京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
俳句 冠句 自由律 詩 エッセイなど同好の人たちと交流

松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳  七 吉野へ杜国と

2024-09-13 19:20:27 | 俳句
松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 
        金澤ひろあき
七 吉野へ杜国と
 陰暦三月中頃過ぎに、そぞろに浮かれ心の花が、私を導く枝折(道しるべ)となって、吉野の花見にと決心すると、あの伊良湖崎で約束しておいた人(杜国)が伊勢に出て来て迎え、共に旅寝の情緒を体験し、また一方では私のために仕える侍童となって、道中の手助けにもなろうと、自ら侍童風に「万菊丸」と名乗る。本当に子どもらしい名の様子は、とても趣興がある。さあ、旅立ちのお遊び事をしようと、笠の内に落書きをする。
 乾坤無住同行二人
  吉野にて桜見せうぞ桧笠
  吉野にてわれも見せうぞ桧笠  万菊丸
 旅の道具の多いのは道中の邪魔であると、物を皆払い捨てたけれども、夜の寝具にと紙子ひとつ、合羽のような物、硯、筆、紙、薬など、昼の弁当などの物を包んで後ろに背負ったので、もともと足が弱く力が無い身が、後ろのほうへ引っ張られるようで、道はさっぱり進まず、ただ物憂い事ばかりが多い。
  草臥れて宿かる頃や藤の花
 初瀬(長谷寺)
  春の夜や籠り人ゆかし堂の隅
  足駄はく僧も見えたり花の雨  万菊
 葛城山
  なほ見たし花に明け行く神の顔
 三輪山
 多武峯
 臍峠 多武峯より龍門へ越す道である。
 龍門
  龍門の花や上戸の土産(つと)にせん
  酒のみに語らんかかる瀧の花
 西河(にじっこう)
  ほろほろと山吹ちるか瀧の音
 せいめいが瀧
 布留の瀧は布留の宮より二十五丁山の奥である。
 摂津の国、生田の川上にある 布引の瀧
 大和(注 誤り。実は摂津)箕面の瀧 勝尾寺へ超える道にある。
 桜
  桜がりきどくや日々に五里六里
  日は花に暮れてさびしやあすならふ
  扇にて酒くむかげやちる桜
 苔清水(とくとくの清水)
  春雨のこした(木下)に伝ふ清水かな
 吉野の花に三日とどまって、あけぼの、黄昏のありさまに向かい、有明の月のしみじみとしたありさまなど、心に迫り胸に満ちて、ある時は摂政公藤原良経の詠歌に心奪われ、西行の枝折の歌のように、まだ見ない方の花を訪ねようと迷い、あの貞室の「これはこれはとばかり花の吉野山」と感動をぶちまけて書いているのに、私は言う言葉もなくて、むなしく口を閉じている。句が出来ないのがとても残念だ。決心した風流はものものしいですけれども、ここに至って趣向の無い事である。
 高野
  父母のしきりに恋し雉の声
  散る花にたぶさ恥づかし奥の院  万菊
 和歌の浦
  行春に和歌の浦にて追ひ付きたり

 陰暦三月中頃過ぎに、そぞろに浮かれ心の花が、私を導く枝折(道しるべ)となって、吉野の花見にと決心すると、あの伊良湖崎で約束しておいた人(杜国)が伊勢に出て来て迎え、共に旅寝の情緒を体験し、また一方では私のために仕える侍童となって、道中の手助けにもなろうと、自ら侍童風に「万菊丸」と名乗る。本当に子どもらしい名の様子は、とても趣興がある。さあ、旅立ちのお遊び事をしようと、笠の内に落書きをする。
 乾坤無住同行二人
  吉野にて桜見せうぞ桧笠
  吉野にてわれも見せうぞ桧笠  万菊丸
 旅の道具の多いのは道中の邪魔であると、物を皆払い捨てたけれども、夜の寝具にと紙子ひとつ、合羽のような物、硯、筆、紙、薬など、昼の弁当などの物を包んで後ろに背負ったので、もともと足が弱く力が無い身が、後ろのほうへ引っ張られるようで、道はさっぱり進まず、ただ物憂い事ばかりが多い。
  草臥れて宿かる頃や藤の花
 初瀬(長谷寺)
  春の夜や籠り人ゆかし堂の隅
  足駄はく僧も見えたり花の雨  万菊
 葛城山
  なほ見たし花に明け行く神の顔
 三輪山
 多武峯
 臍峠 多武峯より龍門へ越す道である。
 龍門
  龍門の花や上戸の土産(つと)にせん
  酒のみに語らんかかる瀧の花
 西河(にじっこう)
  ほろほろと山吹ちるか瀧の音
 せいめいが瀧
 布留の瀧は布留の宮より二十五丁山の奥である。
 摂津の国、生田の川上にある 布引の瀧
 大和(注 誤り。実は摂津)箕面の瀧 勝尾寺へ超える道にある。
 桜
  桜がりきどくや日々に五里六里
  日は花に暮れてさびしやあすならふ
  扇にて酒くむかげやちる桜
 苔清水(とくとくの清水)
  春雨のこした(木下)に伝ふ清水かな
 吉野の花に三日とどまって、あけぼの、黄昏のありさまに向かい、有明の月のしみじみとしたありさまなど、心に迫り胸に満ちて、ある時は摂政公藤原良経の詠歌に心奪われ、西行の枝折の歌のように、まだ見ない方の花を訪ねようと迷い、あの貞室の「これはこれはとばかり花の吉野山」と感動をぶちまけて書いているのに、私は言う言葉もなくて、むなしく口を閉じている。句が出来ないのがとても残念だ。決心した風流はものものしいですけれども、ここに至って趣向の無い事である。
 高野
  父母のしきりに恋し雉の声
  散る花にたぶさ恥づかし奥の院  万菊
 和歌の浦
  行春に和歌の浦にて追ひ付きたり


松尾芭蕉 『笈の小文』口語訳 六 伊勢へ

2024-09-13 09:49:33 | 俳句
松尾芭蕉 『笈の小文』 口語訳 
        金澤ひろあき
六 伊勢へ
 伊勢山田
  何の木の花とはしらず匂ひかな
  裸にはまだ衣更着(きさらぎ)の嵐かな
 菩提山
  この山のかなしさ告げよ野老掘(ところほり)
 龍尚舎
  物の名を先づとふ芦の若葉かな
 網代民部雪堂に会う
  梅の木になおやどり木や梅の花
 草庵の会
  いも植えて門は葎の若葉かな
 神域の内に梅が一本もない。何か理由がある事だろうかと神主にたずねますが、ただ何とはなしに自然に梅が一本もなくて、物忌みの子良(こら)の館の後ろに一本ございますと言う事を語り伝えている。
  御子良の一もとゆかし梅の花
  神垣や思ひもかけずねはん像