制度改正Watch

自立支援法・後期高齢者医療制度の「廃止」に伴う混乱を防ぐために

第2回障がい者制度改革推進会議にて、「障害」の定義などを議論

2010年02月03日 09時45分01秒 | 自立支援法・障害
内閣府は、2日に「障がい者制度改革推進会議」の第2回会合(主要議題:障害者基本法など)を開いた。先月の初会合で会場に入れない傍聴希望者が多く出たことから、インターネットなどを使って会議の様子が配信されることになった。
リアルタイムで配信された映像・音声を使い、全国各地で「傍聴する会」が開催されたほか、その映像・音声は、内閣府のホームページに置かれているので、オンデマンドで確認できるようになっている。

推進会議開催状況 動画配信(第2回)
http://wwwc.cao.go.jp/lib_05/video/suishin1.html

配布資料に加え、推進会議の模様が映像・音声で残されていくので、後からの検証も容易になるし、情報を完全公開することで決定の透明性を担保できるようになる。国の検討体制に参加できなかった団体などにも推進会議の模様が臨場感をもって伝えられるし、ヒアリングやホームページなどを使って意見を伝えることで、仮想的ではあるが参加できるようになる。このようなITを活用した情報の提供と収集(双方向)による参加は積極的に進めるべきだし、他領域に先んじて様々な試みがなされていることは高く評価できる。これが国民生活に関わることを検討するにあたってのスタンダードになれば、と思う。

話し合われたことは、障害者基本法の基本的な性格、障害の定義、差別の定義、基本的な人権の確認と障害者権利条約の批准後のモニタリング、障害者に関する基本的な施策など。
第2回会合のポイントは、障害の定義に関わる議論。このブログでも取り上げてきたが(正しく理解できているか、伝えられているか自信はないが)、障害者が困難に直面することを個人の心身の機能などに求める「医療モデル」から、それらが社会的な活動や参加の障壁となっている、障害があるのは社会の側で、社会に対して障壁を取り除くように要請する「社会モデル」に転換し、障害の定義に盛り込むべきとの意見が多く出されたこと。
第2のポイントは、差別の定義に関して、障害者基本法に「障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」と書かれているけれども、「権利利益を侵害する行為」の具体性に欠けているとの指摘。「直接差別」「間接差別」「合理的配慮を行わないこと」の差別の3類型が含まれることを明記すべきとの意見が出されている。

障害者基本法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S45/S45HO084.html

次回開催は、2月15日の予定。、「障がい者総合福祉法」(仮称)をはじめ、障害者自立支援法や障害者の雇用などについて話し合われる予定。それまでに配布資料を読み込み、映像・音声で様子を確認することにしたい。

障害者の定義を「社会モデル」へ―制度改革推進会議
http://news.goo.ne.jp/article/cabrain/life/cabrain-26176.html

<障害者基本法>抜本改正で推進会議一致 差別禁止法制定も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100202-00000129-mai-pol

障がい者制度改革推進会議が初会合、夏頃までに基本方針を取りまとめ

2010年01月14日 09時43分11秒 | 自立支援法・障害
内閣府は、12日に「障がい者制度改革推進会議」の初会合を開いた。この推進会議は、鳩山首相を本部長とする「障がい者制度改革推進本部」の下部組織で、メンバー24人のうち、14人は障害がある人やその家族。自立支援法が当事者不在のまま検討が進み、法案成立時には気づかなかったことに施行直前になってようやく気づき、抗議が広がったことへの反省からの当事者参加となった。
障害者施策を担当する福島大臣が「改革の具体的な検討を進めていくための、いわばエンジン部隊」との位置づけを表明するなど、まずまずのスタートである。

当面の方針として、今年の夏頃までに自立支援法を「廃止」した後の制度の骨格を示すこと、障害者の差別を禁じた障害者権利条約を批准するための法整備を目指すことなどが明らかになった。具体的には、障害者基本法を抜本改正すること、自立支援法を廃止して「障がい者総合福祉法(仮称)」に改正・改題すること、障害を理由とする差別などの禁止を定めた法制度を検討することの3点である。また、障害者の教育や雇用などについても議論していくことになった。

