この本は、1851年に書かれた本である。古臭さはまったく感じない。まるで昨日出版されたようにも感じる。文体は簡潔明瞭、しかも高雅である。こういう文章はなかなか見かけない。著者の筆致は時に辛らつで攻撃的でありながら、真理をついているためいやらしさがない。百数十ページ3編の小冊子でありながら、中味は一文字の無駄もなく大変味わい深く啓発に富んでいる。まさに時代を超えて生き残ってきた古典を読むべき、を地で行っている。
5回ほどにわけて掲載していくが、今回は「思索」。思索するために読書はどう位置づけるべきか、思索をどう行っていくのか、どう形成されていくのかが、偉大な哲学者から披瀝される。
思索
・ いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。
・ 多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。
・ もともとただ自分のいだく基本的思想にのみ真理と生命が宿る。我々が真の意味で充分に理解するのも自分の思想だけだからである。書物から読み取った他人の思想は、他人の食べ残しに過ぎない。
・ 自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理に百倍もまさる。
・ 思索の意思があっても思索ができるわけではない。机にむかって読むことならば日常茶飯事である。だがさらに考えるとなるとまったく別である。すなわち思想と人間とは同じようなもので、勝手に呼びにやったところでくるとは限らず、その到来を辛抱強く待つほかない。外からの刺激が内からの気分と緊張に出会い、この二つが幸運に恵まれて一致すれば、対象についての思索は自然必然的に動き出す。だがまさにこの特殊な経験は決して世間普通の人々を見舞いはしない。
・ 我々は無理やり考えようとすべきではなく、自然に気分的にもそうなる機会を待つべきである。そういう気分は思いがけず、繰り返しわいてくるものであるが、気分はそのつど異なりながら、異なった角度から当の問題に照明を投げかける。そのゆるやかな経過こそいわゆる決意の成熟というものにあたる。なぜなら、問題を分割することはどうしても必要で、先に見落とされていたいくつかのことにもこの分割によってあらためて気がつくしその事柄をはっきりと注視するにつれて、多くの場合、いよいよその有益な点が目立ってくるため、嫌悪の気持ちも消えうせるからである。
・ 真の才能に恵まれた頭脳の持ち主であれば、誰の作品でも平凡な人々の著作から区別されよう。すなわちその断固たる調子、確固たる態度、それに伴う明晰判明な表現方法がその特徴である。それというのもこのすぐれた人々は、散文や詩あるいは音楽というようにいろいろな形式をとるにしても、いったい何を表現しようとしているかを常に明確に知っているからである。
『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)
5回ほどにわけて掲載していくが、今回は「思索」。思索するために読書はどう位置づけるべきか、思索をどう行っていくのか、どう形成されていくのかが、偉大な哲学者から披瀝される。
思索
・ いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。
・ 多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。
・ もともとただ自分のいだく基本的思想にのみ真理と生命が宿る。我々が真の意味で充分に理解するのも自分の思想だけだからである。書物から読み取った他人の思想は、他人の食べ残しに過ぎない。
・ 自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理に百倍もまさる。
・ 思索の意思があっても思索ができるわけではない。机にむかって読むことならば日常茶飯事である。だがさらに考えるとなるとまったく別である。すなわち思想と人間とは同じようなもので、勝手に呼びにやったところでくるとは限らず、その到来を辛抱強く待つほかない。外からの刺激が内からの気分と緊張に出会い、この二つが幸運に恵まれて一致すれば、対象についての思索は自然必然的に動き出す。だがまさにこの特殊な経験は決して世間普通の人々を見舞いはしない。
・ 我々は無理やり考えようとすべきではなく、自然に気分的にもそうなる機会を待つべきである。そういう気分は思いがけず、繰り返しわいてくるものであるが、気分はそのつど異なりながら、異なった角度から当の問題に照明を投げかける。そのゆるやかな経過こそいわゆる決意の成熟というものにあたる。なぜなら、問題を分割することはどうしても必要で、先に見落とされていたいくつかのことにもこの分割によってあらためて気がつくしその事柄をはっきりと注視するにつれて、多くの場合、いよいよその有益な点が目立ってくるため、嫌悪の気持ちも消えうせるからである。
・ 真の才能に恵まれた頭脳の持ち主であれば、誰の作品でも平凡な人々の著作から区別されよう。すなわちその断固たる調子、確固たる態度、それに伴う明晰判明な表現方法がその特徴である。それというのもこのすぐれた人々は、散文や詩あるいは音楽というようにいろいろな形式をとるにしても、いったい何を表現しようとしているかを常に明確に知っているからである。
『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)