
簡単にいえば、全ての国民に「納税者番号」を付与し、納税申告書と情報申告書にその番号を記載する。そうすることで、税務当局は、番号を使って機械的に名寄せできるようになる。もちろん、そのためのITシステムを導入すれば、事務を大幅に効率化できる。
また、納税者番号と住民基本台帳番号が紐付けられ、住民基本台帳ネットワークから「世帯データ(住民基本台帳番号のセット)」を取得できるようになれば、「世帯」で所得を合算できるようになる(ただし、住民基本台帳上の「世帯」であり、実際の世帯とは違うかもしれない)。
世帯で所得を合算できることには、どのような意味があるのだろうか。例えば、定額給付金は、所得によらず全ての国民に一律に給付した。これは、世帯の所得の把握が簡単にはできず、「所得が一定額以下の世帯」に重点的に給付することができなかったからである。
「ベーシックインカム」や「負の所得税」の議論を現実的なものにするためにも、納税者番号の議論は避けられない。

基礎的条件をみると、住民基本台帳番号ではできない「民間利用が許容され」と書かれている一方で、「番号を付与した後の住所・氏名等の異動を管理できる」など、住民基本台帳ネットワークとの連動を想定したことも書かれている。
財務省は、住民基本台帳番号とは紐付けできる独自の番号として「納税者番号」を付与していきたい、ということだろう。

住民基本台帳番号を中心に、納税者番号と社会保障番号(基礎年金番号や医療保険や介護保険の被保険者番号を紐づける)が独自の番号として国民一人ひとりに付与される。万が一、どれかの番号が漏れた場合には、新たな番号を付与して紐付けデータを書き換えるといった仕組み=ITシステムが構築されるのだろうか。
1つの番号を使いまわすよりも、国のセンターに問い合わせれば、「納税者番号→(住民基本台帳番号)→社会保障番号」、「社会保障番号→基礎年金番号」といった番号の取得が必要に応じてできる仕組みのほうが安心といえば安心である。

住民基本台帳番号は総務省、納税者番号は財務省、社会保障番号は厚生労働省。調整は簡単ではないが、「政治主導」で議論を進めていただきたい。

「ベーシックインカム」と「負の所得税」

2009年10月23日 10時27分51秒 | ベーシックインカム
これから2025年に向かって少子高齢化が進むと考えると、現在ですら危うい社会保障制度は、抜本的な「大手術」が不可避になるだろう。国民は既に気づいている。中小の医療保険者を地域単位で再編したり、年金記録問題の解決に取り組んで「国民の信頼」を取り戻そうとしたりといった「延命を目的とする治療」では、国民の「将来への不安」は払拭できないだろう(延命に延命を重ねて、2045~50年を乗り切れるなら良いのだが)。

昨日、紹介した「ベーシックインカム」は、最低限の生活に必要な額=ナショナルミニマムを決めて、「国民一人あたりいくら」と、無条件で給付する制度である。例えば、仮に「1人あたり月6万円」とすると、1家4人だと月24万円の給付。誰が働いていくら稼いでいるかは問わない。その代わりに、失業保険や生活保護、生活保護、各種手当などの制度が大きく見直される(置き換えられる)。稼いだ所得にかかる税金は増えるが、社会保険料や住民税などは減る。手取り額は大きく減ることになるが、毎月の給付額が加わるので、相殺すると従前とそれほど変わらない、という制度ができるかもしれない。
この制度の良さは、国が最低限の生活に必要な額を保障することで「将来への不安」を払拭でき、思い切ったチャレンジができるようになること(真のセーフティネット)である。ただし、勤労意欲を削いで社会の活力を損なうかもしれないし、世帯主が稼いで家族を養うモデルが崩れていくかもしれないといった副作用がある。

対して、「負の所得税」は、国民の平均的な生活に必要な額=シビルミニマムを決めて、その額より所得が下回れば、所得税がマイナスになる。つまり、その差額を給付する制度である。例えば、その額を「年収250万円」とすると、年収が200万円なら、その差額の50万円に比例した額が給付されて、手取りが増える。その分は、年収が250万円を上回る人の所得税から回されるので、年収300万円の人の手取りは減る。国民全体の手取りの幅がぐっと狭まって「貧富の差」が小さくなり、相対的貧困率は改善される。
年収が0円の「負の所得税額」をナショナルミニマムの額、(仮に)6×12ヶ月=72万円を扶養者数だけ給付するとすれば、「ベーシックインカム」の制度とうまく接合できるかもしれない。

