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『星の王子さま』サン=テグジュベリ著(新潮文庫)を読んで

2010-04-30 09:38:56 | 書評
名作シリーズの中には必ず出てきそうな子供向け寓話である。1943年に出版され、これまで世界中で5000万部にも達する大ベストセラーだ。はずかしながら今まで読んでいなかったので、読んでみた。

すぐにファンタジーの世界が広がる。親がベッドの中で子供に読んであげるのにちょうどいいようなトーンだ。ストーリーは、サハラ砂漠に不時着したパイロットが目が覚めると、星の王子さまがいたというところから始まる。このパイロットは、まさにサン=テグジュベリの職業だ。このパイロットと星の王子さまの交流が、この物語の底流に流れているのだが、それはまさに、この本の献辞に書かれているように、テグジュベリとこの本を捧げた親友との友情が隠されているのだろう。

『星の王子さま』から織り成すファンタジーの世界は、おもわず子供が空想の世界に入り、夢を膨らませ、星の王子さまやこのパイロットに自分を重ね合わせるのが、想像される。親にとっても読ませたくなる、もってこいの物語だろう。それが、これまでベストセラーを続けるゆえんでもある。

その本当に平易な子供向け物語の中に、人生の真理のようなことばが出てくる。そのことばの重みは、子供向け物語の中に出てくるので余計に感じるのかもしれない。

以下あげるのは、キツネと王子さまの会話だ。


・   王子さま-友だち(になってくれる人)をさがしているんだ。『なつく』ってどういうこと?

    キツネ-それはね、『絆を結ぶ』ということだよ。
    
    王子さま-絆を結ぶ?

    キツネ-そうとも。きみはまだ、ぼくにとっては、ほかの十万の男の子と何も変わらない男の子だ。だからぼくは、べつにきみがいなくてもいい。きみも、別にぼくがいなくてもいい。きみにとってもぼくは、ほかの十万のキツネと何の変わりもない。でも、もしきみがぼくをなつかせたら、僕らは互いに、なくてはならない存在になる。きみはぼくにとって、世界で1人だけのひとになる。ぼくもきみにとって、世界で一匹だけのキツネになる...

・   キツネ-人間たちはもう時間がなくなりすぎて、ほんとうに何も知ることができないでいる。なにもかもできあがった品を、店で買う。でも友だちを売っている店なんてないから、人間たちにはもう友だちがいない。きみも友だちがほしいなら、ぼくをなつかせて!

    星の王子さま-どうすればいいの?

    キツネ-がまん強くなることだ。はじめは、ぼくからちょっとだけ離れて、こんな風に、草の中にすわるんだ。僕は横目でちらっときみを見るだけだし、きみもなにも言わない。ことばは誤解のもとだから。でも、日ごとにきみは、少しずつ近くにすわるようにして...
     
・ キツネ-きみが夕方の4時に来るなら、僕は3時からうれしくなっている。そしてとうとう4時になると、もうそわそわしたり、どきどきしたり。こうして幸福の味を知るんだよ!でもきみが来るのが行き当たりばったりだと、何時に心の準備をしたらいいのか、ちっともわからない・・・ならわしって大事なんだ。

・ 王子さま-ならわしって?

    キツネ-これもずいぶん忘れられてしまっている。ある一日を、他の毎日とちがうものにすること、あるひとときを、ほかの時間とはちがうものにすることだ。

・ キツネ-ものごとはこころで見なくては、よく見えない。いちばんたいせつなことは、目には見えない。

・ キツネ-きみのバラをかけがいのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。

・ キツネ-きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに責任がある。

なお、この本の挿絵は、サン=テグジュベリ自ら作成のもので、この物語と一体になっているようないい絵だ。


『星の王子さま』サン=テグジュベリ著(新潮文庫)

『歎異抄』(岩波文庫)を読んで

2010-04-28 15:36:31 | 書評
歎異抄は、親鸞の弟子唯円が著したといわれ、師の言葉を編んだものだ。題名の趣旨「歎異」は、親鸞の死後、その教えとは異なった教条が横行し、それを歎いて正しい教えを書き表したことからきている。

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
-この趣旨は、悪人こそ仏が救うべきものといっている。
阿弥陀の本願は、他力に頼る人に対するものであるとし、そもそも自力の限界を知らない善人を対象とするものではないという。

弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとすべし。...念仏にまさるべき善なきゆへに。悪をおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに。
-こういう教えを聞いて、その当時の衆生はずいぶん慰められ、励まされる思いだったことだろう。

親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまださふらわず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。
-これこそ、仏教の人間観として、念仏者の忘るべからざることである。念仏はまず縁あるものを済うために与えられたもので、父母の追善のために用いられるべきものではない。他力本願とはそういうものである。

他力本願を信じるものは、その指導者意識を棄てたものでなければならない。念仏の行者はみな同朋である。自然の教団は広大無辺である。
-親鸞は、師弟の関係を認めず、念仏を唱えるものは同朋だとする。師弟の意識を持ってはならず、教えるものに師の意識はなく、聞くものに弟子の喜びは深いという教団を目指す。

念仏者は無礙の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障礙することなし。
-信心は罪悪を解消して、その業報に悩むことなからしめ、念仏に対しては、その徳に並ぶ善はない。これが、衆生が救われる強い力を持っていないとなんでいえようか。

念仏を持って、わが善とし、わが行とするこころほど念仏の真義に反くものはない。念仏は自力の心を離れしめるものであり、他力自然にして行なわれるものである。
-この意は、念仏はただ阿弥陀にのみ唱えなさいといっているのだろう。

浄土往生の道は念仏のほかないと信じて、念仏もうしているけれども歓喜の情もうとく浄土を思慕するこころも薄い。こう思い惑っているのは唯円である。これに対し親鸞は、自分も同様だとして、それこそ本願念仏のありがたさが感じられるものと語るのである。親鸞は言う-念仏は我らを恍惚の境に導くものではない。現実の自身に目覚めしめるものである。信心のあこがれにあるのではない。人間生活のうえに大悲の願心を感知せしめるにあるのである。


以上が、歎異抄の親鸞の教えの部分(第1章-第9章)だ。


『歎異抄』(岩波文庫)

『生きることの意味-ある少年のおいたち』高史明著(ちくま文庫)を読んで

2010-04-27 08:42:55 | 書評
この本は、第二次大戦前から戦後にかけての在日朝鮮人少年(著者)の生い立ちの記だ。多感な小学生の時期、家庭や学校でのさまざまなつらい出来事を経験しながら、懸命に生きる。その感情が、手に取るようにわかるのは、淡々とした筆致ながら心をこめて書く作者の為せるものだ。

少年時代に、著者が経験したような感情やこころの揺れは、どの少年にもあるのは確かだが、それが程度の高い形で次から次へと繰り出されるのが、心を痛ませる。それが小説ではなく実際の生活の中のものなので、余計だ。

幼少での母の死、継母の子の死(ねずみに食い殺される)、在日一世の頑固な父との葛藤、兄の13歳での出奔、小学校での不良・暴力生徒としての烙印、父の目前での自殺未遂、朝鮮人長屋での極貧生活。

ひどく当たったり、汚い姿に眉をひそめる先生がいる中、きびしいながらも真に子供のことを思う先生との出会いとその後のふれあいの場面はしびれるものがある。言動を諌められ講堂で夜まで座らされたとき、先生にあやまり、そのあと先生がいった言葉、「そうか、金、よく言った、先生はうれしいぞ。」 少年にしてみれば始めて、外部で心底自分のことを思ってくれる人間を見つけた思いだったろう。その先生が急逝してしまうと落ち込み、またきらいな先生が戻り、少年の振る舞いも元に戻る。

この書に貫かれているのは、人のやさしさである。人のやさしさこそは、人間を生かして行く本当の力になる。それは人との出会いによる。この出会いのすべてが人生の糧になるという。

最後に、むすびに著者が書いたことばを記す。

―出会いのすべてから、人のやさしさを発見するとは限りません。出会いが、本当に人の出会いといえるにふさわしい出会いとなるには、人はなによりもまず、自分の人生をせいいっぱいに生きて、他人を、他の民族の人びとを、自分や自分の民族と同じように、大切にすることが必要です。

