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『ソロモンの箴言』

2009-12-31 11:00:04 | Weblog
ソロモンの箴言を読み、今年一年を振り返り、来年に思いをはせてみるのもいいと思い、ここに記した次第である。旧約聖書に書かれた言葉は、幾千年の時を過ぎても、心に響くものがある。


なお、この「箴言」は以下のサイトから引用しているものである。
ソロモン王の知恵のことば




ソロモンの箴言


・  知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものもこれとは比べられない。-箴言3.15

・  軽率に話して人を剣でさすようなものがいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。-箴言12.18

・  自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ち壊された町のようだ。-箴言25.28

・  むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥をみさせる。-箴言29.15

・  愚かなものは怒りをぶちまける。しかし知恵のあるものはそれを内におさめる。-箴言11.2

・  高ぶりが来れば恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。-箴言11.2

・  貧しくても誠実に歩む者は、富んでいても曲がった道を歩むものにまさる。-箴言28.6

・  野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎みあうのにまさる。-箴言15.17

・  自分に関係ない争いに干渉する者は、通りすがりの犬の耳をつかむ者のようだ。-箴言26.17

・  なまけ者よ。蟻のところへ行きそのやり方を見て知恵を得よ。-箴言6.6

・  親切な言葉は蜂蜜、たましいに甘く骨を健やかにする。-箴言16.24

・  心の曲がった者は幸いを見つけない。偽りを口にするものはわざわいに陥る。-箴言17.20

・  ばらまいてもなお富む人があり、正当な支払いを惜しんでもかえって乏しくなる者がある。-箴言11.24

・  愚かな者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵ある者は忠告を聞き入れる。-箴言12.15

・  わが子よあなたの父の命を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。-箴言6.20

・  人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ。-箴言29.23

・  一切れのかわいたパンがあって平和であるのは、ご馳走と争いに満ちた家にまさる。-箴言17.1

・  遠い国からのよい消息は、疲れた人への冷たい水のようだ。-箴言25.25

・  熱心だけで知恵のないものはよくない。急ぎ足のものはつまずく。-箴言19.2

・  柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しい言葉は怒りを引き起こす。-箴言15.1

・  陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。-箴言17.22

・  あなたの父と母を喜ばせ、あなたを生んだ母を楽しませよ。-箴言23.25

・  愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口なものははずかしめを受けても黙っている。-箴言12.16

・  正直によって得たわずかなものは、不正によって得た多くの収穫にまさる。-箴言16.8

・  善に代えて悪を返すなら、その家から悪が離れない。-箴言17.13

・  知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを守る。-箴言4.6

・  自分の口を見張る者は自分の命を守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。-箴言13.3

・  穏やかな心はからだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。-箴言14.30

・  怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。-箴言14.29

・  知恵のある者は用心深くて悪を避け、愚かな者は怒りやすくて自信が強い。-箴言14.16

・  主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。-箴言9.10



『小沢主義-志を持て、日本人』小沢一郎著(集英社文庫)を読んで

2009-12-30 10:57:42 | 書評
小沢氏の言葉は、明瞭である。これは、演説や記者会見のときもそうであるが、訥々としゃべりながら言っていることがわかりやすい。このことが、この本の中でもよくわかる。文庫本187ページの本だが、すぐ読んで仕舞える。それでいて得るもそれなりに得た感じである。

小沢氏は、志が強い人間であると見た。これまでどれだけの困難な局面を渡り歩いてきたかといえば、政治家の中でこの人ほどそれに当てはまる人はいないのではないか。40台前半で自民党の幹事長を務め、総理候補の首実検をした人物である。それから20有余年、また政治権力の筆頭に躍り出ている。

しかしながら、小沢氏は、権力のトップになるという目標は持っていないのではないか。日本を変えたいという高い志を持っているなかで、首相というポストがそれに必要ならなるに越したことはないというスタンスではないか。本来そうあるべきであろう。この人物は、シャイでありながらも正直な人物でもあると見ている。マスコミが煽り立てるが、どうも作られるイメージがこわもてイメージであるのは、自身の不徳のいたすところか。

