西村清彦・峰滝和典共著の「情報技術革新と日本経済」を読んだ。
本書はITが日本経済の生産性に及ぼした影響を、欧米とも比較しつつ、統計データから検証している。統計データの検証部分は、なかなか難解で結構読み飛ばしてしまったのだが、その検証結果の考察を行っている部分はなかなか読み応えがある。ポイントを纏めておきたい。
日本の情報サービス業の生産性
本書は、CMM(Capability Maturity Model)やOECDなどからの引用をもとに、日本の情報サービス産業は他国に比して生産性が低く、国際競争力に欠けるとする。ハードウェア産業が高い生産性を示しているのに対して、ソフトウェア産業の生産性が低いことには、何らか日本固有の事情があるのだろうと問うている。
モジュール化とソフトウェアの生産性
ハードウェアではモジュール化が進展したことにより生産性が飛躍的に向上した。PCを始めとするコンピューター機器の価格が下がり続けるのはまさにこれによる。このアナロジーでソフトウェアもモジュール化すれば生産性が高まるはずである。SOAの議論も基本的にはこの延長上にあると言えよう。
しかし、本書が指摘するのは、「ソフトウェアの分野ではハードウェアの分野で起こったほどの革新はなかったという見解」(pp.163)である。本書によれば、開発におけるコミュニケーションの重要性ゆえに、エンジニアの増加が生産性へはマイナスに働いたという。つまり、インターフェースの標準化が困難だというわけだ。
日本独自の課題
上記のような問題が日本において顕著である原因を本書はいくつか指摘している。
①日本発のオペレーティング・システム(OS)がない
OSのAPI仕様が開示されているか否かで、モジュール化のし易さが異なる。OSの開発国の方が、モジュール化を進めやすいため、パッケージソフトも多く開発される。
②非効率な外注化
日本では開発・生産工程のモジュール化が不十分な状態で外注化が行われている。そのため、外注化が必ずしも開発の効率性向上に繋がらず、むしろ生産性を押し下げることになっている。
③下請け・孫受け構造
日本のシステム開発における下請会社や孫受会社は、発注元からの独立性も低く、自らR&Dによって革新をもたらすようなシリコンバレーモデルの対極にあると本書は指摘する。それゆえに、日本の下請け・孫受け構造は生産性の向上に貢献しない。
④プロジェクト・マネージメントの問題
プロジェクト・マネージメントの側面においても、インターフェースの標準化を図るという役割が十分に果たされていない。
暗黙知の問題
本書がプロジェクト・マネージメントについて触れている部分で面白いと思ったのは、日本では仕様書に表現されていない「暗黙知」部分をプロジェクト・マネージャーが担わざるを得ないとしている箇所である。つまり、日本ではシステム仕様に「暗黙知」の状態に留まって「形式知」に昇華されていない部分があるということである。これがしばしば海外へのアウトソーシングで問題になる。
本書が示唆するもの
サービス指向アーキテクチャー(SOA)は、インターフェースを明示的に宣言することが前提となる。しかし、本書を読むと、日本のソフトウェア開発はこうしたインターフェースの標準化がもともと不得意であることが見えてくる。
システムのアーキテクチャーのSOA化を進める中で、業務機能をモジュール化するという作業が必要となるが、その中でどれだけ暗黙知を排除して形式知化し、標準的なインターフェースに昇華できるのか。課題は単に手法の問題だけではなく、日本のこれまでのソフトウェア開発における慣習にもありそうだ。
本書はITが日本経済の生産性に及ぼした影響を、欧米とも比較しつつ、統計データから検証している。統計データの検証部分は、なかなか難解で結構読み飛ばしてしまったのだが、その検証結果の考察を行っている部分はなかなか読み応えがある。ポイントを纏めておきたい。
日本の情報サービス業の生産性
本書は、CMM(Capability Maturity Model)やOECDなどからの引用をもとに、日本の情報サービス産業は他国に比して生産性が低く、国際競争力に欠けるとする。ハードウェア産業が高い生産性を示しているのに対して、ソフトウェア産業の生産性が低いことには、何らか日本固有の事情があるのだろうと問うている。
モジュール化とソフトウェアの生産性
