京都童心の会

ほっこりあそぼ 京都洛西の俳句の会
代表 金澤 ひろあき
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松尾芭蕉 『鹿島詣』現代語訳   一 鹿島まで

2024-06-03 13:06:05 | 俳句
松尾芭蕉 『鹿島詣』現代語訳
           金澤ひろあき
一 鹿島まで
 京都の貞室が、須磨の浦の月見に行って、「松蔭や月は三五や中納言」と言った、風雅に徹した男の昔も懐かしく思ううちに、この秋(貞享四年八月)、鹿島の山の月を見ようと思い立つことがある。
伴う人は二人、浪人が一人(曽良)、もう一人は雲水の僧(宗波)。僧はカラスのような墨の衣に、僧の三衣(大衣、七条、五条の三種の袈裟)を襟に打ち掛け、釈迦出山の尊像を厨子にあがめて入れて後ろに背負い、行脚の杖を鳴らして、禅宗で説く無門の関も妨げるものなく、天地に独歩して出発する。もう一人は(芭蕉を指す)、僧でもなく俗人でもなく、鳥とねずみの間に名をこうむるこうもりが、鳥のいない島(鹿島)に亙るべく、芭蕉庵門前より舟に乗って、行徳(千葉県市川市)という所に至る。
舟を上がると馬にも乗らず、細い足の力をためそうと、徒歩で行く。甲斐の国(山梨)よりある人が贈ってくれた桧(ひのき)で作った笠を各人がかぶり旅装をし、八幡という里を過ぎる。鎌谷(かまがい)の原という所に広い野がある。秦の王都の一千里とか漢文で言うように広々として、目もはるかに見渡せる。筑波山が向こうに高く、二つの峰が並び立っている。あの唐土に双剣の峰があると名高いのは、廬山(ろざん)の一隅である。
  雪は申さず先むらさきの筑波かな
と詠んだのは、わが門人嵐雪の句である。まったくこの山は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の言葉(「にひばり筑波を過ぎて幾夜か寝る」)を伝えて、連歌をする人の始祖と名付けている(つくばの道)。
 和歌を作らなければ許されない、句を作らなければ通り過ぎてはならない。本当に愛すべき山の姿であることだよ。
 萩は綿を敷きのべたようで、橘為仲が(陸奥守の任が終わり都へ帰る時、宮城野の萩の枝を)長櫃(ながびつ)に折り入れて、都へのみやげに持たせたのも、風流で奥ゆかしい。ききょう、女郎花、かるかや、すすきが乱れあって、牡鹿が妻を恋い続けるのも、とてもしみじみとした趣がある。
 野に放し飼いにしてある馬が得意顔に群れ歩いているのもまた趣がある。
 日がすでに暮れかけている頃に、利根川のほとり布佐という所に着く。この川で鮭の網代というものをしつらえて、江戸の市に売る者がいる。宵の時刻に、その漁師の家に入り休息する。夜の宿は『白氏文集』にも書かれているようになまぐさい。月は影なく晴れている時に、夜舟で棹さして鹿島に至る。