京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

舞姫現代語訳6

2017-02-02 12:48:15 | 日記
『舞姫』現代語訳  第六段落    金澤 ひろあき
【要旨】孤立する太田
(ポイント} 太田の自己分析  自分の弱さの自覚
       繰り返し出る語『勇気』がポイント
 あの人達は、私がいっしょにつきあってビールの杯をあげず、玉突きのキューをも取らない(遊ばない)のを、かたくまじめな心と欲を自制する力のせいにして(つまりオカタイくそまじめな奴ということ)、あざけりつつねたんだようだ。けれど、これは私という人間を知らないからである。ああ、この理由は、わが身さえ知らないのを、どうして他人に知られるはずがあろうか。私の心は、あのネムの木の葉に似て、物がさわれば縮んで避けようとする。私の心は、処女に似ている。私が幼いころより、年長者の教えを守って、学問の道をたどったのも、官僚の道を歩んだのも、みな勇気があってやったのではなく、忍耐勉強の力と見えたのも、みな自分をあざむき、人をさえあざむいていたのであって、人がたどらせた道を、ただ一筋にたどっただけである。よそに心が乱れなかったのは、外の環境を捨ててかえりみないほどの勇気が、あったわけではない、ただ外の環境を恐れて自ら自分の手足を縛っただけだった。故郷を離れる前にも、自分が前途有為の人物(有能な人物)であることを疑わず、またわが心がよく耐えられることをも深く信じていた。ああ、それも一時のことであったのだ。船が横浜を離れるまでは、あっぱれ豪傑と思っていたわが身も、こらえきれない涙にハンカチをぬらしたのを、自分ながら変だなと思ったが、これがかえってわが本性だったのだ。この弱い心は、生まれながらであったのだろうか、または、早くに父を亡くして母の手に育てられたことによって生じたのであろうか。
 あの人々(同郷の留学生たち)があざけるのは当然のことである。しかしねたむのは愚かではないだろうか。この弱くふびんな心を。
 赤く白く顔を化粧して、輝くような色の衣服を身につけ、カッフェに座って客をひく女を見ても、行ってこれと遊ぶ勇気がなく、高い帽子を頭にかぶり、プロシアでは貴族みたいな鼻音でものを言うレエベマン(遊び人 ヤンキーの兄ちゃん)を見ても、行ってこれと遊ぶ勇気がない。これらの勇気がなかったので、あの活動的な同郷の人々と交際する方法もない。この交際が疎遠なために、あの人々は私をあざけり、私をねたむばかりではなく、また私のことを疑うこととなった。これが私が身に覚えのない無実の罪を得て、わずかな間に計り知れない苦労を味わいつくすことになった原因となったのであった。

【ポイント 太田の自己分析】
他の日本人留学生とのトラブル
【誤解】
 他の日本人留学生の考え
 太田・・つきあいの悪さ 遊ばない
    理由・・かたくまじめな心と欲を自制する力を持つ。ガリ勉で秀才だからだ。 
【真相】
 本当は勇気がない。弱い心。だから、遊べない。冒険ができない。
 その具体例 
①ドイツ留学に出発する時、涙が止まらない。
②ベルリンの町の売春婦も無視。
③レエベマン(ヤンキーの兄ちゃん)とも遊ばない。
④日本人留学生達とも交際できない。人とつきあえない。逃げ込むようにひたすら勉強。 これが誤解のもととなる。


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