人は、そうしてこそ、その出会いから人のやさしさを発見し、さらには自分の人生とともに他人の人生をも、楽しいものにできるのです。そのためには、人は、いつも、自分をみつめるように他人をみつめ、他人をみつめるように自分をみつめながら、その心を豊かにして、その目をすんだものにしておくことが大切です。

いまのわたしは、まだとてもそのような心境になりえているとは言い切れないのですが、でも、いまなら、生きることを喜びとして、大声で叫ぶことができると思うのです。

生きるって、なんてすばらしいことなんだ!-

『生きることの意味-ある少年のおいたち』高史明著(ちくま文庫)

『まぐれ』ナシーム・ニコラス・タレブ著(ダイヤモンド社)を読んで

2010-04-26 09:05:48 | 書評
この本は、ある意味で痛快だ。人々にとって非常に痛いところを突かれるからだ。たとえば、証券トレーダー。彼らは、華々しい成績をある時期上げるが、これを単なるまぐれと片付ける。彼ら自身、自分の才能で上げたと思っているが、そのあと奈落の底の大損をし、即刻首という憂き目を見ることが多い。

著者は、サルでもまぐれで名作を書き上げることができるという。なぜかというと、無限大のサルをタイプライターの前に座らせて好きに叩かせると、確実に一匹はまぐれで名作を仕上げることがありうるからだ。確かに何兆匹のサルがいれば、偶然でタイプを叩いて名作を仕上げうる。要は、サルの数の問題という。このようなトーンで全編を貫いている。確かに、身を入れて読むに値する。考え方の根本が崩されかねない筆致だ。

・ 準備を怠らないからチャンスも生まれる! -前書きで、単なるまぐれでないことがある根拠として

・ まれにしか見られない「チャンスが訪れたとき」を捉えてこそ成功できる。運を味方につけろ!-同じ根拠で

・ リスクを避けようとするとき、合理的な考えは少ししか関係しないし、ほとんど関係ない。リスクを判断する活動は脳の考える部分ではなく、感じる部分で行なっている。

・ 知識を集めるとき、集め方に偶然の要素があることを認め、紛れ込んだ偶然の要素を議論から取り除かなければ、集めた知識を判断することはできない。単なる偶然の寄せ集めということがありうるのだ。

・ 能力が高いのに運の悪い人生を送ってきた人も、いつかは立ち直る。運がいいだけのバカは過去にいい目にあったかもしれないが、長い目で見ればそんなに運がよくないバカな人生に落ち着く。

・ 期間を短く取ると、ポートフォリオのリターンではなくリスクを観察することになる。見えるのはほとんどばらつきばかりで、何の意味もないことをしている。-問題は、われわれの感情が、そういうことをしているということを理解するようにできていないことだ。

・ 苦しみを喜びで相殺できない。(苦しみは喜びの2.5倍の衝撃力を持つという説に立って。)

・ 私の強みは、私が非合理で、偶然に振り回され、情緒に苦しみやすいという弱みを知っていることだ。

・ リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んでいて何に感動するかというと、文中に一本の方程式も出てこないのに、数学のことばで書かれたものを文章に翻訳したのではないかとさえ思えることだ。

・ 損をすると、長期投資家になる人がとても多い。自己否定をするのがいやで、(都合のいいように取り)ポジションを手放すのを先延ばしにしてしまう。

・ 一番金持ちな人は一番金持ちに見えない。

・ 金持ちデータの中には、相当運がよかっただけの人が含まれている。そしてそういう人たちはその後没落の道をたどるということがどこにも出ていない。

・ 人は自分が成功すると運の要素を認めないが、失敗した場合全部運のせいにする。

・ 現実は厳しく、線形で正の進歩なんてめったにない。1年勉強しても何にも身につかないけれど、結果が出ないことにうんざりして止めたりしなければ、ある日突然何かが訪れる。ただそれだけの精神的なスタミナを持っている人はめったにいない。

・ ゴールデン・タイムのテレビに登場する金融の専門家は、みてくれやカリスマ性、プレゼンテーションのうまさで選ばれるのだろう。絶対に頭がいいから選ばれるのではない。-よく確率の間違いをしでかす。

・ 著者の告白-私は自分が知っている誰よりも偶然にだまされやすいと思う。でも、私は自分がそういう点でとてもとても弱いことを知っている。

・ 私たちは、目に見えるものや組み込まれたもの、個人的なもの、説明できるもの、そして手にとって触れるものが好きだ。私たちのいいところ(美意識や倫理)も悪いところ(たまたまなのにその気になる)も、みんなそこから湧いて出ているように思う。