小沢氏の選挙は、徹底したどぶ板選挙だ。これは田中角栄から学んだことである。田中角栄は、自分の息子のように小沢氏をかわいがったという。今では、選挙の天才とまでいわれるようになって、小泉チルドレンならぬ、小沢チルドレンは100数十名。これからの小沢氏の動きには目が離せない。

『小沢主義-志を持て、日本人』小沢一郎著(集英社文庫)

『わかりやすい統計学』松原望著(丸善)を読んで

2009-12-29 08:48:40 | 書評
この本は、題名のとおり、統計学をできるだけわかりやすく解説しようと試みた本だ。統計学というと、一般の人には、大変とっつきにくい。そもそもその学問自体が、自分がデータを集めて統計を作り、それを分析する学問であり、技量が必要になる。そのため、いくらコンピュータが活用できるといっても、データの蓄積、関数や統計手法の習得など、かなりの技術が必要である。

経済・市場分析の世界でも、統計分析は欠かせないものだが、この分野で欧米に比べ日本はかなり遅れている。そもそも、特に市場・投資分野では、データの蓄積が少ないし入手できる手段が少ないので、統計分析がなかなかできないのが貧しい現実だ。ほかの方面でも、統計分析は欧米に比べてかなり遅れているのではないかと危惧する。

ところで、この本は一般の人にとっては統計分析をどうするかというより、統計数値をどう読むかを学ぶ上では参考になるだろう。世の中ではさまざまな調査分析が統計に基づいてなされているが、誤った分析、解釈も多いのだ。


『わかりやすい統計学』松原望著(丸善)


『ユング自伝2-思い出・夢・思想-』C.G.ユング著(みすず書房)を読んで

2009-12-28 10:42:59 | 書評
「ユング自伝1」に続いてその2を読んだが、かなり難しい。表現の仕方とともに、その思想の形成過程が、難解かつ魍魎なのだ。たとえば、こういう表現だ。

無意識の内容との対決
内的体験についての歴史的な予示の事実を見出す-錬金術との出会い
分析心理学が錬金術に符合する。錬金術師の経験は、私の経験である。これは、重大な発見であった。すなわち、私の無意識の心理学の歴史上の相対物にめぐり合った。・・・錬金術の私の仕事はゲーテとの内的関連のしるしとみなしている。

ユング自伝の中では、夢の中の話が、大変重要な意味を持つ。夢は無意識の中で形成されるものであり、ユングの心理分析では非常に大きな位置を占めるからだ。そのため、さも現実のように書かれるので、現実と夢の境がなくなっていく。また表現が厳密というか独特な学術的表現のため、わかりにくいのだ。そのため、ユング心理学を学ぶのは、念読的な面がある。

いくつか印象に残った箇所を残しておく。(カッコ内は私の補足)


研究
・ 大工の子、イエスが福音を授け、この世の救い主となった事実を、単なる偶然とみなすのは由々しい誤解である。彼はその時代の無意識ではあるが一般的な期待を、余りにも完全に表現し代表しうるという無比の天賦の才を持っていたに違いない。

塔-(30年以上にわたって自宅の塔を増築、つくり続ける)
・ 1955年の妻の死後、私は自分自身にならねばならぬという、内的義務を感じた。ボーリンゲンの家の造形を借りていうと、二つの塔の間にうずくまっている、非常に低い中央部分が、私自身なのだということに、突然気づいたのである。

