中越大震災で大規模な土砂崩れに母子が巻き込まれ犠牲になった現場で県道の災害復旧工事が始まった。
ここは長岡市と小千谷市の境。
この場所は一般に長岡市・妙見と呼ばれているが小千谷市民の私たちにとっては小千谷市・浦柄といったほうがピンとくる。
東山への入り口となるとても大切な場所だ。
これは今日の夕方撮った写真。
ガードレールは垂れ下がったまま。
信濃川に崩落した道路はそっくりそのままあの日のままの形だ。
対岸の三仏生から越の大橋からこの光景はまる見えで、このあたりに住んでいる方にとっては広島の原爆ドームを毎日見ながら暮らしているようなものだといっても過言ではない。
どうやらここがメモリアル拠点になるらしい。
長岡市、小千谷市、川口町の具体案が固まり、長岡造形大の教授が斜面に白菊を植栽し全体を祭壇にみたてるというイメージ案を県知事に説明したという。(新潟日報4月25日付け朝刊より)
ところでとっても気になるのが「現場の保存」のしかた。
整備が終わるとされる来年の春ここはどうなっているんだろう。
町のあちこちで土砂崩れ現場をコンクリートで固める工事がすすんでいる。
安全面コスト面でそういうことになったのかもしれないが、寒々しくていかにも「ここは地震で崩れたんだなぁ」とわかるので心がズキンとすることがある。
妙見・浦柄は緑化擁壁にしてほしいなぁ。
(「緑化擁壁」については新潟県中越大震災のボランティアblogでわかりやすい写真が掲載されています。コチラからごらんください。)
36億というお金がどのように割り振られるのか皆目見当もつかないけど、どうか優しい風景にしてもらいたい。
「中越地震を風化させてはいけない!インパクトがある光景を残すべきだ!」とそこに住んでいないよその人は軽々しくいうけれど、
ガードレールもビスケットのように崩れ落ちた道路もあのままなんてことはもちろんないですよね??
ここは小千谷市船岡。
緑豊かだった山がどんどんコンクリート化されていきます。
バスも通れるようになり、山本から本町に抜けられるようになりうれしいのですが、この道路の上の斜面もコンクリート固めで灰色の分量が多くなってきました。(車に乗ってたので斜面の写真は撮れませんでした。)
ここは長岡市と小千谷市の境。
この場所は一般に長岡市・妙見と呼ばれているが小千谷市民の私たちにとっては小千谷市・浦柄といったほうがピンとくる。
東山への入り口となるとても大切な場所だ。
これは今日の夕方撮った写真。
ガードレールは垂れ下がったまま。
信濃川に崩落した道路はそっくりそのままあの日のままの形だ。
対岸の三仏生から越の大橋からこの光景はまる見えで、このあたりに住んでいる方にとっては広島の原爆ドームを毎日見ながら暮らしているようなものだといっても過言ではない。
どうやらここがメモリアル拠点になるらしい。
長岡市、小千谷市、川口町の具体案が固まり、長岡造形大の教授が斜面に白菊を植栽し全体を祭壇にみたてるというイメージ案を県知事に説明したという。(新潟日報4月25日付け朝刊より)
ところでとっても気になるのが「現場の保存」のしかた。
整備が終わるとされる来年の春ここはどうなっているんだろう。
町のあちこちで土砂崩れ現場をコンクリートで固める工事がすすんでいる。
安全面コスト面でそういうことになったのかもしれないが、寒々しくていかにも「ここは地震で崩れたんだなぁ」とわかるので心がズキンとすることがある。
妙見・浦柄は緑化擁壁にしてほしいなぁ。
(「緑化擁壁」については新潟県中越大震災のボランティアblogでわかりやすい写真が掲載されています。コチラからごらんください。)
36億というお金がどのように割り振られるのか皆目見当もつかないけど、どうか優しい風景にしてもらいたい。
「中越地震を風化させてはいけない!インパクトがある光景を残すべきだ!」とそこに住んでいないよその人は軽々しくいうけれど、
ガードレールもビスケットのように崩れ落ちた道路もあのままなんてことはもちろんないですよね??