『まぐれ』ナシーム・ニコラス・タレブ著(ダイヤモンド社)

『クルーグマンの視座』ポールR. クルーグマン著(ダイヤモンド社)を読んで

2010-04-23 08:45:06 | 書評
この本は、2008年ノーベル経済学賞受賞者の論考集だ。3つの論考とも1990年代のものであることが若干残念だが、そのあとの過程をみると、クルーグマンの視座がいかに正しかったかがわかり、あらためてその見方が、経済学の基本にしっかりと根ざし、周りに左右されないで自分の考え方を貫いているものであるかがわかる。

そこがクルーグマンの真骨頂であり、同時代の経済学者さえその慧眼と透徹した考え方に傾聴する姿が浮かぶのだ。この本の中で主張している主なものをあげる。そしてそれが如何にその後の過程を見るとき、正しい見方だったかがわかる。

・ アメリカ経済がITバブル真っ只中にあり、ニュー・エコノミー論はなやかなりし頃、はっきりこういっている。「アメリカ経済がニュー・エコノミーの時代にはいったとは思わない。労働生産性の構造的上昇は見られない。」

・ 発展途上国の成長がアメリカの脅威になるという議論(特にレスター・サローの「大接戦」を槍玉に挙げている)に対しても、「アメリカ経済のグローバル化は限定的なものである。先進国全体を見ても発展途上国からの製品輸入は極めて少ない」「発展途上国の成長は、総体的に世界の富を増し、先進国にとっても恩恵のあるものである。」と論陣を張った。

・ ビジネスの経営者が、経済のことをいうと間違いだらけのことを平気でいう。政治家や経営者は、経済のことを、自分の実績を誇張するような調子で言いまくるが、ちんぷんかんぷんのことが多い。

・ 経済はむずかしく、経済の専門家に任せたほうがいい-ブッシュ批判の急先鋒であることもうなずける。
-小生も経済はむずかしいということがあらためて納得できた。経済についてコメントしているのを聞いたり、書いてあるレポートを読んでもよくわからないことが多いが、そもそもちんぷんかんぷんのコメントやレポートの可能性があるわけだ。

・ ケインズはこういっている。「信じてもらえないかもしれないが、経済は非常に専門的でむずかしいテーマなのだから、経済学者にまかせてほしい。」それをあげながら、クルーグマンは「ケインズが言っているように、経済学は非常にむずかしい学問である。」という。

・ クルーグマン-ビジネス階層が経済問題を論じているのに出会ったら、ぜひ自らにこう問いかけてほしい。「彼らはきちんと時間をかけて勉強したのだろうか、専門家の著作を読んだのだろうか。」もしそのように見えなければ、どれほどの成功者だろうと気にすることはない。彼らの意見など無視すればいい。おそらく、自分で自分が言っていることがよくわかっていないはずだから。
-痛快だ。小生も自信を取り戻した次第だ。それだけで、この本を読む価値がある。


『クルーグマンの視座』ポールR. クルーグマン著(ダイヤモンド社)

『ロシア・ショック』大前研一著(講談社)を読んで

2010-04-22 09:48:45 | 書評
2,3日前に読んだ『ロシア人しか知らない本当のロシア』のあとこの書を読むと、またずいぶん風景が違ってくる。まるでロシア進出促進ガイドのような響きがあり、かなりロシア寄りという印象がぬぐえないが、今後のロシアを見通す上で、著者の視点は押さえておくに十分の価値がある。

それにしても、大前研一氏の行動力、情報収集力、洞察力には頭が下がるものがある。この面では、日本でも出色の存在だ。

ロシアを奇跡的に復活させたプーチンが、4年間は表向きメドベージェフに大統領の座を譲るが、4年後に大統領に返り咲き、その後2期8年務めると著者は見ていて、実質的に今後12年間、2020年まではプーチンはロシアの権力者として「強いロシア」の復権を目指して君臨するとしている。その間にロシアはさらに変貌し、政治的にも経済的にも世界に大きな影響力を与える存在になっていく。それは世界にとって、まさに「ロシア・ショック」と呼ぶにふさわしい大きな衝撃となるとしている。この本のタイトルの背景にある考え方だ。