幻像
・ (死への旅立ちの中で)1500キロメートルの高さから見る地球の眺めは、私が今までに見た光景の中で、もっとも美しいものであった。
・ 病気によって明らかになったことがあった。それを公式に表現すると、事物を在るがままに肯定することである。つまり、主観によって逆らうことなく、あるものを無条件に「イエス」といえることである。実在するものの諸条件を私が見たままに、私がそれを理解したように受け入れる。
・ 人が個性化過程を歩むときには、つまり自分自身の命を生きるときには、人は付加的に誤りをおかさなければならない。命というものは、この誤謬の付加なしには完全にならないだろう。われわれには、失敗に陥らず、致命的危険に遭わないという保証は、一瞬たりともない。
・ 病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。このようにして私は、どんなに不可解なことが起こっても、それを拒むことのない自我を鍛えた。つまりそれは、真実に耐える自我であって、それは世界や運命と比べても遜色がない。かくして、敗北をも勝利と体験する。
・ 私はまた、人は自分自身の中に生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在するものとして受け入れねばならないと、はっきり悟った。

死後の生命
・ 不幸にも、現代では人間の神話的な側面はあっさりと片付けられてしまっている。人間はもはや神話を創り出そうとしない。その結果、多くのことを人間は失っている。理解を超えた事柄についても話し合うことは大切であり、健康にもよいことだ。それは、暖炉の側でパイプをふかしながら、幽霊のお話を語り合うようなものである。
・ 人間のなすべき仕事は、無意識から上に押し上げられてきた内容を意識化することである。人はその無意識を固執するべきでもなく、自分という存在の要素と同一視することにとどまっているべきでもない。それは、意識をとどまることなく創造していくという人間の使命を避けることになる。われわれの知る限りにおいては、人間存在の唯一の目的は、単なる存在の闇に光をともすことである。

追想
・ 人々が私を指して博識と呼び、「賢者」というのを、私は受け入れることができない。一人の人が川の流れから、一すくいの水を得たとして、それが何であろうか。私はその川の流れではない。私は流れのほとりに立ち、何かをなそうとするのではない。私は立ち、自然がなしうることを賛美しつつただ見守るのみである。
・ 流れから水を得んとするものは、少しは身をかがめねばならない。


『ユング自伝2-思い出・夢・思想-』C.G.ユング著(みすず書房)

『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)を読んで-No.5

2009-12-25 08:01:12 | 書評
[良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。」このようにショウペンハウエルは箴言を提示する。悪書はあるのだ。悪書を読むことは時間の浪費。心したいものだ。「読書について」は、読書とは何かを、明確に示してくれる。


読書について

・ 読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるに過ぎない。
・ 読まれたものは反芻され熟慮されるまでに至らない。だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食べ物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。
・ 読書によってものの書き方を学ぼうとしても、ただ自発的活動を促されるだけである。つまり読書は我々が駆使しうる天賦の才能の駆使を促すのである。だからこの読書の教えは、生まれながらの才がある場合にのみ意味を持つ。
・ 読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。その技術とは、多数の読者がその都度むさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないことである。
・ 常に読書のために一定の短い時間をとって、その間は、比類なき卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべきである。このような作品だけが、真に我々を育て、我々を啓発するのである。
・ 良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。
・ 幸い私は早く青年時代に、シュレーゲルの美しい警句に行き当たり、以来それを導きの星にしている。「努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人の古人を語る言葉、さらに意味なし。」
・ 「反復は研究の母なり。」重要な書物はいかなるものでも、つづけて二度読むべきである。それというのも、二度目になると、その事柄のつながりがより理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。
・ 精神のための清涼剤としては、ギリシャ・ローマの古典の読書にまさるものはない。


『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)

『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)を読んで-No.4

2009-12-24 09:14:01 | 書評

「著作と文体」は続く。そしてますます深く入っていく。まさに表現の仕方の奥義といってもよい。読んでいて、どんどんこころに入っていくのがまた不思議である。だからこそ、名文といえるのだろう。


