カイロプラクターであれば、患者さんの症状を改善させたいと願うことだろう。そして、そのために必要な知識、技術を進化させようとがんばる。
今までのぼくはそのようにしてきた。今現在も同じである。
しかし、「患者さんの症状を改善させたいと願う」ときのモチベーションはどこから来るのであろうか。
もし、それが「自分の存在価値を確認するため」ということであれば、遅かれ早かれ精神を病むことになるだろう(そもそも、人間の存在価値など妄想にすぎない)。
このようなモチベーションで患者さんと向き合った時、もし自分が望む結果が得られれば、とりあえずは自分の存在価値を確認(?)できたということになるのだろう。しかし、これは妄想が妄想を生み出しているだけで、事態はより深刻な方向へと向かっていく。
万が一、結果が伴わなかった場合、待っているのは大きな失望のみである。そして、それは場合によっては自己嫌悪、さらに自己否定へと発展していく。
つまり、どちらに転んでも袋小路。
重要なのは、自他への慈悲心である。
そのような心の状態で患者さんと接することで、さらに慈悲心を育てることができ、また結果に一喜一憂することもなくなるのだ。