それをベースに、この本で得た主なポイントを記してみる。

・ プーチンが2001年以降所得税を一律13%にすると、いわゆるブラックマネーが一気に表に出てきて、かえって大幅に税収が増えた。それまでは脱税は当たり前、得た資金はマネーロンダリング的に海外へ逃避という状態だったのが、がらっと変わった。

・ ロシアの教育水準は、きわめて高い。ロシア各地で、大学がロシア最大の産業。

・ 食品でもっとも伸びているのはビールで、若者を中心にウォッカからビールに「かっこよさ」もあり切り替える人が増えている。

・ ロシア人は無条件に日本人が好き。日本人の8割がロシアに親しみを感じないといっているのと対照的だ。ロシア人は日本の製品が大好きで、日本文化への関心も非常に高い。アニメ・ゲームは若者に大人気。村上春樹は、ロシアでもっとも読まれている作家の第2位に入っている。

・ 現在は、エネルギー産業のまえにやや存在感がうすいハイテク・IT産業がロシアの最成長分野。ソ連時代の軍事・航空産業の膨大な遺産がある。ロシアのハイテク・IT産業のポテンシャルはきわめて高い。

・ ロシアとインドの新卒IT技術者数は、05~06年25万人でほぼ拮抗。

・ 今ロシアの経営者の多くは、欧米などの大企業に負けないガバナンス構造や経営能力を身につけようと懸命に勉強している。

・ 一度地獄を味わったロシアは強い。ロシアは一気にアメリカやヨーロッパ、日本と同じ民主主義、資本主義にしてしまったため、ひっくり返り方が大きかったが、中国のような擬似資本主義の抱える問題がない。

・ 旧ソ連から独立した国では、ロシア人は虐げられる。

最後に、北方領土の問題はほどほどにして、シベリアや極東の資源開発、観光開発など相対的なビジネス実利を取ったほうがいいという大胆な考え方を主張している。この点はやや違和感があるが、一つの考え方として受け止めたい。

『ロシア・ショック』大前研一著(講談社)

『夜と霧』V.E.フランクル(みすず書房)を読んで

2010-04-21 09:13:27 | 書評
この本は、ドイツ強制収容所の体験記録として有名な書だ。少壮の心理学者が、その実体験を述べながら淡々と言葉を進めていき、収容所での凄惨さや人間の極限状態での心理や行動を明らかにしていく。著者自らが体験したアウシュビッツ収容所の実態は、広く一般に知るところとなった。この書の前半部分は、収容所での生活や労働について書かれているが、この書が特に秀でているところは、そういう極限状態における人間の心理や精神状態を、世界的な心理学者になった著者が、極めて深く分析していることだ。

精神面・肉体面でこれだけ長期間にわたり極限状態を続ける人間の分析を、その当事者でもある心理学者が書くのだから、説得力がある。この本の著者から発せられることばは、人間の生き方として心の持ち方として学ぶべきことは多い。


・ 愛は結局人間の実存が高く翔り得る最後のものであり、最高のものである。たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、人間は-瞬間であれ-愛する人間の像の心の底深く身を捧げることによって浄福になり得る。-離れ離れとなった妻を思いながら

・ 私は次のことを知り、学んだのである。すなわち愛は、独りの人間の身体的存在とはどんなに関係薄く、愛する人間の精神的存在とどんなに深く関係しているかということである。

・ 人が彼から最後の息を引き取るまで奪うことのできなかった人間の精神の自由を、また彼が最後の息を引き取るまで彼の生活を有意義にする機会を彼に見出さしめたのである。

・ いちじるしく困難な外的状況こそ人間に内面的に自らを超えて成長する機会を与える。-著者は、多くの囚人はこう思わず、現在の存在を真面目に受け取らず、それをある重要でないものに貶め、過去の生活に思いを寄せることによって現在の前でも目を閉じるのがよいと考えるとしている。そしてそれが、多くの囚人のごとく貧しい生存をするか、あるいは少数のまれな人々(囚人)のごとく内的勝利を得るかの違いとなる。