著作と文体

・ 表現を明確、正確にする力、手段こそ、一つの言語に価値を与える。この力、手段に訴えることによってのみ、ひとつの思想のニュアンス、微妙な調子をすべて精密、明瞭に表現することができるのである。いわば粗末な袋ではなくて、手ざわりもしっとりとした衣服を首尾よくまとわせて、思想を示すことができる。
・ 簡潔明瞭に思索する。ところが、的確明瞭な表現、力強い充実感にみちた表現をものにするにはさらに別の条件が必要で、それだけは絶対に欠くことができない。すなわち概念の異なるごとに、それぞれ的確な語で表現し、その概念に微妙な変化が加えられたり、あるいは微妙なニュアンスが与えられた場合には、その語にもそれに応ずるだけの変化を与えることのできる言語はきわめて優秀で、このような言語を駆使することが絶対条件なのである。
・ 真の意味での簡潔な文体、充実した高雅な文体はただ豊かな思想、内容あふれるばかりの思想から自然に生まれてくるものである。重要な、内容豊かな思想、およそ書くに値する思想であれば、素材と内容は自然にあふれてくる。したがってこの思想を完全に表現するためにはどうしても文法、語句の細部に至るまで気を使った完璧な複合文章が必要である。
・ 人間はまだ一度にただひとつのことしか、明瞭に考えられない動物である。文章作成に当たっては、まずこの事実に何よりも注意をはらうべきだろう。だから一度に二つも三つものことまでも考えさせようというのは、人間に対して無理な要求である。
・ 比喩は、未知の状態を既知の状態に還元する限り、大きな価値を持っている。さらにいかなる物事についても、それが何であるかを捉えようとすれば、まず比喩から出発しなければならない。
・ アリストテレスも言っている。「巧妙な比喩を案出するのは、特にもっとも偉大な業である。他人から学んで比喩の達人になれるわけではなく、比喩の業は天才たることの証なのである。なぜなら絶妙な比喩を案出することは、事物に共通の類似した特性を把握することだからである。」また彼の次の言葉も同じ意味のことを言っているものである。「哲学において、まったく相反した事物の中に共通の類似点を把握するのは、鋭い洞察力の業である。」
・ 言語は一種の芸術品であるから、客観的規則を持ったものとして取り扱うべきである。したがって言語によって表現されるものは一切、規則にかない、その意図に従っていなければならない。いかなる文章においても、真剣な配慮を試み、述べるべきことが言語の糸にかなって客観的になるように努めなければならない。言語を主観的にすぎぬものとして取り扱い、自分勝手な表現をして、読む人がその意味を適当に推測してくれるだろうと考えたりすることは、絶対に禁物である。
・ 怒りを欠く者は知性を欠く。知性は必ずある種の「鋭さ」を生む。


『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)

『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)を読んで-No.3

2009-12-22 08:21:13 | 書評
ショウペンハウエルのきわめてわかりやすい文体は、まだまだ続く。きわめてわかりやすい文体で、文章とはどう書くべきかを書き記しているので、その迫力は並大抵のものではない。まずは読んで味わってほしいものである。


