京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 一

2024-09-08 08:08:17 | 俳句
松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 
                金澤ひろあき
一 風狂の論
 多くの骨と九つの穴からなる私の身体の中に心という物がある。仮に名づけて風羅坊(風に破れやすいうすもの・芭蕉葉の破れやすいにもたとえる)という。本当にうすものが風に破れやすい事を言うのであろうか。
 彼(実は芭蕉)は風狂の句を長く好んでいる。ついに生涯の仕事とした。
 ある時は飽きて風狂の句を捨て去る事を思い、ある時は(職業俳人の道に)進んで勝つ事を誇り、あれこれ思い悩んで、風狂の句のために身が平安でなくなった。一時は仕官して立身出世する事を願ったけれども、風狂の句のためにさえぎられ、一時は学問を修めて自分の愚をさとることを思ったけれども、風狂の句のために破られ、ついに無能無芸のままで、ただこの風狂の句の道一筋につながっている。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その一貫した根本の精神は一つである。
 しかも風雅な俳諧におけるものは、万物生成の原理(造化)にしたがって四季の変化を友とする。したがって、見るところ花の風雅でないということはない。思うところは月の風雅でないということはない。
 外の像(かたち)が花の風雅に見えない時は、野蛮人と同じだ。心が花の風雅でない時は、鳥獣と同類だ。野蛮人の域を出て、鳥獣の同類状態を離れ、万物生成の原理に従い、万物生成の原理に帰れとある。