・ 『「苦悩」という情緒はわれわれがそれに関して明晰判明な(別の)表象をつくるや否や消失してしまう』エチカ-極限状態でもこうして耐えたと著者は言う。

・ 『なぜ生きるかを知っている者は、ほとんどあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ』ニーチェ

・ 人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行なうことに対する責任を担うことに他ならないのである。

・ 唯一つで一回的である人間の運命は、この具体性を伴っているのである。如何なる人間、如何なる運命も他のそれと比較されえないのである。

・ 人間は苦悩に対して、彼がこの苦悩に満ちた運命と共にこの世界でただ1人1回だけ立っているという意識にまで達せねばならない。-何人も彼の代わりに苦悩を苦しみぬくことはできない。

・ 『苦悩の極みによって如何に昴められし』リルケ-全くわれわれにとって苦悩し抜くこと、「苦悩の極みによって昴められ」得ることは充分あったのである。

・ 待っている仕事、あるいは待っている愛する人間、に対して持っている責任を意識した人間は、彼の生命を放棄することはできないのである。

・ 彼はまさに彼の存在の「なぜ」を知っているのであり-したがってまた「ほとんどいかなる如何に」耐えうるのである。


『夜と霧』V.E.フランクル(みすず書房)

『生きがいについて』神谷美恵子著(みすず書房)を読んで

2010-04-20 09:12:23 | 書評
著者、神谷美恵子は、らい病患者が入所する長島愛生園に12年間精神科医として勤務する。そして、患者たちの思い、人生への向き合い方、生きがいなどをつぶさに体験する。一生この施設から出ることができないであろう人たちの精神や心理を探究することを、ライフワークとした人物だ。戦前に津田塾を卒業、コロンビア大学に留学、1944年に東京女子医専を卒業するという才女でもあったが、相当な学究に打ち込んだあとは、この書の中に見える。この書の底流には何か暖かさを感じるものがあり、人間に対するかぎりない崇敬の念やたゆまぬ学究に裏付けられた奥行きとゆとりを感じるのである。

・ 人間はみな多かれ少なかれ漠然とした使命感に支えられて生きているのだといえる。それは自分が生きていることに対する責任感であり、人生においてほかならぬ自分が果たすべき役割があるのだという自覚である。

・ 未来がひろびろとひらけ、前途に希望の光があかるくかがやいているとき、その光に目を吸いつけられて歩く人は、過去にどのようなことがあったにしても、現在がどんなに苦しいものであっても、「すべてはこれからだ。」という期待と意気込みでこころにはりをもって生きていくことができる。

・ ひとは自己の精神の最も大きなよりどころとなるものを、自らの苦悩の中から創りだしうるのである。

・ 知識や教養など、外から加えられたものと違って、この内面から生まれたものこそいつまでもその人のものであって、何者にも奪われることはない。

・ 聖フランシスの『小さき花』にあるとおりである。「苦しみと悲しみの十字架こそわれわれの誇りうるものである。なぜなら『これこそわれらのもの』であるから。

・ 避けられない苦しみや悲しみを安易にごまかしてしまわず、耐え難い生を何とか持ちこたえるためには、結局その当座はストア的な抑制と忍苦の力が要る。・・・忍耐を通してのみ到達される精神の深みというものがある。

・   苦しみを通して得られた知的満足は、何もかもはじめからそろって与えられている人の場合とは、比べものにならないほど鋭く、純粋なものに違いない。これこそ生きがい感と呼んでよいものであろう。

・ 不幸な時はできるだけしずかにしているほうがいい。―プラトン

・ 私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしている限り、人生は私にとって耐えられないものでありました。そして私がその中心をほんの少しでも自分自身からはずせることができるようになった時、悲しみはたとえ容易に耐えられるものではないにしても、耐えられる可能性のあるものだということが理解できるようになりました。―パール・バック

・ 自分のかなしみ、または悲しむ自分に注意を集中している間は、悲しみから抜け出られない。

・ 在りし日の幸福を思い出すことはそれだけ現在の不幸な感じを強めるだけだ。-ダンテ


『生きがいについて』神谷美恵子著(みすず書房)