内閣府参与の東俊裕室長(事務局トップ)が提示した論点は、障害者制度の基本的な在り方、差別の禁止、虐待の防止、教育、情報の入手・利用、地域社会での自立した生活、保健医療など100項目近く。議論すれば簡単に解決策がみつかるものばかりではない。論点のなかには、いくら議論を重ねたとしても出口が見つからないものも、多様な障害当事者の全てから同意が得られるような解決策が見つからないものもあるだろう。当面5年間とされる改革の集中期間は、あっという間に過ぎ去ってしまいそうである。
論点として、すべてを洗い出すことは大事なことである。網羅性を確保できるし、これだけの課題が山積しているとアピールできる。しかし、重要度と優先度が高いもの、具体策を講じられるものなどの基準を設けて絞り込まないと、議論を繰り返すばかりで何も決められない、貴重な時間が過ぎ去り、実際に困っている障害当事者に必要な支援を届けることができない(遅れる)ということになってしまいかねない。かといって、対症療法的・パッチワーク的な対策では、推進会議で議論する意味がない。(おそらく、このようなことをわかってのうえでの約100の論点の提示だと思うが)現実的なアジェンダのセッティングをお願いしたい。

山井政務官(厚生労働省)からは、自立支援法の違憲訴訟を巡って7日に原告団・弁護団と基本合意に至ったことの報告があった。具体的には、住民税非課税世帯には利用者負担をさせないこと、介護保険の優先原則を廃止すること、実費負担を早急に見直すことなどの原告からの要求事項を厚生労働省が検討していくことである。今後は、当事者が参加して十分に議論し、新たな制度に移行するまでの間の措置を講じていく方針も明らかにされた。ただし、今回の内閣府が開催する推進会議などでの議論と、厚生労働省でなされる議論との関係性が十分に整理できているとは思えず、2つの検討結果を合わせ読んで、今後の動きを追いかけなければならなくなるだろう。

「障がい者制度改革推進会議」が初会合-夏めどに基本方針
http://news.goo.ne.jp/article/cabrain/life/cabrain-25879.html

なお、推進会議は、月に2回程度のペースで開催される。事務局の資料準備は大変だろうが、これだけの期待が集まっているのだから、頑張っていただきたい。また、傍聴のために内閣府まで行かなくて済むように、会議の模様をインターネットで配信することになった。詳細が判明したら、このブログでも紹介したい。

障がい者制度、改革会議が初会合 障がい者や家族も参加
http://www.asahi.com/politics/update/0112/TKY201001120481.html?ref=goo

「障がい者制度改革推進会議」の初会合に先立って、基本的な考え方が明らかに

2010年01月11日 09時37分30秒 | 自立支援法・障害
毎日新聞の報道によると、12日に「障がい者制度改革推進会議」が開催され、「障害の定義」の見直しについての議論を始めるとのこと。このブログは、自立支援法の「廃止」に伴う混乱を防ぐことを目的に立ち上げたが、あまり関連する報道がなく、十分に考えることができていない。推進会議の会合が始まるので、多少は情報が増えてくると思われるが、しっかり追いかけていきたい。

「障害の定義」を「医学モデル」から「社会モデル」に転換する方針だと報じられている。「医学モデル」を「医療モデル」、「社会モデル」を「生活モデル」と置き換えれば、社会福祉学を学んだ人たちに馴染みのある考え方である。1ヶ月ほど前に、このブログで取り上げた時には、「国際生活機能分類」を紹介した。この考え方をわかりやすく説明することは未だ難しいが、これで世界的な標準にようやく追いつくことができると考えるべきだろう。詳しくは、厚生労働省のホームページを辿って確認していただきたい。国際生活機能分類は、人間の生活機能と障害の分類法として、2001年5月、世界保健機関(WHO)総会において採択された(厚生労働省による日本語訳とホームページの公開は、2002年8月)と書かれている。10年間かけて、ようやく... ということである。

障害者:政府が定義見直し 「社会の制約」考慮
http://mainichi.jp/select/today/news/20100111k0000m010108000c.html