ハードウェアではモジュール化が進展したことにより生産性が飛躍的に向上した。PCを始めとするコンピューター機器の価格が下がり続けるのはまさにこれによる。このアナロジーでソフトウェアもモジュール化すれば生産性が高まるはずである。SOAの議論も基本的にはこの延長上にあると言えよう。
しかし、本書が指摘するのは、「ソフトウェアの分野ではハードウェアの分野で起こったほどの革新はなかったという見解」(pp.163)である。本書によれば、開発におけるコミュニケーションの重要性ゆえに、エンジニアの増加が生産性へはマイナスに働いたという。つまり、インターフェースの標準化が困難だというわけだ。
日本独自の課題
上記のような問題が日本において顕著である原因を本書はいくつか指摘している。
①日本発のオペレーティング・システム(OS)がない
OSのAPI仕様が開示されているか否かで、モジュール化のし易さが異なる。OSの開発国の方が、モジュール化を進めやすいため、パッケージソフトも多く開発される。
②非効率な外注化
日本では開発・生産工程のモジュール化が不十分な状態で外注化が行われている。そのため、外注化が必ずしも開発の効率性向上に繋がらず、むしろ生産性を押し下げることになっている。
③下請け・孫受け構造
日本のシステム開発における下請会社や孫受会社は、発注元からの独立性も低く、自らR&Dによって革新をもたらすようなシリコンバレーモデルの対極にあると本書は指摘する。それゆえに、日本の下請け・孫受け構造は生産性の向上に貢献しない。
④プロジェクト・マネージメントの問題
プロジェクト・マネージメントの側面においても、インターフェースの標準化を図るという役割が十分に果たされていない。
暗黙知の問題
本書がプロジェクト・マネージメントについて触れている部分で面白いと思ったのは、日本では仕様書に表現されていない「暗黙知」部分をプロジェクト・マネージャーが担わざるを得ないとしている箇所である。つまり、日本ではシステム仕様に「暗黙知」の状態に留まって「形式知」に昇華されていない部分があるということである。これがしばしば海外へのアウトソーシングで問題になる。
本書が示唆するもの
サービス指向アーキテクチャー(SOA)は、インターフェースを明示的に宣言することが前提となる。しかし、本書を読むと、日本のソフトウェア開発はこうしたインターフェースの標準化がもともと不得意であることが見えてくる。
システムのアーキテクチャーのSOA化を進める中で、業務機能をモジュール化するという作業が必要となるが、その中でどれだけ暗黙知を排除して形式知化し、標準的なインターフェースに昇華できるのか。課題は単に手法の問題だけではなく、日本のこれまでのソフトウェア開発における慣習にもありそうだ。
様々な業界で、日本国内の顧客のニーズが1社1社異なるために標準化ができず結果生産性が落ちているということはないでしょうかね?
e-Tetsuさんのダイジェストによると、OSが無い、以外の問題は、暗黙知文化に集約されます。暗黙知文化は、長期的安定的関係から生じています。
ITで日本が負ける理由のひとつに、文化の持つスピード感があると思っています。
倍々に加速するムーアの法則のスピードは、安定社会から見ると、想像を越える破壊力です。
技術が成熟した自動車では、気配り文化、森を見る文化で丁寧にバランスをとって完成度を上げることで、日本が強みを見せています。
気配りを製品に体現できればカローラになってグローバル化も可能でしょう。これはプロダクト開発アプローチになりますね。
他の路線でも、気配りの対象を顧客に持ち続けることは前提として、お勉強の対象になるくらいの技術成熟度になると、日本の得意領域に入ってくると考えています。
文化の問題というのは確かにあると思います。日本の中長期を見据えたものの考え方が、IT技術の変革スピードと合っていない。それゆえに、短期的なサイクルで経営を回していける欧米の方がこの分野では強い。
日本も株式市場によるガバナンスの強化によって、より短期間で成果を出すことが求められるようにはなってきました。しかし、文化の領域はそう簡単に変えられないこと、また変えることは日本のユニークさをも失う危険を孕むことには注意が必要かと考えています。
http://capsctrl.que.jp/kdmsnr/wiki/bliki/?CannotMeasureProductivity
アメリカ企業は企業利益を重視するので、結果的に生産性を高めることになるのでしょう。