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e-Tetsuによる「アート」と「釣り」の生活誌

『龍安寺石庭を推理する』 宮元健次著 集英社新書

2005-03-13 | ◆読んでみた
以前インド人の友人が来日した時の話を書いた。その際、観光ついでに浜離宮庭園にある茶室へ一緒に行ったのだが、入り口付近は白砂を敷いてあり、箒で模様が施してあった。が、インド人の友人はそれを思いっきり踏み潰していたのだった。

その彼が京都へ行くというので、京都で白い砂を見たら絶対立ち入るなと警告した。そしてその彼が京都で訪れたのが、あの石庭で有名な龍安寺である。今では日本文化の代名詞のような寺ではあるが、1975年にエリザベス女王が訪問するまでは今ほどに有名ではなかったらしい。

この石庭、行けば誰しも何となく判った風に暫く眺めたりするし、日本人たるもの何か判らないとまずいような強迫観念に襲われる。でも結局判らんのであるが、この本を読むと安心する。そう簡単には判らないことが丁寧に説明してあるからだ。

石庭が何を表しているかという意図以前に、誰がいつ作庭したのかすら判っていないらいい。作庭者に至っては100説以上あるという。故に石庭そのものの解釈にも「虎の子渡し配石説」、「『心』の配石説」、「七五三配石説」、「扇形配石説」とかいろいろある。

本書のユニークなところは、作庭時期が17世紀であると推定し、そのデザインに西洋文明の影響を見出している点にある。つまり、龍安寺に遠近法や黄金分割などルネッサンス期の手法が多様されており、それらがキリスト教文化とともに日本へ流入した西洋式庭園の影響を受けたものだと解釈している。なんと石庭を囲む壁は手前から奥へ向かって低くなっており、これは遠近法によってより奥行きがあるように見せるためであるという。

龍安寺といえば、これぞ日本文化などと思っているが、もしこの仮説が正しいとすれば、石庭の前をしたり顔で立ち去る日本人よりも、よほど外国人の方がしっくり来ているのかもしれない。エリザベス女王が満足するわけである。

それにしても、この龍安寺のトップページ、全く心が休まりません。


『龍安寺石庭を推理する』 宮元健次

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (大田原牛)
2005-03-13 11:50:17
すごいですね、このトップページ。

修行僧の手作りでしょうか。
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Unknown (e-Tetsu)
2005-03-13 19:35:21
手作りじゃないとこうはならないよね。

かなり修行も激しいのでしょう。
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このトップページをみて (子りす)
2005-03-16 13:33:50
落ち着かなくなった心を鎮めるために、「龍安寺に来て」ってことなのでは?
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