誤った理解を広めないようにしなければならないが、自分自身の理解を深めるために書いてみたい。例えば、車椅子を使う人がいるとする。「医学モデル」は、その人の下肢に障害があり、その原因は、... と考える。つまり、障害の理解は、その人の心身の機能が中心である。対して、「社会モデル」は、車椅子を使うからという理由で、行けない場所があるし、参加したくても参加できないことがある。就職や結婚など、様々な場面で不利になる。ゆえに、車椅子を使うことは、車椅子を使わなければならないこと=ネガティブなことであり、それが障害だと考える。つまり、障害は、社会参加を難しくする社会の側にあり、その人の下肢の障害は、障害理解の一つとして組み込まれるという考え方である。

毎日新聞によると、障害者は「社会参加に支援やサービスが必要な人」との考え方を基に、一人一人の経済状況や住環境などを踏まえて障害者として認定する定義のあり方を検討する、としている。確かにそのとおりだが、極論すると、誰からの支援を必要とせずに社会参加できる人などいない、ともいえる。どこでどう線引きするかが大きな課題になりそうである。
また、検討するにあたって明確に区別しておくべきことがある。ここまで書いてきた「『障害者』とは誰のことなのか」の定義と、「社会参加を目的とする公的な支援やサービスを必要とするのは誰なのか。その量をどれぐらいにすれば、社会的に衡平かつ公平といえるのか」の2つの定義である。前者においては、理論的なモデルのため、極論すれば、国民の全てが障害者であるとしても構わない(生まれたばかりの頃は、家族の支援なしに生きられない。また、死ぬ前もそうである)。この理解の上で、障害者を支援するための公的なサービスを利用できるのは誰なのか、その線引きをどうするのかを現実的に考えていく必要がある。まさか、国民の全てが障害者なのだからフリーアクセスで、税金をどんどん注ぎ込むので使い放題に、とはできないだろう。
推進会議では、理論的なモデルの検討と定義から入っていくことになる。それに並行して、障害者自立支援法などで提供しているサービスや障害程度区分をどう再定義するか、限られた社会資源をどう割り当てていくか、利用者であり負担者でもある国民の理解をどう得ていくのかを考えていかなければならないということになる。

「障がい者制度改革推進本部」が初会合、でも福祉的な理解は不十分?

2009年12月16日 10時06分06秒 | 自立支援法・障害
障害者福祉政策を見直し、障害者権利条約の締結に必要な法整備を目的とする「障がい者制度改革推進本部」の初会合が開かれた。

障がい者制度改革推進本部
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/kaikaku.html

障害者支援の法整備議論=推進本部が初会合
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-091215X574.html

位置づけとしては、全閣僚で構成する「障がい者制度改革推進本部」(本部長・鳩山由紀夫首相)があり、その下に「障がい者制度改革推進会議(仮称)」が設置されるとのこと。推進会議のメンバーの半数以上が障害者や障害者団体の幹部とすることなどとされていることから、このブログで1週間前に取り上げた「制度改革推進委員会」と思われる(まだ名称から「仮称」がとれていないようだし)。
どのような議論がなされるかをみてから評価すべきだが、最初から上滑りしそうな感がある。本部長として、鳩山首相は「推進本部の『障がい』の害はひらがなで、このこと自体意味がある」と述べ、推進本部の設置根拠の3に

「障害」の表記の在り方に関する検討等を行う。

と示されている。これは先週末に「チャレンジド」としてはどうかと報じられたこととつながる。

首相、障害者権利条約締結に努力 「チャレンジド」に変更も
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009121101000888.html

これでは、障害をどう捉えるかという本質的な議論なしの「言葉遊び」であり、先が思いやられる。「障害」という表記の在り方を検討するならば、そもそも障害とは何なのか、キリスト教の価値観が基礎にある人たちにとって「チャレンジド=チャレンジする人」と表記することの意味を考えるべきであり、「Challenged」を「チャレンジド」とカタカナ表記にして、障害の意味を何となくごまかしてしまったり、それらしく振舞ってしまうようでは、本末転倒。障害の意味をわかったうえで「障害者」と表記して書かれた文章と、障害のことを何もわかっていない、差別的な価値観が基礎にあるけれども「チャレンジド」と表記して書かれた文章とでは、どちらが罪が重いのか。表記を変えても、その意味が理解されていないようでは「言葉遊び」に過ぎない。言葉に魂をこめるには、相当な理解が必要となる。「障害」という言葉を軽く考えてはならない。

そもそも障害とは何なのだろうか。
やはり、基本に戻って理解を深める必要があるだろう。

「国際生活機能分類-国際障害分類改訂版-」(日本語版)の厚生労働省ホームページ掲載について
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html