ここは小千谷市船岡。
緑豊かだった山がどんどんコンクリート化されていきます。
バスも通れるようになり、山本から本町に抜けられるようになりうれしいのですが、この道路の上の斜面もコンクリート固めで灰色の分量が多くなってきました。(車に乗ってたので斜面の写真は撮れませんでした。)
某教授が言った、
「原爆ドームもアウシュビッツも残った」
「阪神の野島断層も普賢岳で火砕流で埋まった家屋も残っている」
だから妙見も残す意義がある。
ていうくだり。
根本的に違うんじゃない?
原爆ドームもアウシュビッツも、人間が引き起こした、防ごうと思えば防げた「戦争」という愚挙によってもたらされた、言わば「負の遺産」でしょ?
こういうものは人類への猛省を促す施設として残す意義はあると思う。
断層も火砕流も特異な自然現象の爪跡として学術的価値はあると思う。
でも、妙見の悲劇は誰かのせい?防ごうと思えば防げた?
特異な自然現象?
学術的見地からすれば、妙見の崩落現場より、それより少し小千谷よりの国道291号の崩落現場のほうが興味があるのだそうだ。
国交省の技官が「我々が何年も掛かって谷を削って造るダムを、たった1分少々の揺れであんなモノを生み出した自然の力は凄い」と絶句した河道閉塞の方が凄いと思う。
申し訳ないけど妙見が中越大震災の象徴だとは思えないよ。
何より危惧してるのが妙見もその他の場所も、余りに市民生活に密着しすぎている場所ということ。
たまに来るにはいいだろうけど、毎日嫌が応でも目に入る市民の感情は考えてる?
結構キツイもんがあるよ。
あのがけ崩れは象徴的に扱われますが、その手前(小千谷駅寄り)の山の斜面の崩落もインパクト大です。私の同級生の家が失われました。岩の大きさはこちらのほうが上では…。さっさと県道を付け替えたせいか、あそこもほとんど手を付けられていないですよね。
GWは後半に帰ります。花が残っているといいなぁ。
>余りに市民生活に密着しすぎている場所ということ。
そうなんですよね。
広島の原爆ドームのまんまえには民家はありません。
窓の向こうはあの景色・・ってなると精神的に参りますよ・・。
■かんこさん
妙見のトンネルに入るときナーバスになるって話はよく聞きますね。
あの場所を見て生活しているのは長岡市民ではなく小千谷市民です。
もうはじまってしまったメモリアル構想に反対してもしょうがないけど
せめて小千谷の人の気持ちを考えて優しい場所に復旧していただきたいものです。
GW後半に帰省されるとのこと。
気をつけて帰ってきてくださいね。
妙見のところ、ついに着工なんですね。
私は小千谷高校だったので、原付通学で、五辺から越の大橋をわたって、高校に行っていました。実家に帰ってこの現場を見るたび、あのときのなんとも言えない恐怖がよみがえり、途方にくれて、頭がボーっとなります。
どんな風になるんでしょう。
楽しみのような・・・少し怖いような・・・
忘れちゃいけないけど、キャーキャー言って
笑いながら訪れるような観光地にもなってほしくありません。以前のような気持ちでこのそばを通れるような場所になって欲しいです。これってわがままかな?
>以前のような気持ちでこのそばを通れるような場所になって欲しいです。これってわがままかな?
ぴんくさんにとっては越の大橋→浦柄→ひ生は思い出の通学路。
普通にここに暮らしているならば、あの土地に思い入れがある人ならば、誰しもが震災に遭う前の普通の風景に戻してほしいと思っていると思います。
今日117号線の塩殿付近を通りました。
震災で鷲巣から上片貝に向かうまでの道が抜け落ちたことなどきっとよその人は気づかない、新しい家が建っても建て替えたことには気づかない、なんてことない当たり前の風景でしたが、これはこれでいいのだと思いながら平穏な気持ちでそこを通りました。