『ロシア人しか知らない本当のロシア』井本沙織著(日経プレミアシリーズ)を読んで

2010-04-19 09:12:35 | 書評
ロシアの実態についていまひとつ知識・情報不足のため、手始めに読んでみた。著者は白系ロシア人で日本に帰化し日本名に改名した。表紙写真で見ると素敵な女性だ。

ソ連崩壊あたりから通貨危機をへて最近までのロシアの推移を報道等で見るとめまぐるしいものがあるが、いまひとつ突っ込んだ情報がなく知識不足を感じていた小生だが、この本を読んでみると、すとんと落ちる感じがして楽しく読めた。

リーマンショック前の時点の記述でやや時が経過した感もあるが、知らなかった興味深いデータや情報は次のようなものだ。

・ 2007年、モスクワは世界一生活費が高い国になった。ビジネスマンがホテル一泊すると6万円、2人でアルコール抜きの普通の食事をすると2万円。

・ 消費者金融で気軽に借金して買い物をし、クレジット消費ブームに沸いている。

・ ロシアの銀行インフラの実態はお粗末で、収益構造にも偏りが目立つ。

・ 2007年時点の不動産バブルはいちじるしい。近郊の175㎡マンションが2億4000万円。

・ 98年の通貨危機は、厳しいIMF管理下での貨幣不足が原因。短期国債利回りは100%超に、銀行預金は紙くずに、インフレは84%まで上昇。98年8月にはデフォルト(債務不履行宣言)を宣言。ロシア政府と緊密に連携して進めてきたIMFの急速な市場改革の失敗によるところ大。

・ 石油こそロシアのすべて。99年になると石油価格が上昇し、経済は急速に好転し、2年で膨らむ財政黒字の使い道に困るほどに。

・ ロシアは日本を上回る人口減少国。平均寿命は男性59歳、女性は72.4歳と男性は格段に低い。1965年から40年で男性の寿命は5歳短くなった。その原因はひとことでウォッカの飲みすぎ。

・ 行政手続きの非効率と官僚の汚職は深刻で、経済発展の阻害要因として不変の第一位。

・ ロシアの経済は石油依存体質。輸出に占めるエネルギーのシェアは2000年の53%から06年には65%まで拡大。国家政策優先度第1位のハイテク産業への投資割合は逆に減少。

・ イノベーションの発展を国家政策とする発想、戦略は正しい。しかしロシア人は計画の立案は得意だが、計画の実現は得意ではない。実現しなくても気にしない。

・ 国策会社、国営銀行の経済構造が主のロシア経済。政府が資金力や権限の面で民間を圧倒する莫大な事業意欲を持っている。このこと自体が、経済インフラの脆弱さを物語る。

ロシアの経済構造は、資本主義という観点で見れば世界でもまったくの異質だ。中国よりも国家関与が強い。この国の先行きは政治・経済両面で、非常に興味深いものがある。


『ロシア人しか知らない本当のロシア』井本沙織著(日経プレミアシリーズ)

『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』J.M.バーグマン著(Japan Book)を読んで

2010-04-16 09:06:51 | 書評

この本を小生がなぜ読む気になったかというと、一通りアメリカの歴史をきちんと学んでおきたいという気持ちが前からあったからだ。それで、小学生レベルの歴史を?といわれると元も子もないが、ぱらぱらめくってみると、日本人がアメリカの歴史を理解するレベルとしては十分な内容だと思う。アメリカの歴史ともなると何百ページの大作となりがちだが、一通り理解するとなれば、この書のレベル(実質140ページ)程度で十分だ。

また小学生用の教科書だから、挿絵や写真がたくさん入っていて読んでいて面白いし、楽しい。この本のもう一つの特徴は、英語と日本語が左右のページに対訳となっており、英語を勉強したい人も利用価値がある本だ。日本人でもこの英語がわかりやすいのは、まさにアメリカの小学生用に書かれたものだからだ。

教科書であるため、ものすごい感動とか啓発されるという感覚は乏しいのだが、読んだ目的であるアメリカの歴史を理解するという面では、達成されたと感じている。われわれ日本人が本当にアメリカの歴史を知っているかというと、ほとんどの人が知らないだろう。現在のアメリカの行動、考え方などの底流には、これまでの積み上げられた歴史が深くかかわっているのだから、一度手にとって読んでみる価値は十分ある。


『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』J.M.バーグマン著(Japan Book)