この文章を読んでも、真の意味を理解することは難しい(誤って理解するのは簡単だし、専門知識のない普通の人たちの腑に落ちるように説明できる人に会ったことはない)。例えば、ICFの構成要素における、心身機能の障害=disableの一つを「障害」と表記してよいのだろうかという問題である。「視力に障害がある」は機能に障害があることを表す文章だが、そのことによって社会生活をおくるうえで大きな支障がなければ、それを「障害」とは言わないだろう(眼鏡をかければよい)。視力に何らかの障害があり、そのことによって社会生活に支障が生じることこそ「障害」なのであり、視力に障害がある人に対して「障害」と表記すべきではなく、その人を取り巻く社会環境に対して「障害」と表記すべきだし、「障害」と「障害者」を区別して考えるべき(色覚異常があると、就けない職がある)。
このように考えれば、何も考えずに「障がい」と「害」をひらがなで表記することが、本質的な議論と理解を削ぐ一因になりかねないこともわかっていただけるだろう(こう書いておきながら、私も自信がない。このブログを通して、「障害学」の理解を深めていきたい)。

これだけの難しさがあるのだから、閣僚レベルではまともな議論はできないだろう。法整備に向けた考え方など実務的なことは、下部組織に期待したい。
そもそも、厚生労働省は何をしているのだろうか。事業仕分けのブログ記事にも書いたように余計なところには口を出しているにも関わらず、きちんと概念提示しなければならない場では存在感がない。

障害者自立支援法の「廃止」に向け、「制度改革推進委員会」が発足予定

2009年12月08日 10時02分14秒 | 自立支援法・障害
高齢者医療制度の「廃止」に関する動きは、連日のように報じられているが、同じくマニフェストに「廃止」が掲げられている障害者自立支援法に関する動きは、ここしばらく何も報じられなかった。

毎日新聞が、久々に「障がい者制度改革推進本部」(本部長・鳩山由紀夫首相)の動きを報じている。「制度改革推進委員会」を設置すること、メンバー20人のうち11人を障害者や障害者団体の幹部とすること、制度・政策の議論に当事者が参加することなどを基本的な方針とするとのこと。これまで、制度・政策を検討するにあたっての障害当事者の関わりは限定的で、せいぜい「ヒアリング対象」だった(しかもアリバイづくり的に)。そのため、障害者自立支援法の成立時には何が決められたのかわからず、制度施行の直前になって抗議行動をおこさざるを得なかった。その反省から、制度設計の最初から障害当事者が参加できるようにし「政策決定のエンジン役」を担ってもらおうというものである。
この考え方は素晴らしいものだが、これから先は大変になるだろう。「障害当事者」といっても「一枚岩」ではない。制度改正の考え方に賛成の団体があると思えば、反対の団体もある。それぞれの団体がそれぞれの理念を掲げて活動しており、その理念に照らし合わせて賛成や反対の論理が組み立てられる。どちらが正しく、どちらが誤っているというものでもない(どちらも正しいというべきか)。そのため、論点によっては、妥協点を見出すことができないこともある。委員会のメンバーの意見が必ずしも「障害当事者」全員の意見を代表しているものではないということが最後の最後になってわかるかもしれない。
多くの困難は予想されるが、従前と比べれば、当事者が議論に参加できることだけでも、とても大きな前進である。この機会を逃すことなく、委員会などから示される「考え方」から何がどうなるのかを誰もがわかるように現実に照らし合わせて咀嚼し、当事者が真の意味の政策決定の「主体」となれるように支援すること(当事者のための制度・政策なのだから、当事者が決定するのは当然のこと)、委員会に賛成や反対の声、実現してほしいことなどの声を届けることが必要である。

<障害者>制度改革へ自ら政策立案 新組織のメンバーに
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091207-00000002-mai-pol

もちろん、障害当事者には、「政策決定のエンジン」の経験も知識もない。このブログでも書いているように、何かを実現しようと思うと、そのための財源を確保しなければならないし、そうするためには誰かが何かを諦めざるを得なくなる。訴えたことがそのまま通らないことも、理念的には納得できないとしても、現実解を受けいれざるを得ないこともある。これまで「障害当事者」は「厚生労働省」と何から何まで敵対したり、一方的な制度の押し付けと一方的な要求といった、良好とはいえない関係にあった。今回の「制度改正推進委員会」をきっかけに、すべての利害関係者が協力して推進できるような関係、対等に話し合えるような関係を目指していただきたい。


