中山が数字に固執したのは、日興証券の生い立ちと関係する。
日興コーディアルの前身の日興証券は、
戦時下の1944年に川島屋証券と日本興業銀行
(現みずほフィナンシャルグループ())傘下の
旧日興証券が合併して誕生した会社だ。
以降、川島屋系の社長が2代続き、その後に興銀出身の社長が2代続いた。
この過程で、日興生え抜き派と興銀派の派閥争いが激化した。
その渦中で中山は「反興銀」の急先鋒となった。
中山が地位と権力を保持するためには、
「数字(業績)を上げて、反対派の批判を封じるしかなかった」(前出OB)。
反対派を封じ込めるため、中山は周囲にイエスマンばかりを集め、
病気悪化による退任時にも後釜に子飼いの梅村正司を据えた。
梅村もまた後継者に腹心の岩崎琢弥を指名した。
末席副社長の岩崎を社長に引き上げた人事は、
社内外で「意外」と波紋をよんだ。
繰り返される意外なトップの就任
この岩崎が91年に発覚した損失補填を巡る
証券スキャンダルで失脚すると、後任には、高尾吉郎が就いた。
この高尾は、岩崎が「支店でよく悪口を言っていた」
と言われた人物で、当時の社内では社長候補として本命視されていなかった。
政権基盤が弱い形で就任した高尾は、
基盤強化を図るため子飼いで脇を固め始めた。
それでは「裸の王様」になるのは避けられず、
一部では「中山時代よりひどい」とさえ揶揄された。
結局、高尾も97年発覚の総会屋への利益供与事件で退任。
代わり社長に就いたのが、今回の不正会計問題で辞任した
前会長の金子昌資だ。
金子が就任した理由は、国際畑が長く不祥事と無関係と見られていた。
それは高尾と同じく前政権の運営を反省するために、
あえて“傍流”の人間が登用された形だった。
政権基盤が弱い金子の目に留まったのが、
今回の事件で退任した有村だ。金子時代に有村が台頭したのは、
有村がともかく数字という形で実績を残すことが評価されたからだと、
日興OBは言う。
金子・有村時代にも、2人の意に沿わない幹部が
次々と左遷に遭い会社を去ったという。
そうした中、トントン拍子に出世したのが
2006年6月に退任した日興コーディアルグループの
前取締役兼執行役常務の山本元だ。
山本は最高財務責任者(CFO)であり、
不正の舞台となった子会社の取締役も兼ねていた。
前出の特別調査委員会で委員長を務めた
元金融庁長官の日野正晴によれば、
「山本CFOは経理畑が長かったせいか、
財務については日興社内で誰も彼に逆らえなかった。
有村社長も彼に一切を任せていた」とする。
今回の事件では、日興の監査委員会が会計処理に問題点があると
繰り返し指摘した。
それに対し「最も頑強に反対したのが山本CFOだった」と日野は言う。
日興コーディアルの前身の日興証券は、
戦時下の1944年に川島屋証券と日本興業銀行
(現みずほフィナンシャルグループ())傘下の
旧日興証券が合併して誕生した会社だ。
以降、川島屋系の社長が2代続き、その後に興銀出身の社長が2代続いた。
この過程で、日興生え抜き派と興銀派の派閥争いが激化した。
その渦中で中山は「反興銀」の急先鋒となった。
中山が地位と権力を保持するためには、
「数字(業績)を上げて、反対派の批判を封じるしかなかった」(前出OB)。
反対派を封じ込めるため、中山は周囲にイエスマンばかりを集め、
病気悪化による退任時にも後釜に子飼いの梅村正司を据えた。
梅村もまた後継者に腹心の岩崎琢弥を指名した。
末席副社長の岩崎を社長に引き上げた人事は、
社内外で「意外」と波紋をよんだ。
繰り返される意外なトップの就任
この岩崎が91年に発覚した損失補填を巡る
証券スキャンダルで失脚すると、後任には、高尾吉郎が就いた。
この高尾は、岩崎が「支店でよく悪口を言っていた」
と言われた人物で、当時の社内では社長候補として本命視されていなかった。
政権基盤が弱い形で就任した高尾は、
基盤強化を図るため子飼いで脇を固め始めた。
それでは「裸の王様」になるのは避けられず、
一部では「中山時代よりひどい」とさえ揶揄された。
結局、高尾も97年発覚の総会屋への利益供与事件で退任。
代わり社長に就いたのが、今回の不正会計問題で辞任した
前会長の金子昌資だ。
金子が就任した理由は、国際畑が長く不祥事と無関係と見られていた。
それは高尾と同じく前政権の運営を反省するために、
あえて“傍流”の人間が登用された形だった。
政権基盤が弱い金子の目に留まったのが、
今回の事件で退任した有村だ。金子時代に有村が台頭したのは、
有村がともかく数字という形で実績を残すことが評価されたからだと、
日興OBは言う。
金子・有村時代にも、2人の意に沿わない幹部が
次々と左遷に遭い会社を去ったという。
そうした中、トントン拍子に出世したのが
2006年6月に退任した日興コーディアルグループの
前取締役兼執行役常務の山本元だ。
山本は最高財務責任者(CFO)であり、
不正の舞台となった子会社の取締役も兼ねていた。
前出の特別調査委員会で委員長を務めた
元金融庁長官の日野正晴によれば、
「山本CFOは経理畑が長かったせいか、
財務については日興社内で誰も彼に逆らえなかった。
有村社長も彼に一切を任せていた」とする。
今回の事件では、日興の監査委員会が会計処理に問題点があると
繰り返し指摘した。
それに対し「最も頑強に反対したのが山本CFOだった」と日野は言う。