著作と文体

・ 文体は精神のもつ顔つきである。それは肉体に備わる以上に、間違いようのない確かなものである。他人の文体を真似するのは、仮面をつけるに等しい。仮面はいかに美しくても、たちまちそのつまらなさにやりきれなくなる。
・ 著者の思索にかかわる独自性を精密に表しているのが、その人の文体である。つまり文体を見れば、ある人の思想をことごとく決定している形式的な特徴、固有の型がわかるわけで、その人が何について、何を考えようとそれは常に変わってはならぬものである。私は、まず著者の書いたものを数行読む。するとそれだけで、どこまでこの著者が私を推し進めうるかということについて、およその見当がつく。
・ こういう事情をひそかに知っているため、凡庸な著者に限ってだれでも、自分に特有な自然の文体に偽装を施そうとする。そのためまず第一に、素朴さ、素直さをすべて放棄しなければならないことになる。その結果、文章作成上のこの美徳は、常に、卓越した精神の持ち主、平生自分の値打ちを自覚して、自信に満ちている人間だけに許される。つまり凡庸な頭脳の持ち主たちには考えるとおりに書くという決心が、まったくつかないのである。
・ すぐれた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである。第二第三をほとんど必要としないほどの、充分な規則といってよい。
・ 精神をそなえた人々の作品を開くと、著者たちは真実の言葉で我々に語りかけてくる。だからこそ彼らは我々を鼓舞し、我々を養うことができるのである。
・ 天才の作品には、どの部分にも精神がくまなく行き渡っていて、それが常に作品の特徴をなしている。
・ 人間の力で考えられることは、いついかなる時でも、明瞭平明な言葉、曖昧さをおよそ断ち切った言葉で表現される。難解不明、もつれて曖昧な文体で文章を組み立てる連中は、自分が何を主張しようとしているかをまったく知らない。
・ 謎めいた表現は控えるべきで、あることを主張しようとしているのか、していないのかを自ら悟るべきである。
・ 著者たるものは、読者の時間と努力と忍耐力を浪費させてはならない。こういう注意を守ってものを書けば、この著者のものは細心の注意をはらって読むだけの価値はあり、苦労して読んでもそのかいがあるという信用を読者から得ることになるだろう。
・ 「半ばは全体にまさる」-ヘシオドスの格言 およそ、一切を言い尽くすことあるべからず。「倦怠を覚えさせる秘訣、そはすべてをあますことなく語ることなり。」したがってできるだけ声高に問題の核心、主要な事柄だけにふれて、読者が独力でも考えつきそうなことは避けるべきである。頭脳の卓抜さを示す印は、多量の思想を少量の言葉に収めることである。
・ 真理はそのままで最も美しく、簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。
・ 言葉の芸術でも、不要な一切の美句麗句、無用な敷衍、表現過剰を警戒し、純潔無垢な文体や話法に努めなければならない。

『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)

『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)を読んで-No.2

2009-12-21 08:46:22 | 書評
いまだに、この本を読んだ余韻はつづいている。良い本を見つけた喜びと学んだ中味から来るものだ。これまで古典というと、むずかしい、わからないというイメージが強かったが、それを壊したのが、この本である。本日は、「著作と文体」。どのように人々を啓発する良い本が生まれかが、書かれている。


著作と文体
・ 書くために書く人々は金銭を必要とし、要するに金銭のために書く。彼らはできるだけ長く思想の糸を紡ぐ。真偽曖昧な思想や歪曲された不自然な思想、動揺常 ならぬ思想を次々と丹念に繰り広げて行く。また多くは偽装のために薄明を愛する。したがって、その文章には明確さ、非の打ちようのない明瞭さがかけてい る。そのため我々はただちに、彼が原稿用紙をうずめるために書くという事実に気づく。
・ 望むべき書き手は執筆に取りかかる前に思索を終えている。彼らが書くのはただすでに考え抜いたからに過ぎない。望むべきでない書き手は、考えずに書く。つ まり記憶や思い出を糧にして、あるいは直接他人の著書を利用してまで、ものを書く。また書きながら考えるものもいる。彼らは書くために考える。
・ 少数の中でも、さらにきわめて少数の著作家は、事柄そのものから思索の刺激を受け、その思索は直接事柄そのものに向かう。このような人たちの間にのみ、永遠の生命をもつ著作家を見出すことができる。
・ 執筆すべきテーマの素材を自分の頭脳から取り出す者だけが、読むに値する著作家である。
・ 書名は手紙のあて名にあたるべきものであるから、先ずその内容に興味を持ちそうな読者層に、その書物を送付する目的をもつはずのものである。だから、書名 は独自の特徴をそなえるべきである。また短いことが書名の命であるから、きわめて簡潔で蘊蓄豊かであるべきで、その上なるべくその本の内容に対して花押の 役を果たさなければならない。
・ ひとつの思想の真の生命は、思想がまさに言葉になろうとする地点に達するまで持続するに過ぎない。その地点で思想は石と化し、その後は生命を失う。だが化石した太古の動植物のようにその思想は荒廃を免れる。我々は思想のつかの間の生命を、まさに結晶せんとする瞬間の結晶体の命に比することができる。
・ 何事も悪とみなさない者は、何事も善とみなさない。・・・つづく