また、障害者自立支援法の「廃止」の考え方についても明らかになった。
具体的には、
・現行の応益負担を廃止し、所得に応じた応能負担とする
・制度利用の谷間が生じないように、対象に発達障害や難病、内部障害などを含める
・現行の障害程度区分を見直し、障害者の個々のニーズを反映する新たな認定方法とする
であり、廃止後の法律名は「障がい者総合福祉法」、合わせて「障害者虐待防止法」の成立と「障害者基本法」の改正を目指すというものである。

障害者自立支援法の廃止と新制度の創設、改めて明言

2009年11月02日 10時29分49秒 | 自立支援法・障害
障害福祉サービスの利用を原則1割自己負担とする障害者自立支援法の廃止などを求める大集会が開かれ、「政権1期の4年間で新しい制度を創設する」ことが改めて明言された。このタイムスケジュールは、年金制度改革と同じ。生活がかかる問題だけに、安易に「廃止」できないことから、応益負担から応能負担への変更などの自立支援法の改正・改題に取り組んでから、しっかり議論しましょうということだろう。

障害者に「新制度創設」と厚労相 1割負担廃止集会で
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/politics/CO2009103001000870.html?C=S

民主党は、障害者の範囲や定義を見直すとしてきた。ここ十数年の間に、障害の概念が大きく変わった。その変化に制度が追いついていないために「制度の谷間」が大きくなっている。今日では一般化しつつある「注意欠陥・多動性障害(AD/HD)」や「学習障害(LD)」、対人関係の障害などが自分にもあったのではないか、子どもの頃に支援があればもっとうまくやっていけたのではないか、と思う人たちも増えている。

新たな障害を制度に取り組んでいくにつれて、様々な制度やサービスにほころびが生じる。

例えば、障害年金には、20歳までに医師の診断を受けていて20歳に到達するか、20歳以降で年金保険料を納付していて障害の状態になるか、といった受給の要件がある。「制度の谷間」を埋めるために新たな障害が取り込まれたらどうなるのだろうか。一例だが、社会に出て働こうとしているが、うまくいかない。ひょっとして自分は「学習障害」だったのではないかと思ったとしても(学習障害がありながら社会人になった人たちへのサービスが整備されていなければ)何の支援も受けられないし、生活費に困ったとしても障害年金を受給できない。
「制度の谷間」は埋まったとしても、何の支援もサービスもないのでは意味がない、ということである。

子どもの頃は、障害として一般化していなかったために、医師の診断書がない。障害年金の受給要件を充たしていない。けれども、新制度において「障害者」として認められた人たちをどう支援すればよいだろうか。

一つの解決方法として、障害年金を新たに創設する最低保障年金に取り込むことが考えられる。障害認定を受けていれば、年齢に関わらず、最低保障年金を受給できるようにし、障害の程度に応じて上乗せの給付も得られるようにするのである(医師の診断書があれば、最低保障年金=月7万円と上乗せ額が受給できるとなれば、ちょっと怪しいのではという人たちも出てきてしまうだろう。不正受給を防止するために、本人はもちろんのこと、偽りの診断書を出した医師への罰則規定を設ければよい)。
未だ「新しい制度」の姿は見えてこないが、「所得の保障をした上で、生活を支援するサービスを利用する」ようにすれば、「応益負担」の考え方のままでもよいのではないだろうか。実質的には、「応能負担」になるような調整は必要だが、サービスを利用し、自立した生活をおくるために必要な年金を受給できるようにする(応益負担=自己負担額相当額を上乗せする)。サービス事業者とは対等の立場で契約し、利用したサービスの自己負担分を支払うようにする。こうすることで、契約に基づき、質が担保されたサービスを提供するように求める権利が明確になる(応益負担に変更して自己負担額が少なくなると、利用する権利の意識がどうしても弱くなる)。

自立支援法をいかに改正・改題するかを手始めに、障害者の生活をいかに支えるか、人として当然の権利をいかに守るかを大きな視点で考え、議論を尽くすべきだろう。

自立支援法の廃止はどうなる?