ただし、この制度の最大の難関が、正確な所得の補足である。「ガラス張り」のサラリーマンに対して、自営業者の所得は、いかようにもなるほどの甘さである。「本当の所得」はいくらなのかをきっちりと調査し、「税を免れるだけでなく給付までもらおう」とする人たちを逃さないようにしないと、不公平感が増す。
所得を補足するためには、国民1人ずつに「納税者番号」を付与する必要があり、現実的な方法として、住民基本台帳番号を使えばよいのでは、ということになる。
基本4情報を管理する住民基本台帳ネットワークの導入にあれだけ反対があったのだから、国が所得を補足するための新たなネットワークシステムを構築するとなると、前回の比ではない反対運動が起こるだろう。
この制度は、有力な選択肢の一つではあるが、国民の理解を得るのは容易ではない。また、得られる効果に対して、事務に要する費用が大きすぎるように思える。

「ベーシックインカム」の導入に向けた国民的な議論が始まれば、民主党が「これからの日本を考え、社会のあり方を変えようとしている」と伝わるのではないだろうか。

国民7人に1人が「貧困」、相対的貧困率15.7%

2009年10月22日 10時32分38秒 | ベーシックインカム
厚生労働省が20日に初めて公開した「相対的貧困率」は、15.7%、実に国民7人に1人が「貧困層」ということになる。 しかも、これは「世界同時不況」前の2006年の数値なので、現在は、さらに悪化しているだろう。
なお、ここでいう「貧困層」は絶対的な貧困ではない。しかし、国民生活基礎調査で「生活が苦しい」と答える世帯が増加していることからも、「一億総中流」時代に機能していた社会保障の制度は、機能不全を起こしていると考えられる。

相対的貧困率の調査とその結果の公開は、今回が初めてである。国民的な議論になることを恐れ、あえて目をそらしていたとも考えられる。今回、公開したことで、国は、社会保障の柱である「国民皆保険制度」がもはや崩壊していると認めざるを得なくなり、公的扶助=生活保護制度を含め、制度の枠組みからの見直し論議を始めなければならなくなる。民主党は、この事態を想定して、「負の所得税(給付付き税額控除)」や「ベーシックインカム」をかねてから検討していた。

「負の所得税」とは、所得が基準額以下の場合、その差額を「給付」しようというものである(所得税がマイナスになる)。「ベーシックインカム」は、最低限の生活に必要な額を「給付」しようというものである。これらの制度の導入で、すべての国民が最低限の所得を得られるようになり、公的扶助=生活保護制度の大部分を代替・補完でき、スティグマも払拭できる。いわゆるワーキングプアの問題や国民年金の給付額が生活保護の受給額を下回る、生活保護の漏給による悲劇などといった問題も解決する。
ただし、これらの制度を導入するためには、所得を確実に補足する制度が必要になる。具体的には、「納税者番号」と「社会保障番号」をセットで導入し、社会保障制度を根底からつくり直すぐらいの覚悟が必要となる。どれぐらいの「つくり直し」かといえば、例えば、「ベーシックインカム」が導入されたら、失業保険や国民年金=最低保障年金の制度は不要。厚生年金は、任意加入に切り替えて個人勘定化すればよい、となる。制度によっては、根幹からの見直しとなる。

現金給付の基礎部分を「ベーシックインカム」に切り替え、その額に上乗せして給付する加算の制度と現物=サービスを給付する制度に再編できれば、社会保障制度は、かなりすっきりする。

ただし、所得を確実に補足するために「国民総背番号=納税者番号」を導入するとなると、社会保障制度に閉じた議論では済まなくなる。相対的貧困率の公開から始まるであろう、国民的な議論を注視していきたい。

<貧困率>06年時、日本15.7% 先進国で際立つ高水準--政府初算出
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20091020dde001010069000c.html