『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)

『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)を読んで-No.1

2009-12-18 08:47:08 | 書評
この本は、1851年に書かれた本である。古臭さはまったく感じない。まるで昨日出版されたようにも感じる。文体は簡潔明瞭、しかも高雅である。こういう文章はなかなか見かけない。著者の筆致は時に辛らつで攻撃的でありながら、真理をついているためいやらしさがない。百数十ページ3編の小冊子でありながら、中味は一文字の無駄もなく大変味わい深く啓発に富んでいる。まさに時代を超えて生き残ってきた古典を読むべき、を地で行っている。

5回ほどにわけて掲載していくが、今回は「思索」。思索するために読書はどう位置づけるべきか、思索をどう行っていくのか、どう形成されていくのかが、偉大な哲学者から披瀝される。

思索
・ いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。
・ 多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る。
・ もともとただ自分のいだく基本的思想にのみ真理と生命が宿る。我々が真の意味で充分に理解するのも自分の思想だけだからである。書物から読み取った他人の思想は、他人の食べ残しに過ぎない。
・ 自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理に百倍もまさる。
・ 思索の意思があっても思索ができるわけではない。机にむかって読むことならば日常茶飯事である。だがさらに考えるとなるとまったく別である。すなわち思想と人間とは同じようなもので、勝手に呼びにやったところでくるとは限らず、その到来を辛抱強く待つほかない。外からの刺激が内からの気分と緊張に出会い、この二つが幸運に恵まれて一致すれば、対象についての思索は自然必然的に動き出す。だがまさにこの特殊な経験は決して世間普通の人々を見舞いはしない。
・ 我々は無理やり考えようとすべきではなく、自然に気分的にもそうなる機会を待つべきである。そういう気分は思いがけず、繰り返しわいてくるものであるが、気分はそのつど異なりながら、異なった角度から当の問題に照明を投げかける。そのゆるやかな経過こそいわゆる決意の成熟というものにあたる。なぜなら、問題を分割することはどうしても必要で、先に見落とされていたいくつかのことにもこの分割によってあらためて気がつくしその事柄をはっきりと注視するにつれて、多くの場合、いよいよその有益な点が目立ってくるため、嫌悪の気持ちも消えうせるからである。
・ 真の才能に恵まれた頭脳の持ち主であれば、誰の作品でも平凡な人々の著作から区別されよう。すなわちその断固たる調子、確固たる態度、それに伴う明晰判明な表現方法がその特徴である。それというのもこのすぐれた人々は、散文や詩あるいは音楽というようにいろいろな形式をとるにしても、いったい何を表現しようとしているかを常に明確に知っているからである。


『読書について 他二編』ショウペンハウエル著(岩波文庫)


『バカの壁』養老孟司著(新潮新書)を読んで

2009-12-17 08:47:14 | 書評
この本は大ベストセラーとなった本だが、申し訳ないが、タイトルで売れたのではないかと思う。中味はそれほど新鮮味のあるものでもない。また、ぜひ吸収すべきほどのことが書かれているわけでもない。

この本は書き下ろしというより、新潮社編集部の人たちが、著者の独白を文章化したものだそうだ。タイトルは、著者が20年前に書いた「形を読む」から取ったものという。なにやらみんな寄せ集めという感じがしてくる。

もちろん中味に引かれて買う人もいるのだろうが、この本がベストセラーになった背景は、タイトル、マス・メディアの取り上げ、波状効果、その循環という経路をたどったのではないか。それでもいくつか、これはと思ったことを一応上げておこう。

・ 私たちには、もともと与えられているものしかない。
・ 万物は流転する。人間は寝ている間も含めて成長なり老化なりをしている。逆に流転しないものは何か。実はそれが「情報」なのだ。
・ 三分の一は寝ているのだが、この部分をきちんと考慮して上げなければならない。
・ 人間は悩むのが当たり前で、生きている限り悩むものです。

『バカの壁』養老孟司著(新潮新書)