2009年10月11日 09時54分35秒 | 自立支援法・障害
厚生労働省絡みの話題は、まさしく「日替わり」である。
まず、大きなところで雇用問題がある。厳しい雇用情勢を受けて、来週にも「緊急雇用対策本部」が設置される。この他にも、年金記録問題に取り組むための経費を概算要求に盛り込んだり、扶養控除の廃止と子ども手当の実現に向けて調整したり、新型インフルエンザに対応したり。その結果、大幅に増えた概算要求額を財務大臣と調整したりと大忙しである。
そのためか、後期高齢者医療制度と同じく、廃止の方向で検討が進められている自立支援法の話は、ここ2週間ほど聞こえてこない。自立支援法を廃止すればよいという簡単な問題ではないので、たった2週間では何もできないのも確かだが。
今回は、民主党が4月にまとめた「障がい者制度改革について~政権交代で実現する真の共生社会~」を足がかりに考えてみる。
注目すべきは、

障がい者等の範囲・定義を見直し、いわゆる「制度の谷間」と言われる福祉サービスの対象外をなくし、幅広く福祉サービスが利用できるようにする。
障がい者等が身近な地域で福祉サービスを選択・利用できるよう障がい種別や年齢で区分されることなく、ニーズに応じた福祉サービス体系を構築する。

とされていることである(P.7)。
自立支援法を設計した時には、支援費制度の財源の問題を解決するために介護保険制度と統合し、同時に、第2号被保険者の年齢を引き下げて国民が広く浅く負担し、介護を必要とする人たちを支える制度にすることが構想されていた。そのため、応能負担から応益負担(サービス利用の上限設定と1割の自己負担)に変え、要介護認定の仕組みをアレンジして障害程度区分するなど、介護保険制度の骨格がそのまま使われることになった。その結果、障害程度区分の認定が必要な介護サービスと、生活や就労を支援するサービスや医療サービスとでは利用方法が異なり、総合的とはいえない制度となってしまっている。

新たな制度を設計するにあたって「介護保険制度との統合はなくなった」とするならば、制度の骨格から自由に考えられるチャンスであると言える。

身体的・精神的に同じ障害があっても、どのような生活をおくりたいかによって必要とする支援やサービスは異なる。障害者本人が自ら選択し決定することが基本なのだから、利用にあたっては個別での対応が求められる。一方で、公的な支援・サービスなのだから公平性が求められるし、調査専門員や市町村などには、決定への説明責任が求められる。
要介護認定は、「介護を要する時間」を尺度=根拠にロジックと重みづけのパラメータが設定されている。障害程度区分も基本的な考え方は変わらない。ロジックとパラメータの出来が問題視されているが、客観性と公平性、説明責任という側面においては評価できる。
障害者福祉・医療のサービスは、歴史的な経緯から、細分化され、複雑化している。新たな制度においては、それらのサービスが「生活・社会参加サービス支援」として統合・簡素化される。つまり、利用者=介護を必要とする人とはいえないために、「介護を要する時間」は尺度にならなくなる。「(サービス利用ニーズでなく)支援ニーズ」の程度を何らかの方法で測定しなければならなくなる、ということである。

介護保険制度を設計した時には、1993~95年の「1分間タイムスタディ」の研究成果があった。障害程度区分は、それを応用できた。新制度においてはどうだろうか。障害者福祉の研究者や実践者の多くは、「ニーズ測定システム」が実現できると考えていないし、そもそも、一人ひとり違う存在である障害者を1つの尺度に当てはめてニーズを測定しようとする考え方に反対するだろう(つまり、使えそうな研究成果がない、ということ)。
これは、制度の入口にあたる部分であり、うまく設計しないと制度全体が立ち行かなくなる。もう少し時間をかけて考えてみたい。

障がい者制度改革について
~政権交代で実現する真の共生社会~
http://www.dpj.or.jp/news/files/090408report.pdf

自立支援法の廃止~新法のあり方 その2

2009年09月27日 10時52分48秒 | 自立支援法・障害
自立支援法では、市町村から障害程度区分の認定を受けてから、サービスの利用に進むことになる。
手帳制度と連動していないため、それぞれの台帳(データ)を突き合わせられない市町村もある。手帳を持っているけれども、自立支援法の福祉・介護サービスを利用していない人もいるし、手帳を持たずにサービスを利用している人もいる。障害があっても、手帳も持っていないし、サービスも利用していない人もいる。制度が縦割りになっているため、地域の障害者の実態を正確に把握できていない市町村も多い。

「社会参加カード(仮称)」を、すべての支援・サービス利用の「パスポート」とすることで、実態の把握は進むだろう。カードの交付時にしっかりとアセスメントできれば、把握したニーズ=事実を根拠に社会資源の整備などを進められるようになる。議会などでの説明にも説得力が増す。
しかし、受けとめ方によっては、「地域で暮らす障害者の登録制度」ではないかとも思える(自分でも偏った見方だと思うが)。正確に把握するメリットとデメリット、曖昧なところを残すメリットとデメリットを比べ、冷静に考えてみたい。

自立支援法の廃止~新法のあり方 その1

2009年09月26日 13時59分39秒 | 自立支援法・障害
ここまでのまとめに代えて、「新法」における利用方法(理想像)を考えてみたい。

「社会参加カード(仮称)」を持っていることが何らかの支援やサービスを利用するにあたっての要件になるとすれば、市町村の窓口にて、どのような「障害」があり、社会参加カードを必要としているのかを申請することになろう(医師の診断書などを添えて)。
新聞記事などで報じられているように、3障害の区別を無くして「制度の谷間」を無くす、障害の範囲と定義を見直して広く自立生活を支えることなどを実現しようとすると、サービスの要否の判断はかなり難しくなる。
現在の自立支援法の「障害程度区分」は、介護保険制度の要介護認定の応用版で、介護サービスの要否を判断するためには使える仕組みである(判定結果への批判はあるが)。しかし、障害の範囲・定義を見直すとの考え方に転換すると、「介護を必要とする時間(1分間タイムスタディ)」を尺度=基準とする、この仕組みは使えなくなる。

それならば、市町村の窓口にケアマネジャー(ソーシャルワーカー)を配し、障害の程度や充たされないニードをきちんとアセスメントする、必要に応じて情報を提供したり、代弁したりする。その上で、障害の認定に進む(社会参加カードを交付する)とするのはどうだろうか。

障害分野のケアマネジメントの研究と実践はなされているが、まだまだ「高齢者介護の応用版」に留まる(分野特有の難しさがあるため、仕方ないが)。全国の市町村窓口にケアマネジャーを配するためには、よほど力を入れて養成しないと難しい。流行言葉のように使われている「制度設計」と並行して「業務設計」をしないと、やはり現実感が出てこない(制度はよくても運用がついていかない)。

すぐにでも自立支援法を廃止し、手続き方法も負担方法も見直して新法に切り替えたいなら、上記のような議論と現実的な方策の検討を始めるべきだろう。

障害者の「情報保障」 その3

2009年09月25日 11時55分47秒 | 自立支援法・障害
昨日の「その2」に続いて、この条文について考えていきたい。

厚生労働省から出される文書(今日においても紙が基本。一部はイメージで取り込んでPDFで公開されるようになったが、検索対象にならない。何とか改善して欲しい)が、必要とする人たちには「届かない」と書いた。
それならば、支援者が間に入って、「国から情報が出てきたよ」と知らせる、さらに次の支援者が「わかりやすく、かつ具体的に言うと、こうなるよ」と知らせる、自分たちにとっての情報へと「通訳」すればよい。「わからない」を「わかる」にする、通訳モデルである。

情報を「届ける」ならば、この通訳モデルで十分だろう。しかし、地域で自立した生活をおくるために必要な情報を得られるようにするとの理念まで立ち返って考えると、このモデルでは不十分に思える。

まず、この通訳モデルは「国から障害者本人」への一方向の流れを保障するのみである。支援者が「通訳」するならば、双方向。本人の望みを第三者がわかるように具体的に言い換える、場合によっては「役人向けの言い回し」にすることが必要だろう。つまり、双方向の流れを保障するための「代弁(アドボケイト)」を支援者の機能に含める必要がある。

双方向の通訳モデルが実現できれば、その先に、参加して共に創り上げるモデル(参加モデル?共創モデル?)が見えてくるだろう。福祉・介護分野における「情報論」の研究と実践を期待したい。